プロローグ

「ざまあ」


 お嬢様らしからぬ下卑た口調で無い中指を突き立ててみせる。

 手首より先が無い右腕から熱く煮え滾った血潮ジャムがごぽごぽ噴出するのをどろどろの血眼ちめで虚ろに見つめる。

 紅い視界の先であいつが塵ひとつ残さず消滅するのを見届ける。

 体が寒い。

 血唾混じりにヒューヒュー唸る喉笛が鬱陶しい。

 どうやら残された時間は短いようだ。

 真っ赤に錆びたブランコに五体不満足と化した躰を委ねることにする。

 真夜中の公園。

 無謀な都市計画によって無慈悲な廃墟と化した環状ースト幽霊街タウン

 周囲五千メートル以内には人の気配がなく、上空一万六千光年以内には名も無き星々が辛うじて肉眼で視認できる小さな光をささやくように讃えている。

 少女の死闘を静謐に見守ってくれた無名の観客たち。

 そして最前列で惜しみない拍手の光を降り注ぐ孤高の満月。

 《少女ショート殺人サーキッ》を殺すにはうってつけの夜。

 とはいえ、本当に殺せるとは思わなかったけど。

 唯一の勝因は魔法。


 【不死エタ弔鐘ナル


 天獄の魔女《死星七シスタ姉妹ーズ》のみ詠唱可能とされる究極魔法。

 人の領域ではおおよそ理解不能な超圧縮概念による魔鐘の調べ。

 あえて人語に翻訳すれば次のような箴言になるだろう。


 >世界の顔なき顔の皮を剥いで真理を突き止めよ。

 >存在の声なき声の喉を潰して世界を堰き止めよ。

 >真理の心なき心の魂を消して存在を繋ぎ止めよ。


 これが何を意味するのかはわからない。

 唯一言えるのは、これを詠唱してようやく《少女殺人鬼》という規格外の存在、少女の皮を被った不死の化け物を殺せるかどうかの賭けが大穴狙いで成立するということ。

 ちょっとステータスに恵まれただけの中学生になんという無理難題を。

 まあ、やりましたけどね。

 無論、代償は大きかった。

 四肢で欠損していない箇所を見つけるほうが難しく、ほぼダルマ状態。

 文字通り体を張った英雄的行為に警視総監から感謝状でもいただきたいくらいのところだけど、残念ながらそれは難しいようだ。

 出血多量による失血死。

 否。

 究極魔法の対価。

 魂の剥奪。

 すでに体の輪郭がぼやけ、自他の境界が曖昧になっているのがわかる。

 それは自分が一粒の水滴と化して大河へと跡形もなく消え去るイメージ。

 消える。

 この世から消える。

 塵も残さず消える。

 誰の記憶からも忘れ去られる。

 なぜ。

 それは。

 あいつを斃すことを決意した時点でわたしもあいつと同類の化け物に成り果てていたのかもしれない。

 だから世界はわたしを拒絶するのかもしれない。

 まあいい。

 これであの子が《少女殺人鬼》に殺される未来線は潰えた。

 あの子の未来にわたしが一緒にいられないのは残念だけど。

 わたしの未来にあの子がいなくなるよりはずっといい。

 あの子さえ生きていたらそれでいい。

 ああ。

 あの子への想いで精一杯繋ぎとめた意識ももう限界のようだ。

 消える。

 この世から消える。

 塵も残さず消える。

 誰の記憶からも忘れ去られる。

 あの子の記憶からも。

 どうか彼女の未来に、精一杯の幸あらんことを―――




「えらいっ!!!」


 きいんきいん。

 最大震度7強の大音声だいおんじょうがひび割れた少女わたしの頭蓋を直撃する。

 誰だ。

 不機嫌そうに声の主を見ようとするも彼女はわたしの血だるまボディをぎゅっと抱きしめて手足や腹部から血や肉や脂や腸がぼろぼろ自分の顔に降りかかるのも構わず厭わず赤ん坊をあやす母親のように笑顔で高い高いする。

 紫。

 服も靴も髪も瞳も爪も唇も何もかも紫で統一された女。

 まるで異世界の魔女のような風貌。

 魔女。

 しかしそんな風貌とは裏腹に天使のような無垢な笑顔と子供のような無邪気な大声で彼女はわたしを祝福する。

「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」

 うるせえ。

 反論しようにも口中血だらけ傷だらけでうまくしゃべれない。

 そんな寡黙なわたしとは対照的に彼女のおしゃべりは加速度的にヒートアップ。

「まさかあの子を止めるなんてこのおねえちゃんの目をもってしても見抜けなかったわ。これって全米が泣いたってやつだから映画よね!それも百合映画!主人公の女の子が大切なお友達を救うために我が身を犠牲にする虹色オンリーワンな感動巨編!百年の永きにわたる映画史に燦然と輝く新たな歴史の一頁が追加されたかと思うとおねえちゃんもう胸がいっぱいで尊さがスーパーマックス極まって感情の極みが新宇宙創っちゃうくらい最高にハイってやつだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「うるひゃい(ぺっ)」

