第5話櫛
「つげ櫛だ。装飾は無い。大きさは4寸ほど」
つげ櫛とは、本つげから作られた櫛のことである。櫛として最適な硬さと粘りを持ち、静電気を起こしずらいために切れ毛を起こしにくく、櫛通りが大変良い。
「装飾のない、つげ櫛……それは、困りましたね。誰かが持ってたとしても普通すぎてわかりません」
「特徴といえば、いい感じの椿柄の櫛入れに入っているくらいか」
「椿柄の櫛入れですか? 武家の持ち物としては縁起が悪い。それに、使用人が持つには立派すぎる感じもしますね。拾ったとしても、姫の持ち物だと気づきそうなもの。届け出ないって、どういう人なのかしら?」
椿の花はぼとっと落ちる。その様が〝首が落ちるようだ〟と武家から忌み嫌われるのである。
「母上は、京都の下級貴族の出だったようで。椿は縁起物だったんだ。 櫛は代々受け継いできた物みたいで椿油がよく染みていて、使うと魔法のように髪がしっとりする。あれじゃなきゃ髪をといた気にならん。拙者、くせっ毛だし」
「使えば使うほど馴染む物ってありますよね。千歳の髪は本当にくせがありますし」
夜霧は相変わらず千歳の髪をいじっている。
「くすぐったいのだけど」
「まぁ、そう言わず。 今日は、わらわが千歳の髪をといて差し上げますほどに」
「え?」
「ほら、わらわの櫛と椿油もここに」
じゃーんと、櫛と椿油が入っているらしき小瓶を懐からだす夜霧。
夜霧の櫛も椿油を使うためのつげ櫛だが、紅葉の装飾が施されている。夜霧の季語が秋だからだろうか?
♠️
焚火の前に座る千歳。その後ろに立つ夜霧。
夜霧の手には、少量の椿油。スタイリング剤として千歳の毛先を中心に馴染ませていく。
「気持ちいい。母上に世話されているみたいだ」
気持ち良さげに目を細める千歳。身を完全に夜霧に預けている。
「わらわは、あなたの母上ですか?」
苦笑しつつもどこか楽しげな夜霧。
「あとで拙者も夜霧の髪をとくから」
「はいはい。というか。あなたの髪、結構キシキシしていてときにくいのですけど。手入れを怠ってませんか?」
「えーと…。男所帯だし、櫛は無くすし、いいかなって」
「……髪は女の命ですよ?」
「あはは」
「なんです?」
「本当に母上みたい」
「わらわは千歳の母上ではありませぬ! 嫁入り前だし、歳も同じですのに。はぁ。櫛も椿油も差し上げますから毎日、自分で手入れするのですよ。椿油は髪型を整えるだけでなく髪を洗うのに使っても髪を艶々サラサラにする効果がありますし」
「いや、流石にもらうわけには……」
「では、あなたの櫛を見つけるまで貸しておくということに。櫛を見つけ次第、わらわの櫛も返してもらいます。いかが? 千歳が自分の髪の手入れを怠るのはなんか嫌です。絶交ものですよ」
「そんなに?」
「ええ」
「じゃあ、借りとく。たまに拙者の髪の手入れを夜霧にやってもらいたいかもだけと」
「甘えん坊ですか?」
「うん」
「しょうがないですわねぇ」
「こっちも心あたりを探すからさ」
「千歳の櫛の話ですか?」
「ああ。城から出た奉公人も何人かいるし。その者が櫛を持ってるかもだし」
「じゃあ、それにも付き合って差し上げますわよ。わらわと千歳の場合、髪と目を隠さないと目立ってしまいますけど」
「尼さんにでも化けようよ」
忍法【変化の術】である。まぁ、単なる変装だが。
「了解」
髪のとかしあいっこをしながら次の逢瀬を約束する2人なのだった。
♠️
「わぁ! 夜霧の髪、しっとり艶々でサラサラだぁ。ずっといじっていられる。それにすごくいい匂い」
夜霧の髪を撫でたり、自分の頬に擦りつけたり、匂いをかいだりしてばかりの千歳。
「いたずらするだけじゃなく、ちゃんとわらわの髪の手入れをしてください!」
次の逢瀬の約束もしたが……2人はそれからも結構長い時間、戯れあった。
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