幻想戦記アストラルブレイカー
黒陽 光
プロローグ:祈りの聖剣
プロローグ:祈りの聖剣
「はぁっ、はぁっ……!」
果てのないような広大な草原と、一本だけ伸びる細い街道。ほとんど獣道と大差ないようなその街道を、二人の幼い少年と少女が息を切らして走っていた。
手を引いて全速力で走る少年と、手を引かれながら必死に追いすがる少女。二人とも泣きべそをかきながら、それでも必死に未成熟な両脚を動かして走り続ける。
「お兄ちゃん、もう、だめ……っ」
「諦めるな! ここで諦めたら……!」
「でも……っ!」
泣きながら弱音を吐く少女と、そんな彼女の手を引きながら……自分も泣きべそをかいて、それでも必死に走る少年。
二人は血の繋がった兄妹だった。二つ年の離れた兄と妹、こんな小さな子供が、こうも必死に街道を駆けている理由は……二人のすぐ後ろにあった。
「待ちやがれっ!」
――――野盗。
小汚い恰好をした四人の男たちが、罵声を浴びせながら兄妹を追いかけていたのだ。
その目的は……野盗だから当然といえば当然のことだが、追い剥ぎだ。二人ともそこそこ良い身なりをしていたから、ついでに捕まえて身代金もせしめようという魂胆だろう。
小さな子供二人がこんな大人に四人がかりで追われているのは、そんな最低最悪の状況が故のことだった。
「あっ!」
そうして走って逃げていると、妹の方が
「エーファっ!」
バタッとうつ伏せの格好で転んだ妹の方を振り返りながら、兄が叫ぶ。
転んだ妹は膝を擦りむいていたが……どうにか、まだ走ることは出来そうだ。
「うぇっ……お兄ちゃん……もうやだよぅ……」
「立って、立つんだ! もう少しだから……もう少しだからっ!」
泣きじゃくる妹に言い聞かせながら、すぐに兄は彼女の手を引いて立たせてやる。
だが、その頃にはもう……二人の周囲を野盗が取り囲んでいて。周りを完全に囲まれた中、舌なめずりする野盗たちを前に……兄は泣きじゃくる妹を背に庇いながら、なんとか妹だけでも守るべく野盗たちに立ち向かおうとする。
――――相手は大の大人、しかも四人だ。小さな子供でしかない自分一人では、どう考えても勝ち目のない相手。
そんなことは分かっていた。でも……せめて、妹が逃げるだけの時間は稼ぎたい。自分はどうなっても構わない、せめて妹だけでも無事に家まで帰してやりたい……!
兄はそんな決死の覚悟を胸に、野盗たちに勝ち目のない戦いを挑もうとした。
「――――――おっと、待ちな」
だが――――覚悟を決めた兄が飛び出そうとした瞬間、どこからか声が聞こえてきた。
「なんだァ?」
低く張りのある、確固たる意志を秘めた男の声。
聞こえてきたその声に反応して、四人の野盗が声のした方に振り返る。
「お兄ちゃん、あの人……」
「……誰、なんだろう」
背にした妹に服の裾を引かれて、兄の方もまたそちらに視線を向けてみた。
すると――――街道の向こうから、ゆっくりと歩いてくる一人の青年の姿がそこにはあった。
風に揺れる髪はセミショート丈に切り揃えた紺色、鋭い切れ長の瞳は夜空のように透き通る蒼い色。一七七センチのスラリとした長身痩躯の身体に纏うのは、藍色のインナーシャツと焦げ茶の革ジャケット、黒いフィールドパンツに履き古した革のブーツ。小さなシルバーのネックレスを首元に揺らし、左肩には大きな背嚢を担いでいる。
そして、彼の右腰には……見たこともない、大きくて綺麗な剣がぶら下がっていた。
風に吹かれながら、ゆっくりと歩いてくるその男――――シン・イカルガという名の彼は、子供の二人が見ても分かるほどに強烈な、しかし言い知れぬ奇妙な雰囲気を身に纏った青年だった。
「ヘヘッ、丁度良いぜ……ガキ二人じゃ物足りねえと思ってたところなんだ。おいてめえら! ついでだ……コイツも畳んで身ぐるみ剥いじまえ!」
「合点だ!」
「見ろよ、あの腰の剣……ありゃあ高く売れるぜ!」
