第10章:バロックの終焉、古典派の幕開け
バッハの死と音楽史の転換点
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの死(1750年)は、音楽史上の重要な節目とされています。バッハの死は、一般的にバロック時代の終わりと古典派の始まりを象徴する出来事と捉えられています。
バッハの音楽は、バロック音楽の最も洗練された表現とも言えるもので、複雑な多声部技法、厳格な形式、そして深い宗教性を特徴としています。しかし、彼の死後、音楽の風潮は明らかに変化しました。新たな時代、すなわち古典派の時代が幕を開け、音楽はよりシンプルで明瞭な構造、自然で親しみやすい旋律、そしてより直感的で人間的な表現を追求するようになりました。
### 古典派への橋渡し
バッハの死後、音楽のスタイルと形式は大きく変化しましたが、バロック音楽から古典派への移行は一夜にして起こったわけではありません。この時期に活躍した作曲家たちは、バロックの伝統を受け継ぎつつ、新しい音楽的表現を探求しました。
その中でも特に重要な役割を果たしたのが、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハとヨハン・クリスティアン・バッハであり、彼らはヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子たちです。彼らは父の伝統を受け継ぎつつも、新しい感性と表現手法を音楽に取り入れ、古典派の音楽言語の形成に大きく寄与しました。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714年3月8日 - 1788年12月14日) は、ドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハと最初の妻マリア・バルバラの次男であり、「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」などと呼ばれています。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの音楽は、「感情の表現主義」(Empfindsamkeit)のスタイルで知られ、極めて個人的で情感豊かな表現が特徴です。一方、ヨハン・クリスティアン・バッハは、ロンドンで活動し、イタリアオペラのスタイルや古典派の形式を取り入れた作品を多く残しました。
ヨハン・クリスティアン・バッハ (Johann Christian Bach, 1735年9月5日 - 1782年1月1日) は、ドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの末息子であり、「ロンドンのバッハ」と呼ばれています。
### まとめ
バッハの死は、音楽史上の重要な節目とされ、バロック時代の終わりと古典派の始まりを象徴する出来事となりました。しかし、その後の音楽の発展は、バッハとその時代が築いた音楽的な伝統と、新しい時代の感性とが融合する形で進んでいきました。バッハの息子たちや、彼らと同時代の作曲家たちは、バロック音楽の遺産を生かしつつ、新たな音楽的表現を追求し、古典派の音楽言語を形成していきました。
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