便利屋

あべせい

便利屋



 低い声で、

「ごめんください。どなたか、おられますか?」

 返答がない。

 訪れた女性は、玄関の土間から、廊下の奥に目をやる。

「出入り口にカギがかかっていなかったので、(奥のようすを伺いながら)勝手にお邪魔いたしました。ご迷惑ではございませんか? もし、ご迷惑でしたら、すぐに退散いたしますが……」

 家の中は、物音一つなく静まり返っている。

「ご返事がないようですので、あがらせていただきます……」

 女性がヒールを脱ぎ上がりかけたとき、突然、背後の戸がガラリッと開いた。

「だれダ! キミは!」

「キャッー!」

 後ろから入ってきたのは、女性と同い年くらいの30代前半の男性。

 女性は上がり口に立ち尽くしたまま、

「わたしは、こちらに来るようにと指示を受けてまいった者です。あなたこそ、どなたですか?」

「?……」

「失礼ですが、あなたはこちらのご主人ですか?」

「違う。しかし、似たようなものだ」

「似たようなもの?」

「あなたはきょうが初めてのようだ。とにかく、奥に行きましょうか」

 男性が先に立ち、廊下突き当たりの引き戸を開け、中に入った。

 還暦を過ぎたばかりのヒサエが、庭に面したガラス戸沿いに置かれたベッドで眠っている。

 8畳の部屋の中は、床の間、違い棚、欄間などが配され、落ち着いた和風の造り。隅には、火はついていないが、備長炭がいけられた年代物の火鉢、楢材の座卓、凝った細工の飾り棚などがある。

「お母さん、おはよう。息子の麻雄です。調子はどうですか?」

 お母さん!? ということは……。女性は麻雄のことばに驚きながらも、合点したように話しかけた。

「お母さん、ごきげんよう。娘のいさみです」

「待て、キミはぼくの妻じゃないか」

「エッ!? わたし、娘と聞いてきたのに、あなたの奥さんですか?」

「おれたち、兄妹に見えるか。ちっとも、顔が似ていない」

「そんなこと言っても、うちの上司が……」

 すると、ヒサエが目を開いた。

「もしもし、あなた方、どちらさまですか?」

 麻雄といさみ、顔を見合わせてから、声をそろえて、

「お母さん!」

「麻雄かい。隣にいるのは……顔をよく見せて……」

 いさみ、身をのりだす。

「お母さん、いさみです」

「あァ、いさみさん……。きょうはどうしたンだい。近頃ちっとも姿を見せなかったのに……お迎えが近くなったのかね。あァ、いやだ、いやだ……」

 ヒサエ、再び目を閉じる。

「お母さん! そんなンじゃないンですよ。もォ……。わたし、だからこんどの仕事、最初から気が乗らなかったのよ……」

「キミ、ちょっと」

 麻雄、いさみを脇に連れて行く。

「キミはどこから来たンだ?」

「便利屋のリーベンから。あなたは?」

「ぼくは、個人的に頼まれたンだ。あそこで横になっているヒサエさんの息子の麻雄から。麻雄はぼくの高校時代の友人だ」

「彼女、本当に痴呆なンですか? まだ、62才と聞いていますが」

「もっと若くても認知症になる人はいるそうだからな」

「そうは見えませんが……」

「麻雄の話だと、彼女はこどもの名前は覚えていても、ときどき顔の区別がつかなくなるらしい。いさみは麻雄の女房の名前だけれど、お母さんとはうまくいってなかったそうだ」

「それでわたしは何をすればいいンですか?」

「聞いていないのか」

「2時間、お母さんのそばにいるだけでいい、って指示です」

「麻雄の狙いは、金だ」

「お金?」

「母親が持っている金だ」

「ここは、敷地千坪ほどある日本家屋の立派なお屋敷でしょう。不動産や預貯金だって、相当ありそうに見えます。お母さんが亡くなったら、息子の麻雄さんに全部行くンでしょ」

