第25話 プロポーズ

 怒涛の闘いの中、秀吾しゅうご千鶴ちづるの間に赤ん坊『美桜みお』が生まれてはや一カ月半。つまりもう年の瀬である。そう、徹夜明けのテンションになるような、年の瀬なのだ。


「ほら見ろよ俺の子供! 指を握るようになったんだよ! 俺のことがわかってるんだ、さすがは俺の子、天才だよ!」

「それ何回目ですか…」


 生まれた翌日、つまり立冬からこの一カ月間 勤務日は毎日欠かさず近況報告もとい日報を聞かされ続けているメンバーたちは辟易を通り越してゲッソリしている。

「指を握るのは反射的じゃないんですかね」

 メンバーもキッパリと言い返すようになったがそれは秀吾が馬耳東風だからである。だがこの様子は家でも同じだった。


「ばぁ!」

 と、美桜が何の意図もなしに叫んだだけなのだがそれをどう解釈したのか秀吾は衝撃を受けたような顔をするのだ。


「ちょっとちーさん…聞いた?」

「聞いてないわ (絶対違うから)」

「パパって…呼んだろ?」

「そんな『言葉』だったかしら」

「何、聞き逃したの? こんな歴史的瞬間を…? ダメじゃないか! 確かに発音が正確だったじゃん! さすがだ美桜、俺の血を引いてるから生後一カ月も経たないうちに相手を理解して言葉を発したんだ! 動画に上げよう!」


 厳密には生まれて一カ月などとうに過ぎている。そして美桜はまだ何も理解していない。仮に胎内記憶があり理解していたとしても人間としての動作や表現力はまだ身に付いていないので秀吾が過大評価しているだけであるのは火を見るより明らかなことだ。

 秀吾は思いのほか (むしろ互いの負担量を合理的に計算した上で) 家事も育児もきちんと分担しているという面では夫としても父親としてもなんら問題ないのだが、この鬱陶しさは嘆かわしい限りである。



 ただし室野むろの社長でも強く出られないのがまた秀吾の自己愛と妻子バカに拍車をかけている。それぐらい、『薬膳スムージー ~冬~ ロイヤルホット塩チョコレート』が順調に売れている。なんか高級そうなネーミングだが価格はいたってシリーズと同列だ。


 さて一年を通して出来上がった集大成のようなそれはどのようなものだろうか。


 冬は、秋に肺から摂りこんだ氣を腎によって体内で巡らせる必要がある。夏には氣を外に向けて発散していたが冬は外に出さず内だけで巡らせるために腎氣が要なのだ。

 一般的に誤解の多い点は『夏は体を冷まし冬は温める』ための食材選びである。人体で感じる『冷ます・温める』と医学的なそれは異なるものだ。

 夏に冷たいものを摂ればその場では『冷える』がもともと持っている熱を外に出したわけではなくむしろそれを妨げているのでまた暑さを感じれば尚更バテるだろう、加えて内臓は温かいのが常であるのを冷やしてしまうことでかえって温めようと内側から熱を発するため余計に辛くなるだけである。したがって医学的には暑い時期には熱中症でもない限り、熱を尿や汗で外に出すほうがよいとされている(脱水型の熱中症では体の表面に水で濡らしたタオルを巻いて熱勾配により体温を逃がすのがよいが)。

「陽明病証に寒涼剤は適さない」とされているのもおそらく似た理由だろう。


 反対に冬に汗をかくようなものを摂れば体が温まると思いがちだが、これ以上はもう言うまでもないだろう。

 もちろん悪寒や発熱時には汗が出るように促すのが第一だが、汗が出たならばそれ以上は汗を出す必要はなく、むしろ汗として出て行ったエネルギーを補わねばならない。同じように冬は体温を維持するためのエネルギーが必要である。

(余談だが調理法にも季節があり、夏は火力の強い短時間の炒め物によって汗をかきやすくし、冬は体を内側からゆっくり温めるために火の通りに時間のかかる根菜類などをじっくりコトコト煮込むことが理想とされている)



