札束を捨てさせない

紫鳥コウ

 カードショップ『こおり観ず』の対戦スペースは、休日ともあり大盛況だった。


「ザコすぎるだろ」

 荒廃とした〈ステージ〉を呆然と眺めたまま動けなくなった少女――伝説のカードゲーマー河井繁かわいしげるの妹である奈緒なおは、兄を引退に追い込んだ奴らに復讐をすることができなかった。


「勝野さん! さすがっす!」

「圧勝でしたね!」

 成金貴族のようななりをした勝野のコバンザメたちは、一点もライフを削らせずに完勝した彼を褒めたたえた。


「河井繁の妹とはいえ、所詮は、初心者だからな。こちとら今年で二年目なんだから、負けるはずはないんだよ」

「さすがっす!」


「もう一回……」

「えっ?」

「もう一回、勝負して」


 勝野は、両隣のコバンザメたちとともに嘲笑った。


「お嬢ちゃん、年上の人には敬語を使うんだよ? 分かる?」

 足でおでこを蹴られたような気分だった。屈辱だった。悔しくて泣きそうだった。

「お願いします。もう一回、勝負してください……」

「結果は同じだと思うけどね」


 デッキをシャッフルしながら、勝野はコバンザメのひとりに目配せをした。無言のうちにその意味を了解した彼は、気づかれないように、奈緒の後ろの方へ回った。そして首を振った。


 奈緒の切り札の除去スペル――《天上崩落》が手札にないという合図である。


「わたしのターン。《喇叭の達人》を〈ステージ〉にプット。そして能力発動。わたしのライフが2ポイント回復」

「ふんっ、分かっているだろう?――こっちには、あのカードが入っていることを」


 あのカード――たった数回の攻撃でライフを削り取ってしまうモンスター《泥濘の悪鬼》のことだ。


 超強力モンスターゆえに、〈ステージ〉にプットするまでに時間コストがかかる。そのカードが出るまでに、勝野のライフを0にしなければならない。ライフの回復を続けるという戦略は所詮しょせん、時間稼ぎに過ぎない。《泥濘の悪鬼》と相打ちできるようなモンスターは、奈緒のデッキには入っていない。


「分かってるっ! 2エナジーを使って《天使の詩》をスペル。《喇叭の達人》をパワーアップ。3点のダメージ」


 初のダメージ。その後も奈緒は、勝野のライフを0に近づけるべく攻撃をしていく。


「遅いんだよ。《挫傷》をスペル。《喇叭の達人》をクラッシュ」

 勝野は、モンスターを破壊し、奈緒の攻撃の手を緩めていく。そして――奈緒のモンスターは、〈ステージ〉からいなくなった。


「さっきよりは、がんばっているみたいだが……つまらないバトルだ」

 勝野の〈ステージ〉に《泥濘の悪魔》がプットされた。その強力さゆえに、制限カードに指定されており、デッキには1枚しか入れることができない。


 だとするならば、このモンスターを破壊してしまえば、2枚目はない。そして、奈緒のデッキには――兄から受け継いだデッキには、唯一、《泥濘の悪魔》を倒せるカードがある。だけれど、このカードは1枚しか入っていない。


「さっきとは違う! このカードを引いたのだから!」

 奈緒は、残り1枚の手札を裏返す――《天上崩落》だ。


「ふん。そんな除去カードで、俺に勝てるはずがないだろう? 俺のライフを半分捧げてこのカードを使う!」


 勝野は、カードを〈ステージ〉に投げる――《語り継がれた秘密儀式》をスペル。

 そして、クラッシュゾーンから《泥濘の悪魔》が戻ってくる。


「降参しな?」

 がっくりと肩を落とす奈緒。そこへ嘲笑が降り注いでくる。


「もう、やめちまえよ」

 悔しくて泣くという経験は、これがはじめてだった。テストで良い点を取ることができなくても、運動会で活躍できなくても、平然としていた奈緒だったが、このときばかりは涙でカードをぐしゃぐしゃにしてしまいそうだった。


「やめることはないよ」

 その声は、天上から啓示が下りてきたかのように、神聖に響いた。


「ねえ? わたしと勝負してくれない?」

「オトナが入ってくるところじゃないだろ!」


 コバンザメを両隣に控えさせているからか、明らかに年上の大人に対しても横柄な口をく勝野。しかし、それを責め立てるようなことはせず、この「オトナ」は言う。


「もし負けたら、このショップのカードのなかで、好きなものを買ってあげるから」

 そして、奈緒にハンカチを差し出して、その頭を優しく撫でる。


「あなたのデッキを、貸してくれない?」

「このデッキじゃ……むりだよ」

「1枚だけ、カードを入れ替えさせてくれない? そうすれば、勝てるようになるから」


 この「オトナ」は――彼女は、《天上崩落》を抜いて、両手で奈緒に差し出した。そして、ポケットから1枚のカードを取り出した。


 彼女は腕時計をちらりと見て、「青風さんとの約束の時間までに終わらせないと」と、つぶやいて、不敵な笑みをみせた。

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