「麻雄はひとり息子だから、遺産はすべて彼のものだ。ところが、ヤツはいま金がいるらしい。しかも大金だ。ヒサエさんは、預貯金の通帳は銀行の貸し金庫に入れていて、本人か、本人直筆の依頼状がない限り金庫は開けられないようにしてある。だから、預貯金には手がつけられない。しかし、現金は箪笥預金にしているそうだ」

「箪笥預金?」

「現ナマを、たんまりと隠し持っているというのだ。ただ、それが、どこにあるのか……」

「それを捜し出せということ?」

「麻雄といさみさんは、ここから徒歩で3分ほどのマンションに住んでいる。土日以外は外で働いているから、ここに来るのは、いつも土曜か日曜の午後」

「だいたい、この時間ということですね。お母さんは寝たきりなンですか?」

「ふつうに生活は出来る。気分のいいときは、近くのスーパーまで買い物にも出かける。しかし、2年前にご主人を病気で亡くしてからは、生きる気力をなくしたのか、昼間も寝ていることが多くなった」

「食事の仕度は自分でなさっているの?」

「いつもじゃないが、簡単なものは作っている。あとは、街の弁当屋を利用しているようだ」

「麻雄さんは、どうして自分で箪笥預金を捜さないンですか?」

「捜したと言っている。この部屋以外は。天井裏から、畳の裏まで。しかし、見つからなかった」

「あとはこの部屋だけですか……お母さんが出かけたときに捜せばいいと思うけれど……」

「土日、ヒサエさんは、出かけない。麻雄が来るとわかっているから」

「お母さんが眠っている間とか、ほかの部屋にいるときに捜せば?」

「そうはいかない。麻雄がこの家にいる間は、ヒサエさんは麻雄のそばを離れない」

「いさみさんが、代わって捜せば?」

「さっきも言ったように、ヒサエさんといさみさんは犬猿の仲だ。いさみさんは、もう1年近く、この家に来ていない。ヒサエさんには、いさみさんがこの屋敷の前を通るだけで、だれだかわかるそうだ」

「いさみさん、強い香水でも付けているンじゃない?」

「そうかも知れない。キミは香水を付けて来ていないようだが」

「会社から、香水は厳禁と言われています。それで、今日はどうするンですか?」

「おれがこれからヒサエさんを庭に連れ出す。その間、キミがこの部屋で箪笥預金を捜してくれ」

「そんな。現金と言っても、どんな風に隠してあるかもわからないのに、できるわけがないでしょう」

「キミはこの仕事に向いていないな」

「当たり前でしょ。便利屋に登録だけしていて、人手が足りないときに声がかかるンです」

「ふだんは?」

「看護師です」

「看護師なら忙しいだろう」

「街の内科クリニックだし、うちの先生は威張っているから患者さんがどんどん減って、わたしの出勤日は減らされているンです。いま、別の医院を探しているところ。個人的に、例えばこちらのようなお屋敷で使ってくだされば最高なンですが……」

「ヒサエさんにうまく取り入って、ホームナースになるか。キミが看護師だから、会社はこの仕事を回したンだろう」

「そういうことです」

「しかし、看護師の能力は要らない。必要なのは……それはいい。とにかく、現金の隠し場所というのはだいたい決まっている。箪笥の引き出し、机の引き出し、ベッドの下、その辺りから始めてくれ。じゃ」

 麻雄は、ヒサエの元へ。

「母さん、きょうは天気がいいから、庭に出て歩きませんか?」

「そうね。じゃ、起こしてちょうだい。金木犀の香りが寝ているところまで来るンだけれど、ことしはまだ花を見ていないから」

「金木犀はいまが満開です。見に行きましょう」

 麻雄はヒサエに丹前を着せ、縁側から庭に降りる。

 いさみはそのようすを見ると、ヒサエが寝ていたベッドの下を覗く。続いてマットレスの下に手を差し入れる。さらにベッドのそばの電話台の小引き出しを開ける。

 しかし、ないとわかり、グッタリしたようにその場にしゃがみ込んだ。

 庭では。

「麻雄」

「なに、母さん」

「今日のいさみさん、おかしいね」

「なにが……」

「言葉遣いがやさしいよ。それに……」

「それに?」

「おまえに対しても、やさしい。別の女の人かい?」

「母さん、いさみだよ。きようは体の調子がいいンだろう」

「わたしは、おまえがいさみさんに愛想をつかして、別のいいひとを連れてきたのかと思ったよ」

「よしてくれ、母さん。おれに愛人なんか、いないよ」

「そんなことがあるものか。先月来たときは、きれいなひとを連れてきたじゃないか。もっとも、わたしにわからないように、2階の亡くなった父さんの書斎にいさせていただろう。この家はガタが来ていて、2階を人が歩くと、すぐにわかるンだ」

