1店目「ギルドの酒場 後編」


ギルドの初心者講習を終えると、すっかり辺りは暗くなっていた。

ただ、ギルド内の人は減るどころかむしろ増えており、いたるところから豪快な笑い声が聞こえてくる。

どうやらこの時間は、酒場目的に来る人が多いようだ。

ビールジョッキ風の木製のコップを片手に、不思議な香りのする食べ物を口に放り込む。

何やら怪しげな肉にかかった琥珀のソース。


一体どんな味がするんだろう。

思わず彼らが食べているところを注視してしまった。


「ミツル様、お腹が空きましたか?」


食い入るように見ている僕の様子を見て、笑顔でミトラはたずねた。


確かにお昼のランチを逃して以来、僕は何も食べていなかった。

それに彼らが食べているものも凄く気になる。

ぜひ異世界の味を試してみたい。


「ミツルさん!」

僕の後ろから現れたのは、ミトラの父のモルジーだ。

彼は先のワイルドウルフのことをギルド長に伝えるため、ギルドまでやってきたのだ。

どうやら報告は済んだのだろう。

そう言えば、ここで一緒に飲むって言ってたっけ。


「それではミツルさん、あちらの席に行きましょう。ミトラも来なさい」


昼間には無かったテーブル席が、いつの間にか設置されているようだ。

僕たちは一番端のテーブル席に腰かけた。


このお店ではどうやら給仕担当はいないようだ。

カウンターのスタッフに直接注文をし、その場で料金を支払うようだ。

カウンターの奥には調理室のような部屋があり、そこで全ての注文の料理を調理しているらしい。

メニューは準備されておらず、提供される料理がその都度変わるとのことだ。

お店一押しのメニューは魔獣肉の盛り合わせ。

その日に集まった魔獣の素材のうち、食べられる部分を格安で酒場に卸しているというのだ。

どんな魔獣の肉が盛られていても、値段が一律なのは嬉しいところ。

特にレア素材の肉が提供されると、歓声が上がるという。


お金は銅貨、銀貨、金貨、白金貨が用いられるようだ。

銅貨一枚は約100円で、端数は切り捨てのようだ。

銀貨一枚が約1,000円で、金貨一枚が約10,000円といったところだ。

その上に1,000,000円の価値がある白金貨があるようだが、一般生活で見かけることはほぼないという。

ちなみに魔獣肉の盛り合わせが銀貨一枚と銅貨五枚、エール一杯が銅貨五枚と日本と大差はない物価のようである。


「ミツルさんは、この国のお金に慣れていないようなので、私が行ってきましょう」


モルジーは席を立って、真っすぐにカウンターへと向かった。

さすが慣れているようで、混雑しているお店の中を颯爽と進む姿は頼もしさすら感じる。

カウンターの店員と談笑しながら、テキパキとメニューを注文しているようだ。


「ミツル様は、その、マスクは脱がないのですか?」


酒場特有の雰囲気を楽しんでいる僕に、ミトラは言い出しにくかったことを切り出した。

確かにその通りだ。ただ、僕にはこのマスクを脱ぐ方法がわからない。


「ミツルでいいよ。僕もミトラって呼ぶからさ」

「……っ。じゃあミツル、どうしてマスクを脱がないの?料理が食べられないじゃない」

「このマスクって呪いのアイテムらしいんだ。僕にはどうすることもできないんだ」

「えっ、それじゃ……」

「でも、どうやら問題はないみたいだよ。食べる分にも話す分にも何の支障がない。まるで、僕の顔の一部になっているみたいなんだ」

「それって、逆に凄いことよね……。あっ、お父様が戻ってきたわ」


モルジーは、木製のコップを3つ持って戻ってきた。


「お待たせしました。こちらミツルさんのエールです、ミトラにはこれだ」


モルジーが注文してくれたのは、ウメーディでも売れ筋のモルジー商会製造のエールらしい。

ん?モルジー商店?


「このエールは我が商会の自信作です。気に入って頂けると良いのですが……」


どうやらモルジーさんの商会は、幅広く食品関係を手掛けているようだ。

実はモルジーさんはウメーディでもかなりの実力者らしい。

そんな人が僕と一緒にいてもいいの?


「さぁさぁミツルさん、コップを持ってください。ウメーディでは、最初の一杯目は全員コップを掲げてこう言うのです!『ギルスラーク皆に幸運を !』」


「ギルスラーク」

僕とミトラはモルジーと同じように、コップを掲げて発声した。

日本でいう「乾杯」の言葉なのだろう。

元気の出る素晴らしい乾杯の言葉のように思える。

早速エールを飲んでみた。


ん、生ぬるい。


そのエールは日本のビールのようにキンキンに冷えたものではない。

ただ、エールから発するアロマは凄い!

ホップの苦みの後から、新鮮な果実の甘味が口中に広がる。

完熟したマンゴーのようなまったりとした甘味ではない。

フレッシュベリーのような酸味のある柔らかなフレーバーだ。

この微細な味わいはキンキンに冷やしていたのではわからない。

常温でこそ、その香りと甘味が引き立つのであろう!


