バイバイ、ハムちゃん
マツダセイウチ
第1話
とっとこハム太郎のヒットによるハムスターブームが起こる少し前、私はハムスターを買ってもらった。本当は猫が飼いたかったのだが、当時我が家は賃貸で猫は飼えなかった。でも何か動物が飼いたいと両親に言ったところ、ハムスターならいいだろうという話になった。それがハムスターを飼うきっかけだった。
私は両親にペットショップに連れて行ってもらった。ガラスの水槽を覗くと、赤ちゃんのハムスターが餌を食べたり、寝ていたり思い思いに過ごしていた。ハムスターはその時ゴールデンハムスターとジャンガリアンハムスターの2種類がいた。ゴールデンハムスターは体が大きくて怖かったので、小さいジャンガリアンハムスターにすることにした。
ハムスターの種類を決めたのは私だったような気がするが、どの個体を買うか決めたのは何故か父だった。会計をする父を店から離れたところで母と待っていると、小さな箱と飼育グッズ一式を持った父が戻ってきた。そして小さな紙製の、穴が二つ開いた箱を私に
「ほら」
と手渡した。小さな穴を覗き込むと、中で小さなハムスターが動き回っているのが見えた。選んだ決め手を後程父に聞いたら
「一番元気に動き回っていたから」
と言っていた。
家族になるには名前をつけなければいけない。私は当時幼すぎて名前を考えることができなかったため、両親が名前をつけた。その名も「ハムちゃん」だ。そのまんますぎるネーミングだが、とにかくこれでハムちゃんはうちの家族の一員となった。
ハムちゃんは見た目に似合わずとても反抗的で凶暴なハムスターだった。脱走は数知れず、人間には全くなつかず触られようものなら流血するまで噛みついた。家族や友達はハムちゃんを恐れ、誰も触らなかった。ハムちゃんに触れるのは私だけだった。私自身何度も血が出るほど噛まれたが、諦めずに手の上におやつを乗せてハムちゃんが手に乗ってくれるのを根気強く待った。馴れるまで時間がかかったが、その甲斐あってハムちゃんは私だけは噛まず、手の上で寝るほど懐いてくれた。私はハムちゃんと一緒におやつを食べたり、部屋を散歩させたり、時々外の公園にも連れていったりして楽しい日々を過ごした。
ハムちゃんはあまり病気をせずとても丈夫だった。赤内障と白内障になったくらいだ。どちらも生命を脅かすような病気ではない。でも丈夫だからと言って不死身なわけではない。2年半を過ぎる頃、ハムちゃんは毛並みがバサバサになり、前みたいに走り回れなくなった。食も細くなった。医者に見せたりもしたが、病気なわけではないらしい。ただ単に歳をとって体が衰えているのだ。病気なら治る可能性もあるが老化はどうしようもない。私は弱っていくハムちゃんをただ見ていることしかできなかった。私は日に何度もハムちゃんの様子を確認し、ハムちゃんがまだ息をしていることに安堵した。時々小さな容器にお湯を入れて、母と一緒にハムちゃんをお風呂に入れた。本当はハムスターをお風呂に入れてはいけないのだが、ハムちゃんは歳を取りすぎて毛繕いができなくなり、そうしないと体の汚れがとんでもないことになってしまうから仕方なかった。私は子供心にハムちゃんとの日々が終わりに近いことを理解した。
そしてついにその日が訪れた。
2階でキーボードを弾く練習をしていた私を、母が呼びにきた。
「ハムちゃんが死んじゃいそうだよ」
私は慌てて1階のハムちゃんの元へ駆けつけた。ケージの中を覗くと、ハムちゃんはおがくずの上で息も絶え絶えになっていた。
「ハムちゃん!」
私が大きな声で呼びかけると、ハムちゃんは「チィッ」と小さく返事をしてくれた。ハムちゃんを手の上に乗せて撫でた。前はそうするととても気持ちよさそうにしてくれたが、今はぐったりと目を閉じたままだった。幼い私もハムちゃんの命の灯火が今まさに消えようとしているのをはっきりと感じた。
「ハムちゃん」
名前を呼ぶと、ハムちゃんはまた「チィッ」と返事をしてくれた。まだ生きているようだ。母も隣で、
「ハムちゃん」
と呼ぶと、また「チィッ」と返事をした。私と母は交互に名前を呼び、その度ハムちゃんは律儀に返事をしてくれたが、だんだんと返事は小さくなり、やがていくら呼んでも返事をしなくなった。
ハムちゃんは私の手の中で息を引き取った。死因は老衰。ジャンガリアンハムスターの平均寿命は1年~2年半といわれる中、ハムちゃんは3年という大健闘だった。
ハムちゃんの亡骸は、近所に住んでいる父方の祖母の家の庭に埋葬することになった。ハムちゃんは生前エサを入れるのに使っていた小皿に安置され、私は父が帰ってくるまでハムちゃんとの別れを惜しんだ。
家に帰ってきた父は、テーブルの小皿に死んだハムスターが乗っているのを見て驚いていたが、事情を聞いてハムちゃんのお墓を作ってくれる事になった。埋葬するとき、ハムちゃんが好きだったヒマワリの種も一緒に埋めた。父がハムちゃんに土をかけるのを見ながら「バイバイ、ハムちゃん」と呟いた。これでハムちゃんとは本当のさよならだ。最後にお線香も供えた。ハムちゃんが亡くなってからしばらく、私は祖母の家に行く度にお線香を供えていた。
ハムちゃんは小さいながらも、私に死の悲しみと生き物と暮らす楽しさを教えてくれた。もう何年も前の話だからハムちゃんはとっくに生まれ変わっているかもしれないし、そうではないかもしれない。でももしまた会えたなら、あの頃みたいに一緒におやつを食べて公園に行こう、と言うつもりで私は今日もハムちゃんがいない毎日を過ごしている。
バイバイ、ハムちゃん マツダセイウチ @seiuchi_m
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