 そこで開発された薬膳スムージーが、二種類。


 エネルギーの足りていない冷えには補うタイプを、巡る力が弱い冷えには巡りを助けるタイプを、というものであった。


「『冷え対策の薬膳ってどんなものがお勧め?』って訊かれたときに素人は『生姜や紅花などがお勧めですよ』と答え、中程度の人間は『末端が冷えますか、のぼせはありますか』と逆に質問して確認を取る。上級になれば鍼灸師なら脈まで視るし国家資格がないなら『食禁忌』まで熟考した答えを出すものさ。例えば末端どころかずっと冷えていて貧血まであるのならもう生姜や紅花は『薬』を通り越して『毒』となるわけだ。ただでさえ足りてないエネルギーを絞り出して体を温めてなけなしの氣を巡らせるんだからもっと疲れちゃうだろ。あくまでそういう『巡らせる』食材は『栄養が足りてる』前提のものであって元々持っているエネルギーや一部に滞っている氣を巡らせることにより体を温めるんだ。食禁忌の熟考ってのは単に相手の体質が寒か熱かだけを見るんじゃなく、その人の陰と陽が虚なのか実なのか把握した上で陰と陽のどちらを補うのか巡らせるのか瀉するのか、その食材は相手の体質を悪化させないかどうか、そこまで考えるものだ。だから安易に『これがいいよ』と何の確認もせずにお勧めしてくる奴は『毒か薬かは保証しないよ』と言ってるようなもんさ」


 以前のように「人殺し!」などと罵詈雑言を浴びせかけなくなっただけ大変丸くなったものである。


「結局、陰陽両虚の空っぽタイプの冷えには何がいいんですか??」

「俺だったら刻みナツメを入れた生姜ごぼう茶とか出すかな」

「生姜は毒って言ってませんでした?」

「生姜のように巡らせるだけのものを与えるのが問題なんだ。温補の意味ではナツメやゴボウで補い、それを生姜で巡らせるのは有りだよ。まあ補う店では冬は牛の赤身やマトンを摂るのが最適だけど苦手だから摂らなくて冷えるんだろうし、だったらせめて鶏胸肉とかターキーとか、代謝を高める系の高タンパクが理想かな。牛やマトンは血肉の貯蔵には適するけど貯め込むだけに終わって代謝できないケースもあるし。もちろん陰陽両虚が本当にひどくて冷えどころじゃないぐらい憔悴してんなら胃腸も弱ってるからアミノ酸まで分解した栄養剤とか点滴とかから始めなきゃいけないけど現代日本でそんな奴いないだろ」

「いやあ…摂食障害のある高齢者はまさにそれですよ」

「そういう人はすでに寝たきりで胃ろうや経静脈栄養に以降してんだろ。たぶん胃腸も動いてないからイレウス起こしてるだろうし。そこまでくるとさあ…普通に考えて薬膳云々は無理だろ」

「あ…まあある程度『食事ができる』ことが前提ですもんね薬『膳』って」

「そうさ、あくまで食養生なんだ。勘違いされやすいけど薬膳と謳って『治療』しようとするのは医療行為じゃん。うち病院でも製薬会社でもないから『治そう』としちゃ違法なんだよ。だから『食禁忌』を避ける程度に留めて『オススメ』や『健康維持』『予防医学』って文言で和らげてるわけさ。なんで俺が同じチームのメンバーにここまで説明してやらなきゃならないんだ? こんなこと知ってて当然だろ」

「あ さすがにキレましたか」


 そんな押し問答の末に誕生したのが下記の二種である。


 ===========

 ●エネルギーを補うタイプ

 ・ホット塩チョコレート

 ・冬虫夏草

 ・熟地黄

 ・ナツメ


 ●エネルギーを巡らせるタイプ

 ・ホット塩チョコレート

 ・冬虫夏草

 ・オレンジピール

 ・生姜

 ===========


 地黄もまた腎経の経絡に帰する生薬のため冬には適している。ただし地黄は幾つか種類があり主に熟・乾・生の三つがよく使われている。どれも陰を補うものだがそれぞれ作用は異なり、

