狼に別れを告げ、半竜は富国強兵を斬りに行く

白い月

おぬしは日本武尊と知り合いなんか?


「水鏡の巫女さん。あんたは本当にいつになってもべっぴんさんだなぁ。

 俺や嫁はさすがにしわしわのじーさんばーさんになっちまったが、あんたは幕末に初めて会った時そのままの姿でこの明治の世を生きとる。面白いのぉ」

 茶をしばきながらそんな事を漏らし、豪胆な笑顔を見せる年を重ねた男。以前永倉新八と名乗っていた男だ。元新選組二番隊組長で、数々の激戦を潜り抜けてきた壬生の狼である。

 西暦1910年。彼は今北海道の小樽に居を構え、今を生きる人たちに剣術指南をしつつ文明開化のなされた日本の世を満喫していた。

「相変わらずお世辞がうまいですね、永倉さん――あ、つい初めて会った時の名で……ごめんなさい杉村さん」

「ええよええよ! 今でも昔の俺知っとる連中は永倉言うから気にもしてないわ。はっはっは!」

「相変わらず豪快なお方で……ふふ」

 困ったように笑う、紅白の衣――巫女装束の女。

「それにしても、幕末からだいぶ経った今でも覇気は衰えませんね。安心しました」

「なんじゃ、そんなことで安心するんかい! こりゃまた経済的じゃのう! 俺が生きている限り、自動的にあんたの精神安定剤としての効能もあるっちゅうわけじゃ。ははははは!」

 陰りのない笑顔をまっすぐ向ける彼に、冬華も少しあきれたような笑みを返した。

「ふふふ……愉快な人。じゃあもっともっと長く生きて、末永くわたしたち下の世代の精神安定をしてあげてくださいね」

「おう、任せとけ!」

 明るく答えて、残りの茶を飲み干す男。そんな彼を見ながら、彼女は次の話題を切り出した。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



「永倉さん。最近お気に入りの映画などはありますか? 今でもよく観に行ってらっしゃるようですが」

 彼はんん~、と少々うなった後に

「そうだな。題名は忘れたんじゃがのお……あれ、あれ! 日本武尊と出雲健が斬りあっとったあれじゃ。

 神話の話! いやあなんだっけ。古事記か日本書紀か。まぁそんな感じだ!」

 そんな彼の返答に、冬華は首を傾げ、少し思索にふけるようにしながら言葉を返す。

「オウスくんと出雲さんの戦い……まさか地上での生の後の天の上のあの再戦じゃないわよね。

 となると、五十鈴川で出雲さんがオウスくんにだまし討ちされたアレか……あれは正直くだらない戦いだったわね。剣客としてのわたしの見解でも」

 その言葉で、永倉の方も首をややかしげる。

「五十鈴川? それ伊勢の国じゃろ? 出雲王国てあの映画じゃ島根県の方とか言っとったぞ?」

「あぁ……、それ偽物の歴史の方ですよ永倉さん。持統天皇、藤原氏、中臣氏がねつ造した方の」

 頭の上で人差し指をクルクルと回しながら、冬華。

 無意識に出た男の天照と瀬織津姫を抹殺しようとしたまつろわぬもの達への怒りが、彼女にそんな仕草をさせているのだろう。

「ほぉ……。俺は座学の方はさっぱりでのお! もっぱら実技専門じゃ! 今でも大学で教えとるが、やっぱ体動かさんと気分よくならんわ。ははは!」

「ふふふ……まぁ、人には向き不向きがありますから。

 で、その内容ならおそらくオウス君が伊吹山で闇霎くらおかみ様と瀬織津姫せおりつひめ様にふたりがかりで――」

「――いや、ごめん。話の途中に口挟んで悪いけど先に言わせてくれ冬華くんよ!」

「はい?」

 竹を割るような切れ味の鋭い話の斬り方に、思わず冬華は目を少し見開いて聞き返す声を上げた。

 そんな彼女をよそに、永倉は質問を真っ直ぐぶつける。

「前から思っとったんじゃけど、アンタ日本武尊のことオウス君オウス君てものすごい身近な人物みたいに言うけれど、しょっちゅう会っとるんか?