 男は心の中で愚痴る。麻雄の野郎ッ、もう、あの女と。黙っているとは、けしからん。

「母さん、隠していてすいません。彼女をご覧になったのですか?」

「おまえが帰ったあと、その窓からね。おまえの車に乗る姿が見えたから。あとでいさみさんともめなけりゃいいがと心配になった」

「母さん、おれ、離婚するかもしれない」

 だから、麻雄は大金が要るンだ。男はそう考えた。

「それはいいことだ。わたしも、いさみさんは気に入らないから。別れるのなら、早いほうがいい」

「母さんはどうして、いさみのことが嫌いなンだ」

「前にも話したことがあるけれど、あのひとはうちの財産が欲しくておまえと結婚したからだ」

「そんなことはないと思うが」

「それと……」

「なんだい?」

「だれにも言っちゃダメだよ」

「あァ」

「いさみさんは、亡くなった父さんに、ちょっかいを出していたンだ」

「ウソだろう」

「おまえが結婚してまもなく、おまえたち夫婦と一緒に温泉に行ったことがあっただろう。いさみさんが早く我が家に打ち解けてくれるようにと考えて」

「そう。熱海だっけ?……」

「伊東だよ」

「そうだった、伊東温泉だ。あのときの温泉ホテルの料理はうまかった」

「温泉ホテルじゃない。和風旅館だ。父さんとわたしがよく行く伊東の老舗旅館じゃないか。きょうのおまえも、少しおかしいよ」

「母さんが、いさみと父さんがおかしかったなンて、ヘンなことを言うからだよ」

「ヘンじゃない。夕食も終わって、夫婦がそれぞれの部屋で休んでからだった。夜中にふと目がさめて横を見ると、あのひとがいない。時刻は午前零時近かった。温泉につかりに行ったンだろうと考えたけれど、気になって寝つけない。それでもウトウトしたらしく、あのひとが戻ってきた物音で目が醒めた。あのひとは、隣のふとんにそっと潜り込んだけれど、そのとき、強烈な香水の匂いがした。あれはいさみさんの香水だよ。あのひとが夜中に何をしていたのか知らないが、いさみさんと会っていたのは間違いない」

