184:戸惑いの新人教育



■ラピス・アクアマリン 人魚族マーメル 女

■145歳 セイヤの奴隷 アクアマロウ海王国 第一王女



「―――というわけで、侍女としての矜持を持って事に当たらねばなりません。ご主人様は元々この世界の御方ではありませんから、何かと理解に苦しむ事もあると思います。それを否定するのは簡単ですが、侍女としてはご主人様の意向を酌む事を第一に―――」



 私はユアと共に、エメリーから侍女教育を受けている。

 なるほどと思う所もあれば、「マジで!?」と思う所も多い。


 基本的にどれも細かいのだ。

 考え方、気の配り方、姿勢、動き、思想、知識、それに加え家事や戦闘や、屋敷で過ごす上での注意事項も多い。

 侍女とは―――ご主人様の下に就くという事はこれほど大変なのかとげんなりする。



 エメリーは普段はそうでもないが、侍女長としてはかなり厳しい。

 あれだけ口うるさかったジューエル婆やが可愛く見える。

 よくまぁこの若さでこれだけの事が出来るものだと感心するばかりだ。


 しかも非戦闘系種族の多肢族リームズでありながら、侍女内では一番強いらしい。

 ミーティア曰く「エメリーさんには逆らわないで下さい」との事。


 竜人族ドラグォールも『神樹の巫女』も従える多肢族リームズってどういう事よ。

 一度戦っている所を見たい気もする。まだ若干信じていない。怖いのは分かるけど。



 中でも一番細かいのは衛生管理に関する事。そもそも『衛生管理』って言葉自体が初耳だ。

 目に見えないほど小さいスライムみたいのが居るって言われてもピンと来ない。

 でもご主人様の世界だと常識的な考えらしい。


 汚らしいのより綺麗なほうが良いとは思うけど、それにしても度が過ぎる。

 こまめな<洗浄>はもちろん、毎日の入浴、洗髪、歯みがき、肌のお手入れまで指導が入る。


 今はエメリーから教わっているけど、エメリーやミーティアはご主人様から直に教わったらしい。

 よくまぁこんな貴族子女もなかなかやらないようなお手入れを男性のご主人様が知っているものだ。

 嫌悪や呆れではなく、むしろ感心する。



「す、すいません、エメリーさん。心構えはアレですけど、その、侍女としてのお作法みたいなものが今一よく分からないのですが……」


「これから一つずつ実践していきますので一緒にやってみましょう」


「は、はい、お願いしますっ」



 同期のユアは真面目で頑張り屋だなー。

 私は王女としての教育もあったから分かる部分も多いけど、この娘はそうはいかない。

 皆に付いて行けないのが怖いのだろう、それでも何とか頑張ろうとしている。健気だわー。可愛いわー。大きいけど。



「これ、みんな同じ侍女教育受けたんでしょ? ティナとかポルとかよく理解できたわね」



 私たちの向かいに立つエメリーとミーティアに聞いてみる。

 小っちゃいあの娘たちがよくご主人様の侍女としてやっていけるものだ。



「ティナもポルも素直ですからね。あまり思い悩まず、言われたままをやっているうちに慣れた感じです」


「何も知らないからこそ吸収力が高いのかもしれません」



 なるほどなー。そういうものかしら。

 素直で可愛いのはその通りよね。思わず頭を撫でであげたくなっちゃうから。



「私もユアと同じように、頭で理解してから行動に移すタイプですから最初は苦労しました」


「ミ、ミーティアさんでもですか?」


「フロロやジイナ、ウェルシアもそのタイプですね。最初の方は全く理解できず放心状態のまま迷宮に行ったり家事仕事をしていた感じです。でも次第に非常識が日常になると言いますか、やはり慣れてくるものですよ」


「そ、そうでしょうか……」



 ミーティアも苦労したのねぇ。健気で可愛いわぁ。随分成長しちゃったけど。



「エメリーはどうだったの? 同じタイプに見えるけど」


「私の場合はご主人様が【アイロス】にやって来たタイミングからですからね。ご主人様も探り探り元いらした世界の情報を出していたので、一つずつ合わせていった感じです。衛生管理にしても最初からというわけではありませんでした。その話しが出たのも奴隷となり侍女となってしばらく経ってからです」