 熟地黄は気血を補い血を増やす

 乾地黄は皮膚に潤いを与える

 生地黄は涼血作用により血熱を冷ます

 と、季節や目的によって使い分けることができる。しかしどれもあくまで陰を補うもの。すなわち、陰虚に対しての処方となるため陰が過剰である者(水を溜め込みすぎている者)には不向きである。陰の多い者は陰を排泄する作用のあるハトムギや緑豆、淡色野菜やフルーツなど利水作用のある食材を摂るか、陰の過剰により冷えているならば血や水を巡らせる陽の食材、杜仲や紅花、腎の精気を補う高麗人参や冬虫夏草、ポリフェノール(特にアントシアン)の多い赤葡萄や赤シソ、黒米、陳皮(ミカンの皮を特に天日干しし陽の光を含んだもの)などを摂るほうがよいだろう。


 まさに冬の食卓には腎に帰経をもつ牡蠣やしじみなどの魚介類、海藻、黒米、きのこ類が中心として並ぶことが理想である。もちろん食塩ではなく天然の塩味を含む食材を指している。かん味、つまり食材内の塩気は体内の血液を粘りあるものにし体内に留めるため体内での循環が可能になるので腎臓が要となる。


 ついでながら高麗人参とは上述したが、それ単独では意味がなく高麗人参を巡らせるものを一緒に取らねば空回りするので桂枝や茯苓などがセットであると高麗人参の効果も得やすいというものだ。薬酒として摂取してもよいだろう。

 相乗効果を期待するならば目的のものを巡らせる食材を摂り、逆に目的のものの毒性を緩和したい時は相剋効果のある食材を摂るのがよいというものだ。(附子=トリカブトの理気作用が欲しいけど失明という毒性を緩和するためにハチミツを混ぜるなど…『ホジュン』より)


 腎が血と骨を作る。

 血を濾す腎小体は要らぬものを尿に換え必要なものは血となり骨はさらに血球と血漿を振り分けて血球は骨髄の内と外を通過し合う。骨髄には造血幹細胞があるため血の始まりは骨の中であることは周知であろうが、血の終わりの腎小体からまた骨髄に繋がっていることは何故だか解剖学書や外科学書どころか論文でも見ないものである。

 それはさておき したがって腎が巡らせるものによって血と骨の性質が変わるのだ。そして行き着く先は毛細血管であり、爪や頭皮(髪)の性質が決まる。冬の間、春に向けていかに腎氣を補い腎を労っておくかは実に重要な点と言える。


 体内で循環する季節は人間関係も同様で、内側だけで循環するものだ。




 ちょうど年末の花火シーズン。

 美桜を抱きかかえて仲睦まじく三人、プラス幼馴染の矢倉やぐら晴弘はるひろまで加わり、花火大会に参加していた。


 そしてついに、


 なぜか秀吾がこんな話題を切り出したのだ、美桜が生まれたことを機に。


「ちーさん。俺と……」


 今更夫婦で何をそんなに改まって告白する雰囲気を作るのかと疑問しかない幼馴染の晴弘は花火の合間を縫って聞き耳を立てていた。


「俺と、その……」


 ――(いいから溜めんな! 早く用件だけ言えよ)



「俺と正式に入籍してください!」



 都合よく花火の音で掻き消されるようなベタな展開があればどれほどよかったかと思うほどガッカリした晴弘は聞いてしまった後悔のあまり叫んでしまう。


「お前らまだ入籍してなかったのかよ!!!」


 もちろん千鶴は涙ぐんでそれを受けたのだが、この晴弘のセリフのほうが花火で掻き消されてしまい赤ん坊を挟んで秀吾と千鶴がただ冬の宵のロマンチックな二人の世界に浸り込んでしまっただけに終わった。


「クソが! 爆ぜろ! 夫婦のくせにリア充が! 花火に混ざって爆発しろ!!!」

 らしくない晴弘の罵詈雑言は他人の動画に入り込んでしまい後に所属ジムから謹慎を食らったそうである。しかし世界選手の切実な叫びは多くの非リア充や倦怠期夫婦などの共感を買い、『矢倉選手にどうか良い相手が見つかりますように』という思いやりコメントが批判を覆し、

『矢倉晴弘、非リア級でも世界チャンプ? 二冠達成 期待大か』

 という伝説が爆誕したという。



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