「ああっ!?菫ちゃんの血唾と奥歯がおねえちゃんの眼球を直撃ぃ!!?これなんてご褒美ぃぃぃ!!?」

 ゴロゴロ派手にのた打ち回る彼女をジト目で蔑みつつ確信する。

 こいつは変態だ。

 間違いない。

 人生最後の場面でなんでこんなのと遭遇しなきゃならんのか。

 さっさと舌噛み切ってこの糞ったれな人生にティロフィナーレしよう。

 少し欠けた、けど舌を噛み切るには充分なモース硬度7を備えた煌めく前歯を荘厳なギロチン台のようにセットして王室貴族ではない一般少女の美味しそうな首もとい舌を――

「だーめ❤」

「!?」

 蠱惑的な吐息と共にわたしの舌に蛇のように巻きつけられる紫色のハンカチ。

 目にも止まらぬ匠の早業。

 いつの間に背後を取られたのか。

 首筋に冷たい刃を当てられたかのように一寸も動けないわたしに彼女は採れたて葡萄のように甘やかな瑞々しい声でささやく。

「菫ちゃんにはこれからも一緒にいてもらわないと困るんだから」

「……はひ?」

「こんなところでお別れしちゃダメだよ。ね?」

 そういって同じく匠の早業でハンカチの戒めを解くと同時に歯ブラシ以外の侵入を許したことがないおくちという名の処女宮は意外にも可愛らしい魔女の舌によって血だらけ傷だらけの舌や歯や歯茎や咽喉をよく言えば親猫が子猫の毛づくろいをするかの如く愛情たっぷりに悪く言えば抵抗の余地など微塵もないほど徹底的に蹂躙され尽くされ愛撫の唾液が甘い洗浄液のように容赦なく注ぎ込まれ一気に洗い流された衝撃の余りシャットダウンした意識が再起動するまで十数秒。

「…………っ!!?」

「…………ぷはあっ」

「………」

「ごちそうさまでした」

「…………」

「おいしかったです❤」

「」

「ちょ、待って。光の無い目でみぞおちに拳叩きこもうとするのやめて」

「やかましい」

 そういって手首から先が無い拳を構えて――。

 否。

 手首から先がある。

 それどころか欠損していた他の部位も再生済み。

 血だらけだったおくちのなかもきれいさっぱり元通り。

 グレープ味めいたフルーティーな香気が口いっぱいに広がって。

 戸惑うわたしにロリコン痴女はぐっとガッツポーズ。

「よし」

「よし、じゃねーよ」

「でも治ったでしょ?」

「…………(ぺこり)」

「不機嫌そうな顔しながらもお礼を忘れないその律義さ、おねえちゃんは好きだよ」

「やかましい」

「かわいい❤」

 口元にこぶしを当てて目を細めるしぐさ、めっちゃ腹立つ。

 そもそもこいつは何者なのか。

 わたしの名前はもちろん《少女殺人鬼》のことも知っていたみたいだけど。

 つまり。

「目的は?」

「ん?」

「わたしを助けてくれた目的。お金?」

 お金だったら話は簡単だ。

 あのひとなら間違いなく払ってくれる。

 それこそ国家予算にも匹敵する大金を惜しげもなく。

 そんなわたしの願いを彼女は一笑に付す。

「まさか。菫ちゃんの対価がお金如きで釣り合うと思う?」

「……カラダ」

「ん?」

「わたしを助けてくれた目的。……からだ?」

「💛(ジュルリ)」

 ずざざっ。

「イヤダナア冗談ダヨ?」

 絶対嘘だ。

 目が全然笑っていないし。

 あと舌なめずりの音やめろ。

「まあ冗談はこの辺にして」

「どの辺がだよ!?」

「まじめに菫ちゃんのことが欲しいんだよね――いや躰じゃなくて人材的な意味で」

「人材?」

「そ。あの子を止めた菫ちゃんの力が是非欲しい」

 一転して真摯さと誠実さに目を潤ませる。

 一呼吸置いてから告げられる衝撃の一言。


「魔法少女」


「え?」

「おねえちゃんの魔法少女になって」

 どくん。

 心臓が警鐘アラームのように跳ね上がる。

 それはどこかで聞いたことがある記憶。

 それはどこかで見たことがある光景。

 既視感デジャヴ

 運命フェイト


「そういえば自己紹介がまだだったっけ」


 不意に世界が色彩を変える。

 無数のオオムラサキが舞い乱れる。

 虚数の紫陽花が狂い咲く。

 乱数の藤の花がしな垂れる。

 無理数の紫影たちが手に手を取り合いかごめかごめを踊っている。

 精神汚染した脳内世界が紫の多重グラデーションに染まり狂気の渦に笑いさざめく最中、花粉と鱗粉と煙粉のミックスジュースが一気にわたしの気管支に雪崩れ込みこちらも狂笑するかのような噎せ返りを催す。

 口の処女はじめてだけでなく肺の処女はじめてまで奪うつもりかこん畜生。

 激しく噎せ返るわたしのすぐ目の前に紫の魔女は音も無くそれこそ口づけしそうなくらいに急接近し第二次処女大戦かとすわ身構えるも一転、わたしの足を舐めそうなくらいに低く恭しく跪いて。

 そして一呼吸置いてから告げられる。

 彼女の二つ名を。


 ――――《紫水晶アメジ魔女》。


「これからもよろしくね、そうすみれちゃん?」

 そう言ってリングケースから恭しく差し出されたのは紫水晶の指輪。

 どくん。

 再度跳ね上がる心臓。

 まるで妖しい紫の輝きと同調するかのように。

 再生したばかりの中指に魔女の手際の良さによって寸分の狂いも迷いもなく滑らかに嵌められていく様を見てわたしは確信する。




 ああ、これは史上最悪の運命プロポーズだ、と―――。


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