はあ~☆無常

にこす玄

第1章 これからは自分のために生きようと思う


 郷田武史、11月24日生まれ 35歳

 職業:ペット用品関連会社 事務兼カスタマーセンター 主任

 

(35歳で主任ですって~ちゃっかり出世しちゃってるじゃん!ぱちぱちぱち(拍手音)え?部下の数?もちろんいないよ。なんたって、他のもっと重要な部署にみんな永久出向中だからね。お客様の対応?もちろん、一人でこなすよ。僕しかいないし、仕方がないじゃないか。これでも一応主任だしね☆

 え?一人で顧客の対応は大変ですね。理不尽なクレームも相当あるだろうって?

ふふふ。君、そんなことを言っているようじゃ、カスタマーセンターの心得としては、まだまだひよっこレベルだね。そりゃそうさ。それがどんな理不尽に感じられるものであっても、お客様の貴重なご意見に、クレームなんていう括りは存在しないのさ(with 前髪をかきあげるしぐさ)。

 え?参考にしたいから、今までの顧客からの意見とそれに対応する際の具合的なやり方について教えてくれ、だって?

 いいよ。もちろん。ただ、守秘義務があるから、個人が特定されないような範囲でだけどね。えーっと、まずは常識的なものでいくと、猫ののみ取り用のくしの構造に関してかな。細かすぎて長毛種の毛が抜けてしまうとか……え、なになに?もっとぶっ飛んだのを知りたいって?

 うーん、販売しているペットフードの形状がとある食品会社のシリアルと似ていて、しょっちゅう認知症のおじいさんが間違えて食べてしまうから、何とかしてくれって言うのがあったかな~。あれ、さっきと目の色が違うね。キラキラしてる。で、どう対応したかも含めて教えてくれだって?仕方がないなあ。

 基本的にね、クレーム対応にはマジックワードがあるんだ。どんな時でも基本的にはこの2つ。「申し訳ありません」と「ありがとう」だよ。

 あ、今、ありきたりって思ったでしょ?顔にしっかり出てるよ。

でもね、この言葉は本当に魔法の言葉だよ。僕はこの言葉を電話口で一日何百回と繰り返している。時にはお客様のお家に菓子折りを持って、訪ねていくこともある。それを10年以上も続けているからね。その僕が言うから、間違いない。

 あのね、君。今、世の中には宇宙からの神秘とか、魔法の言葉とか、色々自己啓発本が出ているだろう。僕は最近、それらを興味深く読み漁っているんだ。その中で幸運を呼ぶ言葉として、必ずと言って良いほど「ありがとう」が紹介されているけれど、僕も本当にそう思う。ありがとうは魔法の言葉、美しい言葉、おかげで見てごらん。僕はこんなに元気じゃないか。

……元気じゃあ、ない。か……。

元気じゃあ、ない……か。


「どうせ苦しむなら、どうせいつか死ぬなら、好きなことで苦しんで死にたい」

これは、とある平日の夜、涙と共に武史の口から漏れ出た魂の叫びだった。


郷田武史(ごうだたけし)35歳

習い事:剣道

特技:打たれ強さ(物理的に?)


 ごうだたけし?っていう響き、どこかで聞いたことないかな?僕の名前について、由来を話すよ。僕は、比較的、母が高齢で出産した子どもなんだ。2つ下に妹がいる。武史という名前は、母が病院でひーひーふーふー言いながら僕を産み落としている最中に、父がちょうど読んでいた戦国武将の小説を読み終わったことから来ているんだ。小説が終わり、武士の歴史が幕を下ろすと同時に、自分の子の産声が聞こえ、新たな歴史の一ページが始まったことに由来しているから、武士の武と歴史の史をとって、武史と名付けたと聞いたよ。ねえ、良い話でしょ?

