死者に咲く花

水瀬白龍

第一話 墓の守り人

 一


 高い壁に囲まれているから、太陽がどこにあってもここは他よりも暗いという。けれど俺は壁の外へ行ったことがないから、ここよりも明るい場所を知らない。そしてこの場所の明暗に関わらず、ここに咲く花は太陽の光を必要としないから大した問題ではない。その花は死者を地に埋めれば、まるでまだ地上に未練があるというかの如く、あっという間に土から顔を出し、俺の膝程までの高さにまで伸びて、そして一輪の美しい花を咲かすのだ。埋められた死者の髪の色も瞳の色も性別も年齢も関係なく、死者はどれも等しく一輪、真っ白な花を咲かす。故にこの壁の中の端から端まで建てられた墓からは、花が必ず空へと伸びているのだ。それは数年もすれば枯れ落ちてどこぞへと消えてしまうのだけれど、死者は生者がいる限り生まれ続けるものなので、ここではずっと花が咲き続けている。墓の守り人である俺の役割は、その死者に咲く花を生者から守ることであり、それ故、生者との関わりの一切を禁じられている。これは古来より伝わる墓の守り人の掟であり、その必要性は俺も理解していた。墓の守り人はその生涯において一度たりともこの高い壁で囲まれた墓地から外へ出ることはないのだが、親から子へと知識は継承されるため、俺は決して愚かではない。無知でもなく、物を知らぬ赤子でもない。たとえ世界から隔絶された一面の花の庭に生きようとも、その理不尽さに憤ることはない。

 ただ一つ告白すべきことがあるとすれば、確かに俺は生まれてから十数年の間、一度たりとも墓地から離れたことがないのであるが、実はとある生者と友人関係にあった。もっともその生者が俺のことを一方的に友人と言っているだけで、俺の方からその生者を友人と呼んだことは一度もない。それは俺が墓の守り人の掟を破ることに対して罪悪感を覚えているからであり、俺自身としてはその生者を疎ましく思ってはいなかった。その生者は俺とそう年の離れていない女であり、俺は彼女をトゥーと呼んでいる。何故ならそれが彼女の名であるからで、それと同様に、彼女も俺のことをイエンと呼ぶ。

 女と出会ったのはまだ俺が今よりはずっと幼く、しかしすでに墓の守り人としての道理を理解している程には成長している頃のことであった。それまでは俺の世界は死者から咲く花と、優しい母のフアと、名も姿も知らぬスガタカクシ達だけで構成されていたのだが、彼女と出会った時より、彼女も俺の世界を構成する一人に加わった。死者に咲く花を守り続けるのみである男に、なにをそうこだわることがあるのかは知らないが、俺が彼女と仲良くなったのは、ちょうど彼女がたった一人の家族だという妹を失った頃だったから、きっと彼女も寂しかったのだろう。そして彼女の来訪を俺も拒まなかったから、俺達はあの時よりずっと、定期的に交流を重ねていったのであった。


 二


 墓の守り人である母から生まれた時より教育を受けていた俺は、決して掟を破らぬ、立派な守り人になる予定であった。だからどうして俺が掟を破るまでに至ったのか、その理由は分からない。あえて歴代の墓の守り人と俺の相違点をあげてみるとすれば、例えば、俺の両親の仲が良かったことくらいしか思いつかなかった。高い壁に囲まれた墓地に入った者は、二度と外へ出ることはできない。それは墓の守り人と契りを結ぶために墓地へ足を踏み入れた墓の守り人の配偶者にも適用されることで、事実、俺の死んだ父は、俺の母に婿入りしてから決して外へ出ることは許されなかった。それ故、墓の守り人と婚姻を結ぶことは、外からここへやってきた者にとっては苦痛でしかない。しかし相性というものはあるようで、どうやら俺の母と父はうまくいっていたらしい。これは墓の守り人には珍しいことで、俺が他の墓の守り人と違うことがあるとすれば、それ位しか思いつかなかった。

 俺が初めてトゥーと出会ったのは、ちょうど父が亡くなって数日経った頃のことであった。外へ出ることが許されない墓の守り人の代わりに物資——新しい衣服やら、食材やら、外で起こった出来事をまとめた報告書など——を届けるスガタカクシに扮して、その女はやってきた。いや、この時は少女と表現するほうが適切であろう。何故なら、その時の俺もまた少年と呼べる程の幼い年齢であったからだ。ともかく、扉の小窓から覗いて見えた、他のスガタカクシ達のように顔を仮面で隠したその少女——後に名を知ったトゥーを、俺は本物のスガタカクシと勘違いをしてしまったのだ。そして俺は愚かにも扉を開けてしまった。それは壁の外と壁の内側を繋ぐ唯一の扉だ。するとトゥーは墓地の中に駆け込んでいって、死者に咲く花をむしり取ろうとしたのだ。俺は慌てて彼女を追って後ろから羽交い締めにした。いくら幼い時であったとしても、その程度のことは俺にも容易であった。ただ不幸だったのは、ちょうどそれが起こったのが俺の父が亡くなったばかりの頃で、母のフアが家に引きこもって涙に暮れており、頼ることが出来なかったということだ。外部からの侵入を一切許してはならない墓地に現れた小さな侵入者。これは異常事態であり、幼い俺だけで対処できることではなかったというのに、俺はそれをせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 俺とトゥーしかいない一面の花の中で、彼女は繰り返した。——妹が、私の妹の熱が、下がらないの! ……丸い瞳からぼろぼろと涙を零しながら叫ばれる台詞に、俺は当時、深い共感を覚えてしまった。偶然にも、俺の父も熱が下がらずに死んでしまったからだ。——私のたった一人の妹なの! たった一人の、私の家族なの! ……しゃくりあげながら、その少女は俺の腕の中から逃れようと大きく暴れた。しかし俺がその体を離さないと理解したら、今度は墓から伸びる一輪の大きな花に、その小さな腕を必死に伸ばし始めた。——これさえあれば、この花さえあれば、妹は死なずに済むの! ねぇ、お願い! たった一輪だけでいいから、見逃して!

 しかし、それは禁忌であった。墓の守り人は壁の外へ出てはいけない、墓の守り人は生者と関わってはいけない、この二つは掟である。しかしこれは、これだけは、まごうことなき禁忌なのだ。

 生者から死者に咲く花を守ることこそが墓の守り人の使命であり、そのためだけに墓の守り人は存在し、それ故に、生者である彼女が死者に咲く花を摘むことを俺は決して許してはならなかった。けれども、俺は彼女の気持ちを痛い程理解してしまった。

 何故なら、死者に咲く花は薬としての効能を持っているのだ。それもただの薬ではなく、たった一輪を飲み込むだけであらゆる病を治すことが出来る、唯一無二の薬だ。熱が下がらないという彼女の妹も、この一輪の花を飲ませればあっという間に元気を取り戻すことだろう。たった一輪の花で一人の生者の尊い命が救われる。

 それでも俺は墓の守り人であり、その禁忌だけは犯すことが出来なかった。次の日、墓地に新たな純白な花が一輪咲いた。それは儚く、可憐であった。

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