第2話 ????の邂逅

 夢。

 夢を見ている。

 甘やかで穏やかな夢。

 自分が水面下で望んでいたと思しき幻想の万華鏡。

 子猫になってたと思ったら親猫に毛づくろいされてて。

 マシュマロに包まれていると思ったらシロップに溶かされていて。

 もう肉体も思考もいらない。

 痛みや苦しみ、痛覚や不快物質などの夾雑物一切合切がいらない。

 このしあわせな夢でぬくもりに浸れるなら余計なものは必要ない。

 一生このぬくもりに浸っていたい。

 永遠にしあわせなユートピアで過ごしていたい。

 そんな知性のとろけたわたしを一瞬だけ正気にもどしたのはかすかな違和感。

 悪意とはちがう、しかしかすかな邪気の孕んだ視線で覗かれている。

 食虫植物に捕らわれて涅槃の境地にいる哀れな虫たち。

 蜘蛛の巣に囚らわれて解脱の境地にいる愚かな虫たち。

 そう、わたしは虫だ。

 刹那の生と永遠の死を取り違えた馬鹿な虫。

 いや、わたしは人だ。

 永劫の生と須臾の死を取り違えることのない聡明な人。

 鮮明な思考でドロドロの液体ジェル状にとろけたはずの躰を直ちに再生。

 視界に収まりしは右手に輝く妖しい紫水晶の光。




 まずい。

 わたしが目を開けると目を閉じた《水晶メジ魔女》が永遠の誓いの儀式キスをするかのように尻の穴もとい口の穴をすぼめてカラスの求愛行動のごとくわたしのお口めざして大気圏突入。

 クソが。

 ばきいいいいいいいいいっ。

 渾身のカウンターが容赦なく炸裂。弾丸ライナーよろしく公園外まで彼女をド派手に吹っ飛ばし敷地のフェンスおよび路上の樹木5、6本をまとめてなぎ倒してしまう。まるで台風一過のごとき壮観な光景だ。

 貞操の危機から脱出しあらためて辺りを見渡す。それは昨日見た不思議な夢の光景そのままだった。

 真夜中の公園。

 無謀な都市計画によって無慈悲な廃墟と化したゴー環状スト幽霊街タウン

周囲五千メートル以内には人の気配がなく、上空一万六千光年以内には名も無き星々が辛うじて肉眼で視認できる小さな光をささやくように讃えている。

 《少女ショート殺人サーキッ》を殺すにはうってつけの夜。


 ───なぜ・・わたし・・・そんな・・・こと・・認識・・できて・・・いる・・


 夢の世界のはずなのに緻密で詳細で論理で繋がった膨大な設定にまつわる脳のエピソード記憶を持ち合わせている。夢のなか特有の灰色めいた非現実感が欠片もない。逆にいうと現実でのみ味わえるはずの鮮明な意識や感覚がここにはある。さらにいえばこれだけ「夢を見ている」という意識があってそれに根差した推論や思考を繰り広げて脳細胞が活性化しているにもかかわらず一向に目が覚める気配がない。これはもはやただの夢ではないことを意味している。

 明晰夢?

 予知夢?

 正夢?

 否。

 これは───

「ひっどおおおおおおおいいいいいいいい!!!菫ちゃん、さいってええええええええええええええええええええええ!!!!!」

 ちっ。生きてたか。

 わたしの解答を阻むかのように幼子のごとく泣きじゃくる紫の魔女。

 どういう肉体構造をしているのか傷ひとつ見当たらず血一滴すらこぼれていない。

 そして何を勘違いしたのか急に泣き止むと明後日の方向のことを言い出して赤らめた頬を両手で押さえつついい年して躰を烏賊か蛸の軟体動物のようにふるふるくねくね。キモイ。

「あ、これってもしかしておねえちゃんへの照れ隠し?菫ちゃん不器用ちゃんだからこんなことしちゃったのかな?もう、素直じゃないんだから」

 んな訳あるか。

 とどめを刺すべく拳をぽきぽき鳴らしつつ歩みを進める。

 慈悲はない。くたb「でも、もうこんなおいたしちゃメッ、だよ?」

「……………ッッ」

「わかった?」

「……ハイ」

「ん、よろしい」

 満足そうにそういうと背中から首元にかけての魔女の両手の縛めが解かれる。

 時間差で大量の汗が背中から滝のように流れ落ちる。

 殺意とか害意とか攻撃力とか暗殺力とかそんな生易しいものじゃない。

 生物としての格、生命としての順位、存在としてのステージ。

 すべてにおいてわたしと持っているものがちがいすぎる。

 断言できる。

 こいつがその気になったらわたしなどシャーペンで書いた絵文字を消しゴムで消すよりもたやすく存在ごとこの世から消してしまえる、と。昨晩わたしが《少女殺人鬼》を五体不満足になってようやくこの世から抹消できたのが馬鹿らしくなるくらいのコスパの良さで。