 もう一度聞くよ?ごうだたけし。この響き、聞き覚えあるよね?もし、ない人は友達になろう。ずっ友になろうよ。

 僕は比較的愛情に恵まれた家庭で育ったと思うけれど、このね、この名前に関してだけは、物心ついてから、両親を恨めしく思ったことが何度もあるよ。だってさ、いくら漢字は違うとはいえ、かの有名な猫型ロボット作品の中の主人公を、狐に似た男とつるんで、ちょっかい出しまくるオレンジシャツの俺様キャラ、あいつと同姓同名なんだから。

 父さんが、善は急げというばかりに、先走って出生届を役所に出したところから、僕の人生の歯車が微妙にずれ始めたのかもしれない。というか、生まれて早々のことだから、ずれるどころか、そもそもスタートからして、歯車がちゃんとかんでなかったといった方が良いのかもしれないけれど。でもね、父の方も、ちょっとばかし、やらかした感はあったんだ思う。

 あるとき、リビングのソファーで息子の僕に向かってミルクをやっている母親の隣に座り、何気なくテレビのチャンネルを変えていた父は、偶然アニメの中で例のオレンジシャツの先輩が剛田という家の表札の前で彼によく似た母親から「たけしー」と呼ばれているところを目撃しちゃったみたいでさ。

 この時ばかりは両親が顔を見合わせて「あー!!!!!!」と叫んだらしいから。

それでもって、この先息子のあだ名はオレンジシャツのあの人で、もしかしたら名前の事で同級生からずっといじられ続けるかもって心配もしたらしいから。出来れば、届け出前に気が付いて欲しかったけれどね。もう、さすがに後の祭りってやつだよね。そのおかげで、僕のあだ名は、義務教育期間中はずっとオレンジシャツのあいつと同じ。はっきり言わないけど、分かるでしょ?察してよね。そして両親の予感も見事に当たったよね。この名前のせいで、ずっと苦労している。だからさ、この姓名のひびきを全く知らない人がいたらさ、お互い何の偏見もなしに、良い関係を築けると思うんだよね。


 えーっと、次は特技について?うん。僕はこれでもずっと剣道をやっていたんだよ。さっき、名前の由来は話したよね。僕の両親はすごい人達でね。反省はするけど、後悔はしない人達なんだ。だから、基本的には楽観的、そして切り替えも早い。こうなったら、逆転の発想で。とでも考えたんだろうね。本当にオレンジシャツのあいつみたいに、息子を強く逞しく育てようと思ったみたいでさ。ただでさえ、父の方は戦国武将に強い憧れがあるからね。それで僕は幼い頃から剣道を習い始めた。父の空想の中では、一人息子の僕は宮本武蔵や沖田総司、緋村〇心の生まれ変わりらしかったけど、僕の武術の才能は思った以上に芳しくなくて、試合ではいつも負け戦だし、これが戦国の世となるとはっきり言って、命がいくらあっても足りなかったと思う。技術的な問題以上に、精神的な面でも問題があったんだ。なんで喧嘩でもしたわけでもないのに、相手とわざわざ戦わなきゃいけないんだろうという疑問の方が先行しちゃって、練習でも相手に打ち込むっていう事に、どうしても抵抗感がぬぐえない。でも、こんな僕でも自分が負けることにはあまり何も感じないんだけど、自分が負けることで父親を失望させることは居心地が悪いなって何度も思ったよ。子どもはそんなもんさ。平気な顔をしていても、内心は親の顔色を伺っていることも多いからね。

 これだけ負け戦が続くと、さすがに一般的な父親なら、どんなに空想の中で自分の息子は天才だと思っていても、周囲との比較によって現実を知り、空想が打ち砕かれるんじゃないかな。たぶんだけど、子の中に自分の遺伝子を見、その過程で己が等身大の姿が否応なしに見えてきて「まあ、自分の子だから、仕方がないか」とほどほどのところで軽く失望することが、現実を受け入れていくことにつながるんだと思う。

