第八話 死者に咲く花

 十一


 トゥーは吼えるように一度大きく声を上げた後、未だ涙を瞳から溢れさせたまま勢いよく立ち上がった。その表情には悲しみと共に決意と覚悟が浮かんでおり、俺は思わず「トゥー」と彼女の名を呼ぶ。

 しかし、彼女は止まらなかった。熱い雫を幾つも零れ落としながらも、勝手知ったるように土を掘る道具を手に取り、墓地の柔らかな土を掘り返し始めたのだ。


「トゥー、やめろ」


 俺はそう叫ぶのに、彼女は決して俺の言葉を受け入れず、ただ土を掘り続けた。死者を埋めるために幾度も掘り返した土は柔らかく、みるみるうちに大きな穴がそこに開いた。トゥーは喉をぱくりと開けて事切れたフアを血で滑らせながら引き摺って、その穴の中に体を放り込む。最後の仕上げに土をかぶせれば、すぐさまそこから死者の花がみるみる伸びて、花弁を広げて大きく咲いた。それは俺が生まれてから何度も見た光景でありながら、その花の色だけが見慣れたものとは決定的に異なった。それは純白ではなく、鮮やかな深紅であった。花弁だけではなく、その全てが目を見張るような美しい深紅であった。

 彼女にとっては猛毒でもある深紅の花を、トゥーは躊躇なく引きちぎり、すぐさま俺に駆け寄って、その花を俺の口に押し付けようとする。しかし俺は顔を背けて拒絶した。それを口にすることだけは、墓の守り人である俺は、自らに許すことはできなかったのだ。


「イエン、お願い!」

「嫌だ!」

「お願いだから、生きて!」

「絶対に嫌だ!」


 血を失いすぎて体の感覚を失い、視界を歪ませながらも、それでも俺はトゥーを気丈に睨みつけた。


「トゥー、母さんの死に意味を持たせることは許さない! 母さんの死は、何の価値もない無意味なものでなくてはならないんだ!」

「どうか、フアおばさんの死で救われて!」

「——母の命で生きながらえることの、何が救いだ!」


 身を引き裂くほどの悲痛な感情のまま慟哭すれば、トゥーはびくりと全身を震わせた。しかし、あぁ、もう視界が絶える。意識が闇に飲み込まれる。故に、彼女の顔に浮かぶ感情を、俺はそれ以上見届けることは叶わなかった。耳鳴りが酷くなり、もはやトゥーの声は一切届かなくなる。

 これでいい。俺はそう思った。これでいいのだ。このまま俺は死の深淵へと降り、無意味な死を遂げよう。そこには如何なる救済もなく、ただ深紅の花だけを闇の中に咲かせよう。

 痛みはなかった。苦しさは忘れた。忘我に至らしめる程の憤激も何処かへ消えた。熱き血は流れ落ち、自らを焼いた激流の感情も深沈たるものへと返っていった。生まれ落ちたときより初めて訪れる死というものに、墓の守り人として誰よりも身近に触れておきながら、それを少しも理解していなかったことに今更ながら気づかされる。あぁ、俺は無知だ。暗愚の極みだ。死とは、これほどまでに深く冷ややかで、心地よく物静かなものとは知らなかった。その深閑たる平穏に存分に身を委ね、永遠の眠りを甘受しよう。

 俺がそう思い、目を閉ざした時だった。

 ——それは、灼熱の奔流であった。

 己の唇に重ねられた、柔らかな何かから流れ込んだそれは、深紅の色をしていた。


 十二


 それは熱く、深く重ねられていた。徐々に物事の輪郭を捕らえ始めた視野に映るのはトゥーの顔で、涙を零すその瞳には俺の愕然とした表情がくっきりと映り込んでいる。トゥーの唇は俺のそれよりずっと柔らかく、夜毎想像していたよりもずっと繊細であった。それが一切の隙間を許さないと言わんばかりに深々と俺の唇に重ねられていて、そこから彼女の歯ですり潰された深紅の花弁をねじ込まれる。ざらついた舌に押し込められた死者に咲く花を俺は飲み込むことしかできず、ごくりと喉を鳴らせば、彼女は満足したように目を細めた。

 そして、彼女はそのまま目を閉ざした。


「トゥー!」


 俺は彼女の名を叫んで、体を揺り動かす。一切無傷であった彼女の口からは血が流れ落ちており、いや、これは血ではないと俺は首を振った。これは深紅の花だ。母から生まれた、死者に咲く花だ。俺の意識は驚くほど明確になっており、体も軽く、今まで生きてきた中で最も調子が良い。それは俺が至高の薬である深紅の花をトゥーから無理矢理飲まされたからであり、そしてその花は墓の守り人ではないトゥーにとっては猛毒であった。

 だから、今彼女は目を閉ざしている。


「トゥー、頼む! 目を開けてくれ!」


 俺は体を起こして、いつの間にやら生えていた腕で彼女を揺り動かすが、トゥーはぴくりとも動かない。俺はそれに血の気が引いた。恐らく、母に咲いた花を俺に飲ませる過程で深紅の花を誤って飲み込んでしまったのだ。咄嗟に手を首に触れさせれば、まだ血の流れを感じる。飲み込んだのは少量だったのであろう。——まだ生きている。

 そして生きてさえいれば生者を回復に導く薬が、あちこちに咲いているのだ。俺は空を仰ぐ。もう一面に咲く花を見たくはなかった。だから空を見上げれば、そこには光り輝く太陽と、壁に囲まれた狭い青空が広がっていた。

 俺はもう知っている。あの青空は、あの壁の向こうにもずっと広がっている。果てなく永遠と広がっている。そして、その先には柔らかな芝生があり、風が愉快に吹いている。

 さらにその先には色鮮やかな花が咲いていた。純白でもなく、深紅でもない、様々な色を内包した美しい花々。そして、それを俺に教えてくれたのはトゥーだった。

 ——俺は一輪の花を墓地から摘み取った。それは儚く可憐であり、純白である。俺にとっては猛毒であり、トゥーにとっては自らを救う薬であった。

 この花を求め、大勢の村人が死を覚悟して墓地へ襲撃した。そして俺はそれを許さず、皆殺しにした。かつてのトゥーにも許さず、俺もかつては決して自らにそれを許容しなかった。だからこそトゥーの妹も、俺の父も、皆死んだのだ。

 俺は純白の花を口に含んだ。——あぁ、母よ、父よ、代々の俺の先祖よ。墓地に眠る、全ての死者よ。俺の行いを許さないというのならば、この猛毒で俺を殺せ。俺はそれを甘んじて受け入れよう。しかし、俺の行いを許すというのならば、どうか。

 どうか、トゥーに救いを与えてくれ。

 そして、俺は彼女と唇を重ねた。


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