 彼女も《死星七シスタ姉妹ーズ》のひとりなのだろうか。

 そんなわたしの思案顔を自分に対する疑問符と受け取ったのか、

「ん?なにか聞きたいことがあったらなんでも聞いちゃっていいよー。おねえちゃんにまっかせっなさーい!」

「なんでも?」

「なんでも!」

 オレオレ詐欺とかに簡単に引っ掛かりそうな無邪気な口調。みているこっちがひやひやする。

「菫ちゃんのことは、いちおう《水晶メジ魔女》お付きの魔法少女として《死星七あのひと姉妹たち》に紹介しなきゃだからね。ワタシもまだ《死星七シスタ姉妹ーズ》になったばかりだし、会う前にあのひとたちと菫ちゃんとの顔つなぎを通して親睦を深めたいって魂胆なわけですよ。ワーハッハッハ」

 ひとしきり豪快に笑い飛ばしてみせると、

「あ、でも菫ちゃんはもう面識あったっけ?たしかあの呪文教えたって《黄金狂ゴールド魔女ッシュ》さんから聞いたけど」

「ゴールド……西部開拓時代?」

「ちがうちがう。おねえちゃんとおんなじ《死星七姉妹》のひとり。天獄の魔女は最上位世界の超越存在だから基本この百合世界に対し不干渉不介入を原則としているけど、例外もある。菫ちゃんが《死星七姉妹》と面会できたのもそのうちのひとつ。特にあのひとは天獄の魔女としては少数派で異端派らしく、最上位世界とは異質な下位世界との縦断的な交流にこそ新たな天獄の扉を開ける鍵がある、黄金の輝きが宿ると主張して、例外適用の範囲を広げるよう訴えてきたみたい。菫ちゃんに《少女殺人鬼》を止められる究極魔法【不死の弔鐘】の移植手術にも《死星七姉妹》として正式に賛同してくれた…し……?」

 どうしたんだろう。急に語尾が疑問形に。さっきまでの笑顔が訝しむというかもしかしてやっちまった?みたいな、例えていえば麦茶とめんつゆ間違えて飲んじゃった時みたいな顔に。

「……菫さん」

「は、はい」

「もしかして、ですけど、あなたがあの子を止めるために動いた理由っていまでも覚えてたりします?」

 なんだろう。とてつもなくめんどくさいことになりそうな空気。

 あの子ってあいつ、《少女殺人鬼》のことだろう。

 なら。

「───を殺されたから」

「………………」

「………………」

「な゛ん゛で゛覚゛え゛て゛る゛の゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!?」

「覚えてて悪いのかよ!!!?」

 ぐるぐるおめめで半狂乱になって少女わたしの胸元を掴み上げる紫の魔女。絵面がヤバすぎる。

「悪゛い゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!あ゛あ゛あ゛まさか魔女がこの世界に臨界しただけで過去の夢と未来の現実をつないじゃうなんて夢にも思わないでしょうがあああああああああ!!!!?てかあいつらなんでワタシに教えてくれなかったのおおおおおおおおおおおお!!!!?もしかしてこれ全部ワタシが後始末するやつなのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 新人研修でろくすっぽ仕事を教えられぬまま現場の最前線に放り出された新入社員みたいな悲鳴。その後、頭を抱えたまましばらくブツブツと恨み言を述べていたが急にニコニコ笑顔になってこちらに振り向く。気持ち悪い。

「菫ちゃん」

「留守です」

「記憶を消し去って現実で目覚めるのと記憶を持ったまま夢で魔女裁判にかけられるのどっちがいい?」

「どっちも嫌です」

 こちらもニコニコ笑顔で対応。目の前の魔女が見た目によらず可愛らしい舌を唾液でチロチロ光らせて唇を湿らせつつこっち来るな寄るな離れろボケがあああああああああああああ。

「あ、おねえちゃんのおススメは断然前者ですよ。魔女の唾液には欠損した手足の修復作用のほかにも頭痛、肩こり、腰痛、神経痛、その他スムーズな睡眠作用もあるから不眠症のあなたも安心。記憶消去の副作用はあるけど誤差の範囲だから別にいいよね?」

「全然よくねえよ」

 王子様のキスでお姫様が目覚めるのは知ってるけど悪い魔女のキスで眠りにつくとか聞いたこともない斬新なパターン。てかすごいな魔女の唾液。カプセルにいれて万能薬として売り出したら一財産築けそう。そんな益体もないことを脳が自動思考するのはまさにいま目の前に迫る危機からの現実逃避の一手なわけで。

 口の穴をすぼめての第二次大気圏突入を試みる魔女に両手全ツッパであらがうわたし。

 その気になればわたしのくちびるなんぞダース単位/秒時間で奪えるだろうにそうしないのは奪うまでの愉悦する過程とわたしの顔が負の感情で醜くゆがむ瞬間を二重に愉しむためだろう。この変態。