 でも、僕の父は違ったんだ。メンタル的なところだけ見ると、僕の父は戦国武将並みの強さだよ。というか、戦国武将以上の強さだよ。

 連敗して帰って来た僕を、どこをどう考えればそうなるのか分からない理屈で、最終的に天から授かった才能があるって信じ込んでしまうんだ。もしかしたら息子の才能を信じたわけではなくて、自分の直感を信じたいだけかもしれないけどね。

 だから、結局僕は、義務教育期間中、ずっと剣道をやっていたんだけど、先生からの評価はずっと変わらない。「打たれ強さが輝いていますね」と苦笑いと共に言われ続けてきましたよ。はい。

 剣道やっていてよかったことは、就職氷河期に、なんとかこの会社に拾ってもらったことかな。「打たれ強い」って事で、僕はこの会社のこの部署に配属されたんだ。

これは物理的にっていう意味だったんだけど、向こうはどうも、剣道を継続してやっているし、精神的にっていう意味かと勘違いしたみたいでさ。おかげで、こうして10年間、仕事を続けている。何度も辞めたいって思ったけど、その度に、非常な圧があって、結局やめられないんだ。昇給なんてないよ?もちろん休み返上は当たり前だよ。残業代なんて、この不景気で出るわけないじゃん。


郷田武史 35歳 

現在の状況:無職 


 そう言えば、近年、退職代行サービスっていうものがあるみたいでさ。つい最近僕も利用してみたんだ。本来なら、今までお世話になりましたっていう辞表を提出して、お互いが納得の上で、きれいに退職したかったんだけどさ。そのタイミングを伺っていたら、たぶん定年まで辞められないと思うし、人生最後のわがままのつもり。

 もちろん、代行サービスだから、お金はかかったんだけど、あれよあれよという間にとんとん拍子に物事が進んだね。だから今は無事に退職して、晴れて自由の身。

 そんでもって、今、無職ってわけだけど、仕事を辞めるって、なんか拍子抜けしたような心持ちでさ。ぽっかり人生に穴があいた感じかな。でもね、気持ちはすっごく軽いんだ。今は会社に行かなくてもよいんだっていう安堵の方が先行きの不安を上回る感じだよ。これが一カ月とか1年とか立ってくると、心境は変わってくるかもしれないけれど。でも、こうしてみると、やっぱり長年無理をしていたんだろうなと思う。

 幸い、僕は独り身だし、6畳一間、家賃も月2万8千円だから、そこそこ貯金もあるし、しばらくは自分の好きなことで自分を満たすつもりでいるんだ。僕は小さい頃から本を読むのは好きだったから、買いためていた本をじっくり時間をかけて読むよ。

自分の好きな時に寝て、好きなタイミングで食べたいものを食べて、本を読んで。そういうのんびりした生活を楽しむつもりだよ。


 ところで、皆、走馬灯って聞いたことある?死って誰でも経験するじゃん?死ぬ時って本当に走馬灯が見えるものなのかな?僕はね、それが長年の疑問なんだ。だから、好きなことを沢山やって、また頑張って働いて、おじいさんになって、自分が死ぬときは、その長年の疑問を自分自身の経験を通して知ることを楽しみにしてるんだよね。


 西暦20〇〇年、〇月○日、無事に退職した武史は、小さな冷蔵庫とぎっしりと中身が詰まった本棚に囲まれたベットの上に寝そべっていた。春先、窓を開け放つと、柔らかな光と共に、心地よい風が部屋に入ってくる。ああ、今日も爽やかだ。そう思った瞬間、ブレーカーが落ちるように突然、いや、どちらかというと、パソコンの電源が突然切れるように、武史の意識は途切れたと思う隙も無く、そこで途絶えた。 

 

郷田武史(ごうだたけし) 享年35歳

生前の職業:ペット用品関連会社 (自己都合により退職)

死亡日:20○○年〇月〇日

死因:? 即死 

長年の夢:走馬灯を見る 叶わず

                 (完)










 



 

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