突然現れた彼を見るなり、野盗たちはすぐさま標的を兄妹から彼に変更。腰に帯びていたボロボロのショートソードを抜くと、それを振りかぶりながらシンに向かって突撃を敢行する。
「ふっ……!」
一斉に飛び掛かってくる四人の野盗を前に、しかしシンは怖じ気づくことなく……その拳で以て反撃を仕掛けた。
シンはまず一人目、一番手近な奴の振り下ろすショートソードをサッと身をよじって回避すると、その腹に強烈な回し蹴りを叩き込んで逆に吹っ飛ばす。
続く二人目の繰り出す刺突もまた回避し、そうすれば……今度はショートソードを持つ野盗の右手首を掴むと、足払いを仕掛けながらその手首を捻り上げ、そのままひょいと野盗の身体を地面に叩き付けてしまった。
長身のシンに迫るぐらいに大柄な男の身体が、まるでコマのように空中で一回転。そのままバンッと背中から地面に落ちる。
「はっ!」
続く三人目、四人目には、左肩に担いでいた背嚢を振り回すことで対応。見た目の割に重い背嚢をハンマー代わりに振り回し、二人の野盗を一気に吹っ飛ばした。
「オイタもほどほどにな」
そうして四人の野盗を一気に叩き伏せてしまえば、シンは右の親指でサッと唇を拭いながら、地に伏せる野盗たちに向かってそう言う。
「畜生……舐めやがって!」
そこで、シンの圧倒的な実力に怖じ気づいて逃げてくれれば良かったのだが……しかし野盗には野盗なりのプライドがあるのか、四人の男たちは怒りで顔を真っ赤にしながら起き上がると、またシンに向かって飛び掛かろうとしてくる。
「やれやれ……懲りない連中だ。ちょっと懲らしめてやるだけで済ませようと思ったが、そうもいかないみたいだな」
野盗たちは、明らかに自分を殺す気だ。
隠す気の一切ない、四人分の殺意を一身に浴びながら……しかしシンは飄々とした態度のまま、呆れたように小さく肩を揺らすと。担いでいた背嚢を「ほら」と言って、見ていた少年たちに投げ渡した。
「うわっ!?」
突然飛んできた重い背嚢に驚きながら、なんとかそれを受け止めた少年。シンは戸惑う彼の方に小さく振り向きながら「悪いが預かっててくれ」と言うと、サッとその場で構えを取った。
右腰に帯びた純白の剣、その
「最後に一応、警告だけはしておく。――――今の内に手を引いた方が身のためだ。次はちっぽけなプライドだけじゃない、
そうして抜刀の構えを取りながら、シンは最後にそう野盗たちに警告したのだが。
「しゃらくせえっ!!」
しかし野盗たちは逆にその台詞で激昂してしまい、茹でダコのように真っ赤になった顔でシンに飛び掛かってきた。
「……警告は、したからな」
ショートソードを振りかぶりながら、殺す気で挑んでくる四人の野盗たち。
襲い来る脅威を前に、シンはそっと呟くと――――右腰に帯びた鞘から、遂にその剣を抜き放った。
「ふっ……!」
鞘から解放された刀身が閃いたのは、僅か一閃。
だが――――この程度の雑魚には、たったの一閃だけで十分だ。
「が、は――――」
野盗たちの振りかぶっていたショートソード、その錆びて刃の欠けたボロボロの刃がシンに届くことはなく。シンの左手が閃いた一瞬の内に、四人の野盗は……その全員が斬り伏せられてしまっていた。
バタバタッと一斉に、まるでドミノのように揃って倒れる四人の男たち。
獣道のような細い街道に沈んだ四つの身体の下には、やがて小さな赤い血の池が浮かび上がる。
そうして血溜まりの中に沈んだ男たちは、最後に何か言いかけていたが……しかし、それが確かな言葉の形になることはなく。野盗たちは断末魔の声も上げないまま、そのまま二度と動くことはなかった。
「お兄ちゃん、あの剣って……」
そんなシンの見事な剣捌きに少年が見とれていると、背中に縋っていた妹が、シンの持つ剣をそっと指差す。
見ると、シンが手にしている剣は……その細い両刃の刀身は、まるで宝石のように青く透き通ったクリスタルの刀身だった。