「おれは深酒して、早く寝たからわからないけれど、そんなことくらいで、いさみを疑うのか」

「それだけじゃない。父さんは心臓の病で亡くなったけれど、遺言書に書いてあった」

「心筋梗塞で急に亡くなったから、遺言書はなかったと聞いている」

「それがあったンだ。いまだから、言うけれど。それを見ると、いさみさんに遺産の半分を譲るなんて、バカなことが書いてあった。だから、わたしが握りつぶしたンだ」

「母さん、そんなこと。犯罪だよ」

「遺言書に日付はなかった。日付のない遺言書は無効だって聞いたことがあるよ」

「父さんは、急に死ぬとは思っていなかったから、必要なときに日付を書き込めばいいくらいに思っていたンだろうな」

「離婚するのなら、早いに越したことがない。いさみさんが、このうちの財産を乗っ取るために、この先どんな手を使ってくるか知れやしないから」

「でも、離婚するためには金がいる。わかるだろう、母さん」

「お金はないよ」

「母さん。金は墓場まで持っていけないよ。生きているうちに使わないと……」

「いまおまえにお金をやったら、同じことを繰り返す。再婚して、失敗だとわかったら、すぐに離婚する。再婚、離婚、再婚、離婚。うんざりだよ」

「もう、失敗しないよ」

「おまえ、いまのいさみさんで4度目だろう。4度目の離婚がないってだれが信じるね。しかも、いさみさんを除けば、あとの3人との結婚生活は1年足らず」

「わかった。もう、頼まない。その代わり、もうこの家にも来ないからな」

「いいよ、あのひとに来てもらうから」

「あのひと、って?」

「きょう、おまえが連れてきた、いさみさんのふりをしていたひとだよ。なかなか、気転のきくひとのようだから」

「彼女は母さんが見ぬいた通り、いさみの代理。おれが便利屋に頼んだ女性だ。出来るだけいさみに似ている女性と言って。でも、母さんには通じなかったようだ」

「当たり前だよ。わたしは認知症でもアルツハイマーでもない。まだまだ、頭はしっかりしている。あの人に、いまあの部屋を家捜しさせているのだろうけれど、何にも見つからないよ」

「知っていたのか」

「横になっていると、いろんなことが見えてくるンだよ。おまえが新しい恋人と結婚するために、いさみさんと離婚したがっている。離婚するには慰謝料がいる。しかし、お金はない。わたしなら、そのお金を持っていると考え、きょうの段取りを考えた」

「母さん、御託はいい。金はどこなンだ。おれは、もう後がないンだ」

 居間から、

「あッター!」

 麻雄とヒサエ、思わず顔を見合わせた。

 麻雄、駆け出す。ヒサエ、後を追う。

「どこだ。金は!」

 麻雄、部屋の散らかりようを見て、唖然。

 中央には火鉢が転がり、備長炭は飛び、中の灰がそこらじゅうに飛び散っている。

 ヒサエ、険しい顔で、

「あ、あなた。なにをしたンですか」

「わたし、ドロボウのようなマネをしている自分がいやになって。そうしたら無性に腹が立って、やつ当たりしたくなって。気がついたら、そこらじゅうのものをひきはがし、引っくり返していました」

「キミは看護師だろう。仕事にきて、ヒステリーを起こすやつがあるか。それより、金はどこだ」

 いさみ、麻雄を見上げて、後ろ手に持っているポリ袋にくるまれた包みを差し出す。

「それは、ダメ!」

 ヒサエが横からひったくる。

「亡くなった父さんのヘソクリです。火鉢の灰の中に隠してあったでしょ。わたしが見つけて、そのままにしておいたンだから」

 包みは、中の札束が透けて見えている。

「百万円の束が3つ。母さん、それをおれに貸してくれ。すぐに返すから」

「あんた、だれだい!」

「母さん、急になんだよ。ボケるのはナシだ」

「何を言ってやがる。いさみさん、警察に電話しておくれ。この男は無断で他人の家に入り、部屋をこんなに荒らした、って。早く」

「は、はい」

 いさみ、転がっている受話器を置き直し、ダイヤルを回す。

「母さん、おれ、ア、サ、オ。息子の、麻雄じゃないか」

「何を言ってやがる。あんたは、学生時代から麻雄をいつも利用している悪党の綿貝じゃないか」

「知っていたのか。これでも、化けるのにずいぶん苦労したンだがな」

「結婚生活にようやく落ち着いた麻雄に、若い女を紹介しておいて、また離婚をけしかけているンだろう。お金がいるのは、本当は麻雄じゃなくて、あんただろうが!」

「そうだ。闇金に手を出して、今日中に3百万円、揃えなければ、首をくくるしかない」

「麻雄をどう言いくるめたのか知らないが、顔が少しくらい似ているくらいで、母親が騙せるとでも思ったのかい」

「麻雄は、あんたがボケているといったンだ。『少しくらいの金なら、部屋に隠してある。但し、いい女を紹介するのが条件だ』といわれて、計画した。それが悪いか」

「悪いね。あんたのやっていることはドロボウだ。いや、無理やり持っていくから強盗だ。いままで麻雄をたきつけて、わたしからいくら持っていったッ? 千か、二千か」

 そのとき、大きな足音がする。

「強盗はどこです!」

 若い制服警官が入ってくる。

 いさみ、綿貝を指差し、

「強盗は、このひとです!」

 綿貝、落ち着き払って応える。

「いやに早いじゃないか。キミはどこの便利屋に頼まれたンだ」

              (了)

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便利屋 あべせい @abesei

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