「なるほどね。少しずつ慣れる土台が出来ていたのね」


「ええ、しかし今はこうして屋敷を持ち、Sランククランとして活動している状態ですから、最初からこうして詰め込む必要があるのですよ。そういった意味では新しく入る侍女たち皆には苦労を掛けますが、かと言って教えないままでいるわけにもいきません。やはり最初が肝心ですから」



 ある意味、今のご主人様は地位も名誉もある、それこそ貴族のようなもの。

 その奴隷であり侍女であるならば、それ相応の品格・所作・教育が求められる……って所かしら。

 それはまぁそうでしょうね。それが【勇者】様であるなら尚の事。



 正直、ここに来るまでは、仮にセイヤ殿が【勇者】で私が僕になるとしても、共に戦う事だけを考えていた。

 まさか戦う以前にこうした教育を受けるとは……誤算だったわね。

 共に過ごすこの【黒屋敷】という環境自体がすでに異質すぎる。


 やれやれ、【勇者】の僕というのも楽じゃないわね。

 私は勉強嫌いだから尚更なんだけど。

 きっと妹のサフィアだったら嬉々と教育を受けるんでしょう。



 ……あー、サフィア元気かしら。お手紙出さないと。


 ……ハッ! いけないいけない、現実逃避してるとエメリーに怒られるわ。





■ユア 人蛇族ナーギィ 女

■18歳 セイヤの奴隷



 毎日が緊張と驚きの連続で、頭がグルグルします。

 私もう死ぬんじゃないでしょうか。

 まさか噂の【黒屋敷】がこんな所だとは、ご主人様がこんなにすごい人だとは思いませんでした。


 私なんかが居ちゃいけない場所なんじゃないかって、未だにベッドの中で泣きたくなります。


 ……まぁそのベッドもお布団もフカフカですっごいんですけど。

 ……ほぼ熟睡で、気持ち良い目覚めなんですけど。



 ついでに言えばお料理は美味しいですし、お風呂は気持ちいいですし、お屋敷は豪邸ですし、侍女服は綺麗ですし、休日もありますし、お小遣いも頂けますし、先輩の皆さんは良い人たちばかりですし、綺麗で可愛い人ばかりですし……。


 ほんと私なんかが居て良い場所とは思えません。



 確かに知らない事、覚えなきゃいけない事が多く、侍女さんなんか見たこともない私にとって、侍女教育というものは見るのも聞くのも初めての事ばかりなのですが、それはかつてお師匠様から錬金術や家事を習った時のようにも感じられました。


 今、こうして一から勉強し、実践するというのも、何となく昔のお師匠様との日々を思い出すようで楽しくもあります。



 でも、どう見ても、私が一番不出来なんです。

 いえ、不器用とかはご主人様が「どうにかする」と仰って下さっているので別なんですが。


 教育にしても一緒に加入したラピスさんの理解力には遠く及びません。やっぱり王女様ってすごいと思います。

 家事にしても皆さん手早く、パパッと与えられた仕事をこなしています。

 戦闘にしても訓練場を案内して頂いた時に少し見ましたが……。



「むぅ、ネネお姉ちゃん速ーい! 全然当たんない!」


「ティナには負けられない。でも<風の槍ウィンドランス>のタイミングが良くなってる。よしよし」


「えへへ~」



 全っ然見えませんでした。明らかに私より幼いのに、すっごい動きです。

 これがSランクというものなのですね。

 その集団の中に私が入るという事に不安しか覚えません。


 模擬戦の流れでネネちゃんに話してみました。

 すごい戦いで全然見えなかったって。



「んー、でも私よりサリュの方が強い」


「そ、そうなんですか!? サリュちゃんって回復役ヒーラーじゃないんですか!?」


「でも強い。多分、私じゃ殺せない」


「あんな小さい娘なのに……じゃ、じゃあひょっとしてサリュちゃんが【黒屋敷】最強ですか!?」


「んー、最強はご主人様。次がエメリー。次がイブキかツェンかミーティアかサリュ」


「はぁ~~~」



 なんかもう、異次元の世界です。

 目で追えない動きをするネネちゃんより強い人がいっぱい居るらしい。

 どうやら【黒屋敷】というクランは私の思っていた以上に強いみたいです。


 それは確かに竜殺しドラゴンスレイヤーですし、エントランスに見たこともない魔石がありましたし、ドラゴンステーキは美味しすぎて口から聖なる閃光ホーリーレイが出掛けましたけど、素人の私にはドラゴンの強さも今一分からないのでその強さを想像しようもないのです。