「うまい!」


僕はあっという間に一杯目を飲み干してしまった!


「本当にマスクをつけたままで飲めるんだ」

「いやはや、一体どうなっているのか」


マスクを被ったままでエールを飲み干す僕に、ミトラもモルジーも驚きを隠せないようだ。


「ミツルさん、我が紹介のエールを気に入ったようですね。そのエールは料理との相性もバッチリなんです」


モルジーはそう言うと、カウンターにエールを購入しに行った。


そうだ、写メを撮らないと。

僕はスマホを取り出し、写メの設定を始めた。


「ミツル、それは何?」


ミトラは興味深そうに僕のスマホを覗き込む。

もちろん、この世界にはスマホはない。

手帳型ケースでカバーをしているが、その中身は本来この世界には存在しないであろうものだ。


これから先、食レポを書く以上人目に触れることはよくあるだろう。

場合によっては、盗もうとするやつもいるかもしれない。

ただ、モルジーさんとミトラには知っておいてもらった方がいいと思う。

根拠はない。

ただ、そんな気がするのだ。


「これは僕のマジックアイテムなんだ。このアイテムに見たものを記録できるんだ」

「えっ、どういうこと?」

「もうすぐ、モルジーさんが戻ってくる。その時に説明するね」


しばらくした後に、モルジーさんがエールを2つ持って戻ってきた。

その後ろで、店員がプレートにこんもり積まれた数種類の肉の塊を持ってきている。


「ミツルさん、お待たせしました」


ドンッ、と僕の前にコップを置くモルジー。

今度は先ほどのコップよりも一回りも大きいジョッキサイズだ。


「ミツルさんはいける口なので」


モルジーはにやりと笑みを浮かべながらそう告げる。

僕帯の前から店員が、到底3人では食べきれないくらいの肉が盛られたプレートを机に置いた。


「ミツルさん、これがこの店の名物なんです」


嬉々として説明するモルジーの顔はどこか誇らしげだ。

よほどこの料理のことを自慢したかったのだろう、赤い顔をしながら今までにないくらいの満面の笑みを浮かべていた。


「これは魔獣肉の盛り合わせです。その日に冒険者が素材としてギルドに渡した魔獣のうち、素材以外の食べられる部分を調理したものです」


そう言えば、冒険者の初心者講習でもあったっけ。魔獣などの素材以外の部分をギルドに持って行っても買い取ってくれるらしい。


「冒険者が集めた素材に依存するので、盛り合わせの肉や調理法は毎日変わります。日替わりで様々な部位や味を楽しめるんです」


日本でもそんなメニューが多いよね。

刺身の盛り合わせなんかが、それにあたるんじゃないかな。


「しかも料金は一律銀貨2枚。例えレア素材が出たとしても料金は同じなんです」


モルジーさん、興奮しすぎだけど大丈夫?

魔獣肉って異世界独特だなぁ。

味は、食べてみないとわからないよね。


「さらに……!」


グイッ。

さらに話を続けようとするモルジーの服の袖を、ミトラが強く引っ張る。


「もう、お父様。せっかくの料理が冷めてしまいますわ。さっ、ミツルさん、早く食べましょ」


ナイス、ミトラ!

僕は心の中で小さくガッツポーズ。

せっかく美味しそうな料理が来てるのだ。

早く食べたくてたまらない。


僕はフォークで、手前の肉をぶすっと刺した。

まるでソーセージのような弾力。

肉の外側には薄い膜が張っており、フォークで突き刺すとぷっつりと膜を破る音がする。

膜の中の肉は柔らかく、フォークの先がすっと通るのだ。

そして溢れんばかりの肉汁。

刺したフォークの間から、キャラメル色の肉汁がドクドクと滴った。


一体何の肉だろう。

まるで天然のソーセージのような肉。

今まで食べた肉とは本質的に違う、天然の膜に一つ一つの肉が包まれているのだ。


「それは、キャタピラーアントの関節周りの肉よ」


ベリージュースをすすりながら、ミトラが説明する。

キャタピラーアントは、ウメーディの草原に出現する子犬大の虫型の魔獣。

芋虫の体を持った大蟻で、特に胴体部に関節が数十か所もあるようだ。

キャタピラーアントの関節周りの固い皮膚の下には、数十個の膜に囲まれた細かい筋肉が存在するという。


なんにせよ、うまい。

この肉にかかっているグレイビーソースのような肉汁から作った濃厚なソースも、この肉には見事にはまっている。

おそらく、もともとキャタピラーアントの肉には臭みもあるのだろう。

肉の下味にニンニクのような香辛料が使われているように感じる。


一口食べて、モルジー商店のビールを流し込む。

これが悪魔的に合う!

ワインのような繊細なお酒よりも、苦みのあるエールがピッタリだ。

しかも常温のエール!

