第8話 埋もれる産声
冬が来て、春が来て、夏が来て、秋が来て、また冬がやってくる。
そしてこの何の変哲もないユートピアでも子供は生まれる。だからユートピアは今も集落として存在しているのだ。
今度また一つの命が誕生するらしい。どこからを命と定義するかは別にして、一人の赤子が生まれるのだ。
「もうすぐ生まれるかな」
おれらは出産のために設けられた部屋の隣でカードゲームをしていた。おれらが勝手に余った紙で作ったカード、自分たちで考え出したゲーム。
ここは物置部屋だったが、誰も寄り付かないので好都合だった。別に出産が気になっていたわけではない。この物置部屋が出産部屋の隣だったのだ。ただそれだけ。
「さあな。――次、お前の番だぞ」
手に持っていたカードを捨てて片割れにターンを譲る。くそ、もう少しで上がりそうだったのに。
外では雷鳴が唸り声を上げている。まだ昼だというのに空は真っ暗だ。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
ごろごろ。ごろごろ。
──そこに混じって、何かの声が聞こえた。
「ああ、生まれたな」
アベルがカードを引きながらぽつりと言った。なるほど、これが産声。
おぎゃあ、おぎゃあ。そうやって赤子はなくと聞いていたが、壁越しに聴こえた声は違った。想像していたよりも随分生々しくて激しくて軽やかだった。
「可哀想に」
これはどちらがこぼした言葉がわからない。おれかもしれないし、アベルかもしれない。でもおれら二人が考えていることは同じだった。おれの順番が回ってきて、またカードを捨てる。くそ、今日はついていない。
このユートピアでは赤子は平等に育てられる。そこに母親やら父親やらの区別はない。
ユートピアに暮らすものは皆同じ屋根の下にいるけれど、家族であるものはいない。血縁かどうかに関わらず、平等に家族じゃないのだ。
今生まれた彼、もしくは彼女は、母親の顔も父親の顔も記憶する前に引き離される。平等に、乳母役の当番を与えられた誰かに代わる代わる育てられるのだ。
小説に出てくるような、母子やら父子やらの愛情なんて程遠い世界。温かい家族なんて幻想だ。そして平等の環の中で雁字搦めになって生きるのだ。
ああ可哀想。
おれらも捨て子だったらしいから、人のことは言えないのだけれど。
「おれらの母親の顔ってどんなだったんだろうな」
ぼそりとアベルが呟いた。アベルらしくない不毛な質問だ。
「さあな。こんなおれらを生んだんだ、きっと碌でもないやつさ。取るにたらない、有象無象の一人。もう死んでるかもしれないけど」
「やけに辛辣だな」
アベルに指摘されてようやく自分の言葉を反芻する。そこまで辛辣だったか。自覚なんてなかったから少しだけ驚いた。
「まあ、他人だし。どうせ会ってもわからないんだ、考えていても仕方がないだろう?」
おれもアベルも、『あたたかい家族』とは無縁だった。ただ本で読んだだけ。相思相愛の王子とお姫様、愛を与える両親と子供。どちらも等しく御伽話の世界だった。
「なあ、カイン知ってるか?」
アベルのやけに確信に満ちた声に思考が遮られる。顔を上げると笑みを浮かべた片割れの顔が視界一杯に広がった。少し伸びた真っ直ぐな黒髪に琥珀の瞳。おれとほとんど同じ顔。
「何を?」
笑みが一層深くなる。
「可哀想っていうやつが可哀想らしいぜ」
ニヤニヤと笑いながら言うのでおれは舌打ちしてまだ成長前のやわい頬をつねってやった。カードを引く。また外れ。手元のカードは悪く、まだまだ上がれそうにない。ああ、やっぱり今日は厄日かもしれない。
ふと産声の合間にさああと音がしたので、窓の方を見る。とうとう雨が降り始めたようだ。雨の中の訓練は嫌だなと、どこか他人事のように思った。
割れた窓ガラスがそのままになっていてみすぼらしい。その先に広がるのは一面の灰色。のっぺりと平坦で、退屈な景色。
まるでこのユートピアみたいだった。そしておれの心情と同じ。
んぎゃあ、んぎゃあ。
雨音に産声がくぐもって聞こえる。ああ可哀想。
ああ、そうだ──おめでとう。
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