 おそらくご主人様の<カスタム>もその力の一端なのでしょう。

 だからこそ私の不器用も直して下さるかも、と期待はしているのですが。



 しかし侍女である以前に奴隷である私には我がままを言う資格もありません。

 与えられた環境で頑張る以外の選択肢はないのです。



 その日、私は買って頂いた杖を片手に訓練場へとやって来ました。

 ラピスさんも一緒です。先生にはイブキさん、フロロさん、ウェルシアさんが付いてくれます。豪勢ですね。



「ユアが戦えないのは分かっているが、万が一を考えて魔法を使えるようになっていたほうがいいだろう。率先して魔物を倒さないにしても、確実に皆が守り切るという保障もない。いつ何時襲われるか分からないから自衛の為にもな」


「は、はい! よろしくお願いしますっ!」


「じゃあフロロはユアに魔法の基礎から教えてくれ。私とウェルシアはラピスとパーティー戦闘を意識した魔法の使い方だ」


『はい』



 こうしてフロロさんが付きっ切りで教えてくれる事になりました。

 なんか本当にすみません。



「なぁに構わん。我もこのクランに入るまでは戦闘経験などほとんどないようなものだった。ユアに魔法を教えるならば我が適任であろう」


「そ、そうなんですか?」


「我が入った時の苦労を語ればキリがないわ。今みたいにこうして教えてくれる環境でもなかったからのう……最初から迷宮……最初から魔物部屋マラソン……うっ、頭が……」



 な、なんかよく分からないですけど、ご苦労が偲ばれます。



「ま、まあそれはともかく早速やるぞ。ユアはレベル1だから最低限の<カスタム>しかしておらんが、<火魔法>にも振ってはあるらしい。錬金術もやっておったから体内の魔力に関しては分かるだろう?」


「は、はい、大丈夫です」


「最初だから的からあまり離れず、一番弱い<炎の玉フレイムボール>を使うぞ。腕を通して杖、そして杖の先端の魔石に魔力を集めるように意識してみよ。そんなに量は込めんでいいぞ」


「は、はいっ! えーっと……こ、こうでしょうか」


「その状態で魔石から的へと真っすぐ線を描くイメージだ。それが出来たら魔法名を詠唱せよ」


「は、はいっ! うーん……こう、して……<炎の玉フレイムボール>。 ひいっ!!!」



 いきなり杖から飛び出した炎の玉フレイムボールに驚いて、思わず尻もちをついてしまいました。

 び、びっくりしたぁ……。あ、でも、私が魔法を撃てた……?



「ははは! よしよし、撃てたではないか。的は大外れだったがのう」


「え、あの、本当に私が魔法を撃ったんですか?」


「撃てたではないか。触媒を用意し、スキルが確立していて魔力の操作が出来るのであれば、あとは意識の問題だけだ。ご主人様が<カスタム>しておいて撃てないはずがない」


「そ、そうなのですか……」


「ただ驚いて杖を動かしたからラインが崩れて的から外れたな。今度は撃てても杖を動かさないよう意識してやってみるのだ」


「は、はいっ!」



 なんか、私が魔法を撃てるって……すごい!

 なんで今まで撃てなかったんだろうって思うくらい簡単に出来る!

 全く戦えないと思っていた私が、こうして魔法を撃てるだなんて!

 やっぱりご主人様のお力ってすごいんだ!



 その後、魔法を撃てた事に調子に乗った私は、撃ち過ぎてクラクラして倒れたらしい。

 これが魔力不足、魔力欠乏の状態らしいです。


 錬金術では大丈夫だったのに……。戦闘の魔法と錬金術は全然違うんですね……。



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