第21話 走って走る
そのまま街をのんびりと歩き続け、とある門に差し掛かった時。
「お待ちください」
ぴりりとおれらの間に緊張が走る。ちらりと視線を交わし、次いでどちらからともなくゆっくり振り返る。
そこには剣を佩き、槍を持ち、武装したいかにも衛兵と思しき若い男が数人立っていた。横目を使って確認できる限り、全部で四人だ。武器は昨日奪ったのも合わせてナイフ三本のみ。武装した四人に対峙にできるかは少し怪しい。
「……何ですか?」
あえてゆったりと問い返す。ここで焦れば怪しい者ですと自己紹介しているようなものなので。
「いえ、ただの調査です。この門を通過する者の居住エリアを集計していまして」
そう言う男の瞳は胡乱げで、おれらを完全に不審者として疑っている。実際不審者なんだけど。
「お勤めご苦労さまです。でも、すみませんが僕たち急いでいるんです。また今度でもいいですか?」
アベルがいたいけな青年を装って答える。おれはポケットの下でナイフを握りしめる。
「いえ、市民券を見せてもらうだけでいいんです」
市民券なんて持っているはずがない。そうか、市民券。この大国アヴェールに入れたことに安心してしまって、完全に失念していた。
「ああ、すみません。家に忘れてしまいました」
そんな嘘が通じるかはわからなかった。だって市民券なんて見たことも聞いたこともなかったのだから。市民券が持ち運ぶものではなく体に刻むものなら、と背中に汗が伝う。
目の前の男は表情を少し険しくする。その様子に周りの男らもなんだ、と集まってくる。まずい。
「忘れた? 門をくぐろうとしていたのに?」
「あはは、ちょっと焦っていて。次は持ってきますよ」
ますます男は胡乱な目つきになる。
「もしかして、門をくぐるのに市民券が必要という法律を知らないのか? アヴェール全域共通の規則なのに?」
男はそっと右手を剣の柄に手を当てた。まずい。
「少しこちらに来てもらえま――」
「『ご挨拶』」
衛兵が言い終わる前にアベルがおれの耳元で囁いた。呪文の詠唱なら少しは役に立ったのだろうが、なんてことはない。ただのいたずらがバレて逃げるときのサインだ。マスターが生きていた頃の悪ガキ時代の産物がここで役に立つとは。
頷くよりも先におれは駆け出した。誰にも止められないように、全速力。頬を撫でる冷たい風が心地よかった。まるで身に余る自由を浴びているようで。だってユートピアでは自由に走ることすらできなかったのだから。
ふと隣を見ると笑いながら駆けている片割れの姿。何が楽しいのだろうか。何だかおれまで釣られて笑えてきた。
「ははっ、たのしいな、カイン!」
そう笑いかけてくるアベルの背後でびゅんびゅんと景色が流れていく。もう誰も追いつけない。
おれたちは衛兵たちの怒号を背景に、全く同じ走り方、表情で街を走り抜けた。
追手は三人。脱兎のごとく走って走って、走る。
とはいえ、いくら鍛えていても走るのには限界があるし、地理がわからないおれらは明らかに不利だった。このまま徒に体力を消費するのは余りにもバカだ。鍛えているおれはまだしも、アベルはもう少しタイムリミットが近そうで。さてどうしようかと酸欠気味の頭で考えていた矢先、
「こっちだ!」
不意に路地裏から手招きするような声が聞こえた。おそらく若い男の声。罠かもしれない。しかしこのまま走っていても体力切れでゲームオーバー。ならば賭けに出るしかない。アベルと視線を交わす。頷いて、おれらは声のする方へと飛び込んだ。異物を受け入れるのはいつだって路地裏だから。
「早く、もっと奥へ」
小柄な影に誘われておれらは路地の深くへと潜り込む。
真っ白な表通りとは違って、裏路地は暗闇に塗りつぶされて真っ黒だった。目が慣れるまでもう少し。視界の悪い中、小柄な影を見失わないようにしながら壁伝いに歩く。
角を曲がって、曲がって、曲がって。すぐに光り輝く大通りは見えなくなった。
残ったのは静寂のみ。喧騒だって太陽の光だって遮断されて、ここはやけにひっそりとしている。
果てしない暗闇を歩く。闇と闇が蠢いて、しかし饐えた臭気が意識を現実に引き戻す。その繰り返し。
歩いて、歩いて、歩いているのか足を交互に突き出しているのかわからなくなってきた頃。思考が幾分と冷静さを取り戻し、これは罠かと疑いだした頃。そこで、くるりと先導していた影が振り返った。
「いやー危なかったっすね、お客さん」
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