そうこうしているうちに公園の彼方が白んでくる。朝日が差し込む。吸血鬼映画だったら灰になって崩れ落ちて泣き笑顔のヒロインにエンドロール流れて全部ハッピー解決エンドな必勝パターンなのに。

 わたしのくちびるまであとわずか10cm。覚悟を決めてヤツのすぼめた尻の穴もとい口の穴ごと噛みちぎろうと犬歯を光らせたその時、


 ───《紫水晶の魔女》。なにをやっている。


 不意に脳内に響き渡るおごそかな声。

 それは変態魔女もおなじだったのだろう、わたしのくちびるまでハナ差1cmと迫ったところでビクン、と天敵の気配で背筋が総毛だった猫のような跳躍力ではるか後方へと飛びのく。周囲をきょろきょろ見渡すも声の主らしき姿は影も形も見当たらない。まるで不可視の神様が地上の迷える民草に夜明けの神託を授けている宗教画のよう。

「……ご、《黄金狂の魔女》さん?」

 ───名前で呼ぶな。儂のことは先生と呼べ。

「いや、あなたちっちゃくてかわいらしいから先生なんて呼ぶ心持ちにはとてもとてm──ナンデゴザイマショウカ先生」

 ───よし。

 いいのか。目の前の弟子が白目で糸で操られた人形みたいなカクカク動きになっているけど。

 魔女の徒弟制度のリアルを目の当たりにして目を白黒させていると、

 ───扶草菫。不肖の弟子が迷惑をかけて済まぬ。申し訳ないが、いまはお帰り願おう。

「ちょっとゴルちゃ、じゃなくて先生!菫ちゃんは過去の記憶とつながったままこっち来ちゃっているんですよ!?このまま返したら世界線の時系列が混乱して収拾のつかないことに」

 急に正気を取り戻した不肖の弟子がめずらしく真っ当な反論。しかし、師匠には想定内のことだったのだろう、続く声色の波長は露乱れることなく。

 ───その程度誤差の範囲よ。むしろ下手に記憶を消す方が儂らの干渉という事実記載によってこの世界に悪影響を及ぼすやもしれん。

「ですが」

 ───そんなことより勝手に出かけおったうぬのペナルティ、決まったからの。

「は?」

 ───【シーシュポスの神話作成プログラミング】。これは懲罰委員会での正式な決定事項じゃから遅滞なく遂行するように。

「ちょぉっ!!!?なんでワタシがあんな賽の河原の石積みみたいなクッッッソしんどい単純退屈微弱魔力供給作業を────」

───儂らがあれほど魔女の下位世界に臨界する際の遵守事項を口を酸っぱくして言ったのに馬耳東風で堂々となんの擬態も擬装もこらさず魔力奔流の抑制すら行わずほんの一瞬とはいえ世界改変すら行った掟破りの愚かな魔女はどこのどいつじゃ~?

「あ、あのときはあんなかわいらしい子がワタシのお付きの魔法少女になるって聞いて、ついうっきうきで心ここにあらずというか。というわけでどうか情状酌量の余地をですね」

 ───なるか戯けええっ!!!まったく、本来なら天獄追放の上魔女の魂剥奪でもおかしくなかったのじゃぞ!!!実質叱責程度にとどめてくれた懲罰委員会の温情に感謝せえよ。

「温情じゃないですよ無情ですよ!!!あんな無間地獄実質死刑宣告ですよ!!!!断固異議申し立てを──」

 ガコッ。

 聞き覚えのあるBGMとともに天獄の釜へと通じる異次元穴が開き無情にもボッシュートされる紫の魔女。コンマ数秒、犬掻きのように手足ジタバタさせるも所詮悪あがきに過ぎなかったか、今際の際で思い出しそうな呪いの絶叫を残して落下。

「ぐおおおおおおおおおおおおねえちゃんキスするまでくたばりませんよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 ───…………。

「……………」

 ───扶草菫。なんというか不肖の弟子が申し訳ない……。

「アッ、イエ……」

 どっと疲れたご様子のお爺ちゃん魔女にわたしもおなじく疲労困憊ゆえの同情というか共感由来の憐憫めいたものを感じる。なんだろう。あそこまで突き抜けてしまうともはやあきれるを通り越して感心すら覚えてしまう。決して近寄りたくない存在だけど。

 ───儂は《死星七姉妹》という立場上何も言えんが主のことは応援しておる。どうか健やかに成長し望みし運命を掴み取らんことを。

 そういうと夜明けの光がわたしをめがけて一陣の風のように吹き込んでくる。

 それは曇りなき黄金の輝き。

 目覚めをうながすはずの光はかくあれかし、と女神が望むままに、現実での目覚めすなわち夢での眠りをうながす。

 意識が溶ける間際、彼女のやさしい声が孫のわたしを見送る田舎の祖父母のように脳裏をやさしくかすめる。


───現世うつしよは夢。夜の夢こそまこと。扶草菫。よい現世ゆめを。

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