煌めく青いクリスタルの刀身と、
――――鍔に埋め込まれたエレメントスパークと、そして何よりもあの綺麗な青いクリスタルの刀身。
それを見つめる兄も妹も、前に何度も話を耳にしたことがある。おとぎ話のような話を……聖なる石に選ばれた光の勇者が振るう、光の聖剣の逸話を。
「もしかして……アストラル、キャリバー…………?」
――――聖剣アストラルキャリバー。
それこそが、シンの手にする美しき剣の名に相違なかった。世界の均衡を保つ、選ばれし光の勇者にのみ与えられる聖なる剣。それこそが彼の振るう光の聖剣――――アストラルキャリバーだった。
「二人とも、怪我はないか?」
そんなアストラルキャリバーを右腰の鞘に納めると、シンは呆然と見つめる兄妹の元に歩み寄り。ぐっとその場にしゃがみ込み、小さな二人と目線を合わせながら問いかける。
優しげな顔と声で問うてくるシンに、呆然としていた少年はハッと我に返り。声を震わせながらも「だ、大丈夫です……」と頷き返す。
するとシンは「そうか」と微笑むと、震える二人の頭をそっと撫でてやる。もう心配要らないと、そう暗に伝えようとするかのように。
「お兄さん、もしかしてスフィルの石の勇者様なの?」
そうしていれば、妹の方がきょとんとした顔でシンにそう問うてきた。
それをシンは「まあな」と笑顔で肯定する。
「じゃあ、その剣が……光の聖剣、アストラルキャリバーなんですか?」
続いて兄の方が……シンが右腰に帯びた剣を見つめながら、恐る恐る問いかける。
シンはそれにも「ああ」と頷き返して肯定すると、兄妹の頭から手を放し、そのままスッと立ち上がる。
そうすれば、彼はおもむろに右腰に手を掛け、再びアストラルキャリバーを抜いた。
すると――――青白く輝き始めたクリスタルの刀身から、空中に文字のようなものが投影される。
その文字を、幼い兄妹が読むことは出来なかった。
既に失われて久しい古代文字を、まさかこんな小さな子供が読めるはずがない。辛うじて読める人間が居るとすれば、高名な言語学者か考古学者ぐらいなものだろう。それも、辞書を引きながら何時間もかけてやっと解読できるかどうか。
だが――――シンは一目見た瞬間、その文字の記す内容を全て理解していた。
「…………また新しいミッションか。しかも緊急任務……あの石ころも人使いが荒いな」
いや――――勇者使いか。
シンはそんな独り言をポツリと呟くと、またアストラルキャリバーを鞘に戻し。そうすれば、すぐ傍に置いてあった背嚢を――この兄妹に預かって貰っていたものを拾い上げ、よっこいしょとまた左肩に担ぐ。
「……もう、行っちゃうんですか?」
そうして立ち去ろうとする彼に、少年は名残惜しそうに呟く。
すると、シンはそんな少年の頭に手を当てて、また笑顔で小さな頭をそっと撫でながら「まあな」と返してやる。
「スフィルの石から、また新たなミッションが通達されてな。それも今度は緊急任務だそうだ。だから、俺はもう行かなきゃならない」
言って、シンは少年の頭から手を放す。
そして「じゃあな」と二人に別れを告げれば、クルリと踵を返してそのまま歩き去って行く。
そんな彼の背中を、二人の兄妹はその場に立ち尽くしたまま、名残惜しそうに見送っていた。
そうすれば、そんな兄妹の気配を背中越しに感じたのか――――シンは一度立ち止まると、小さく二人の方に振り返り。自分を見送る幼い兄妹に向かって、最後にこう言ってから……今度こそ、地平線の彼方へと歩き去って行った。
「どこまで行っても、俺たちはこの空の下で繋がっている。――――だったら、また会えるさ。この空の下にいる限り、きっとな」
(プロローグ『祈りの聖剣』了)
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