この料理の風味を最も際立たせてくれる。


続いて、別の魔獣肉にも挑戦してみよう。

今度は骨ごと豪快にローストされた料理、まるでスペアリブだ。

ただ、その大きさが半端ない。

1つの肉が僕の顔ぐらいあるのだ。


豪快な見た目と裏腹に、ツーンと酸味の効いた匂いが漂う。

キャタビラーアントの肉とは違い、酸味の効いたタレにじっくり漬け込んで焼いていると思われる。

脂身がたっぷり乗っており、一目見ただけでカロリー万歳食のようだ。

うまい肉=脂の乗り具合と思っている僕には、どんなことがあってもこの肉を食べなければならない。


この肉にはフォークなんていらない。

骨を持ちながらかぶりつくだけ。

手や口が汚れる?

そんなことは今考えてはならない。

この肉の食べ方は上品にすべきではない。

冒険者らしく(?)、豪快にかぶりつくべきだ。


周りを見回すと、同じように手で食べている人がほとんだ。

よく見てみると、手や口がソースまみれになっている。

なんて素敵な奴らなんだ。

僕は彼らを先輩と呼びたい!


僕も豪快にスペアリブ風の料理にかぶりつく。

思ったよりも随分柔らかい。

プツッと簡単に肉が噛み切れるのだ。

そして次に口に溢れる甘味たっぷりの肉汁。

あっさり以上こってり未満というのであろうか。

肉汁の脂感は濃厚であるがしつこくもなく、良質のジュースのように余韻が長く続く。

肉自体は肉の繊維の一本までもとろりと濃厚な味がしみ込んでいて、噛めば噛むほど旨味が口中に広がっていく。

ワインの酸味だろうか?

肉を咀嚼中にさわやかな酸味が充満し、脂のこってり感を綺麗に洗い流してくれるのだ。


これもうまい!

僕は夢中でがっついてしまう。

おそらくマスクもベトベトになっているだろう。

しかし、僕は気にしない。

この種の肉の旨さは今まで味わったことがない。


でも、一体何の肉だ?


「ミツルさん、見事な食べっぷりですね!」

「モゴモゴ……」


モルジーさんが話しかけてくれたのに、僕は返答も出来なかった。

僕の食べっぷりに、ミトラも唖然としている。


「これは、オークの肉なんですよ」


オークは豚やイノシシに似た比較的知能の高い魔獣の一種。

人と同じように二足歩行で生活し、武器や道具を使って狩猟を行っている。

好戦的な種族で、他種族を見ると襲い掛かってくることが多いようだ。

ただ、その肉質はきめ細かく、熱烈な愛好家がいるほど重宝されている。

焼いて良し、煮て良し、揚げて良しの万能な食材になり得る。


日本にいた時に読んだラノベで、いつかオークの肉を食べてみたいと思っていた。

実際にそれが実現するとは、当時は夢にも考えられなかった。


オークのスペアリブ(?)は、もちろんエールに合うが濃厚なワインにも良く合うだろう。


最後に残った肉は、スライスされた肉を焼かずに蒸した料理。

別皿に用意されたタレにさっとつけて食べるらしい。

今度の魔獣肉は他の2品よりも、ずっとあっさりしてそうだ。

ただ、この肉特有の臭みがあり、好き嫌いは分かれるとのこと。

どうやら、この肉は普段はあまり食べることが出来ないレア肉のようだ。

すだちによく似た柑橘系の果実を絞ってかけて食べることを勧められている。

一体何の肉だろう。



口に入れると臭み対策はしているようだが、それでも獣臭さがうっすらと残っている。

生姜醤油に近い味わいのタレに、柑橘系の酸味。

脂身も少ないのであっさりと食べられる。

ただ、僕には少々クセが強い。

肉というよりは珍味を食べているという印象だ。


個人的にはタレはもう少し濃い目で、さわやかな酸味よりも中華風の醬をひとかけ乗せてピリリと辛い味わいを足してほしい。

こってりとした2品が続いているので、さわやかなこの料理があってもいいのかもしれない。

もちろんエールとの相性はバッチリだ。

獣肉特有の臭みが、エールの苦みで緩和されているようにも感じる。


「これは、ワイルドウルフの肉なんですよ」


えっ、僕が倒したあのワイルドウルフ?

でもどうやって?

倒したまま、放置したよね?


「実はあの後、使いのものを呼んで素材を回収しに行ったのです。あのレア素材をそのままなんてもったいないですからね。おかげでいい値で売れました」


さすが商人というべきなんだろう。

ちゃっかりと儲けている。

僕が倒したワイルドウルフを今ここで食べているんだ。

なかなか感慨深いものがある。

これが猟師の気持ちか。

まさか異世界に来て、こんな気持ちを味わうなんて。


「さあさあミツルさん。今夜はたっぷりと飲み明かしますよ」


次々に料理とエールを注文するモルジー。

僕の食レポ生活はこの店から始まったのだ。

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