 いや日本武尊て1600年くらい前にすでに死んどるよなぁ?」

「…………」

 そんな彼の疑問符が浮かんだ顔を見て、冬華はしばし逡巡し、黙って彼の顔を見た。

 霊力が八百万の神々クラスに差し掛かってもいない、まだ地上にいる普通の者にどこまで話してよいものやら。そんな言葉が彼女の頭をふよふよ回る。

(わたし、基本口が重い口が重いよく言われるタイプ……だと自分では思っているけれど、そんな軽口じゃないわよね……?

 軽口っつったら、あの妖力だけは今の半竜神になっているわたしの霊気よりも遥かに上だけど、口は凧よりも軽く空に上がる能天気春女の方だし)

 さりげに親友の桃色の十二単を着た妖怪雪女の突然変異を胸の中でけなしつつ、声には出さずごちる冬華。

 そんな彼女に、彼からの追撃がかかる。

「何口をへの字に曲げて髪いじって悩んどるんじゃ。冬華くん」

「は!?」

「いやいや。無意識にやっとったんかい」

「え? いや、すみません……はしたないところを」

「ええてええて! あんま品行方正すぎる態度も息詰まるじゃろ! ちょっとくらい砕けた態度も出したらええ!」

 そんな彼の言葉に苦笑いを漏らす冬華。そして彼は先ほどの質問を繰り返してくる。

「で、おぬしは日本武尊と知り合いなんか? ……もしかしたら、常世で夫婦の契りでも?」

「ふふ、まさか。まずわたしはオウス君みたいな男は夫婦になる相手としては好みじゃないし。性格気に入らないところがそこそこあんのよねオウス君。生意気が過ぎるし」

「……おぬしはさりげにきついのう。それに生意気なのはおぬしも同類じゃぞ冬華くん。むしろ冬華くんほど生意気な女もそうそういないだろ」

「……え?」

「いやいや、俺は生意気な女も好みじゃからええんだがの。気にすんな」

「はい。で、う~ん……むしろ出雲さんのがいいかな。でも、未来に……」

「……?」

「――いえ。この先は伏せておきます。未来の事なので……。20世紀、21世紀の事かな。闇霎くらおかみ様のあのセリフだと」

 それを聞くと、今度は永倉の方が口をへの字に曲げた。

「なんかずるいのう。天の上の者は俺らより色々知っとるそぶりで」

「……お気持ちはわかりますが。仕方ないことです。

 それが人を超えた者と人として生きる者の情報領域の差ですから。わたしとて、闇霎様に比べたらまだまだ無知ですよ」

「ずるいのー」

「ま、まぁ生涯現役の剣豪がそんな拗ねないでください。ちゃんと質問には答えますから」

 再び苦笑いを漏らす冬華。少々上に目線を向けて、今雲の上で春女に剣術でしごかれているであろうオウス君を見るような心持ちで、

「端的に言いますとオウスくんは仲間です。単なる知り合いよりは深いですが、別に恋愛関係ではありません。

 わたしにその気がないのは今言った通りですし、何より彼は今でも瀬織津姫さまに食べられた弟橘姫を一番に愛しているから……。

 天に昇った今、もう再婚はしないでしょうね。ただ……」

 先ほどの陽気さを潜め、鋭い眼光で冬華を見る永倉。その視線を真っ向から受け止めつつ、彼女はその眼力に押されるように、

「……ただ、今一度オウス君が瀬織津姫せおりつひめ様、天火明命あめのほあかりのみこと、それに闇霎くらおかみ様に牙をむくようならば――

 ――その時は神が動く前にわたしが彼を殺すでしょうね。体の死ではなく、魂の死を、永遠の消滅をくれてやることになるでしょう」

「おぬし、普段は目の輪郭が優しい感じと事もあってかなり優しい雰囲気じゃが、こういう時はものすごい恐ろしい目をするのう。それが竜の目か?」

「…………」

 何も答えず、彼を見つめ続ける冬華。半竜神の彼女とそんな睨み合いをしばし続けたあと、永倉は

「……つまり、俺もこれから文字通り伝説の神話級の剣客と斬り合える機会はあるわけだ。そうだろう冬華くん?」

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