第13話 兄アルステッド


 アリステアとの旅を始めて50日目、決戦の日はやってきた。


「う、嘘だろ? いったい何人いるんだよ?」

 俺たちの前、数キロ先には数えきれないほどの兵士が待ち構えていた。


「ざっと、といったところじゃろうな」

 アリステアは指を丸眼鏡のようにして、観測結果を俺に告げる。


「たった2人相手に1億? いくらなんでもコスパ悪すぎるだろうがっ」


「ここを突破されたら終わりなんじゃから、アルステッドも本気じゃろう。妾が狂わせた龍脈を急ピッチで直したようじゃな。転移駅さえ機能すれば、兵站へいたんも思うがままじゃしの。じゃが、ひとつ大きな問題は……」


「ひとつだと? 俺には問題だらけにしか見えないが?」


「そうか? 妾の問題はたったひとつじゃ。従僕のアストラルギフト『エンカウンター』なら、1億の軍勢などただの餌にすぎん。数が多ければ多いほどそなたは強化されるのじゃからな」


「あ、ああそうだったな。あまりにも相手の人数が多くて忘れてた。だったらアイツらの相手も今の俺なら余裕、なのか?」

 自分で言ってて不安になる。それほど1億の軍勢の視覚的効果は絶大だった。


「その余裕が問題なのじゃ。従僕よ、今からお主は全ての能力値に1億の値が加算されるわけじゃ。その状態で、?」


「────は?」

 殺す? アリステアの口から俺には理解できない言葉が出てきた。


「今まではどうにか加減はできた。基本的に逃げるだけじゃったし、肝心なところは妾が奴らの意識を刈り取ることで誤魔化した。じゃが、この戦いは逃げることはできぬし、奴らも逃げぬ。そんな戦いで、お主は誰一人殺さないことができるのか?」


「いや、だってそれは」

 完全に失念していたことだった。俺は、いつまでも襲われる側、弱者の気分でいた。

 だけど、今の俺は彼らからしたら猛獣と変わりないんだ。

 俺が軽く振るった手が、猛獣の爪であり牙になる。


「妾は別にそれでも構わん。王を守護して敵対者を屠るならそれは英雄の所業じゃ。相手もその覚悟をもって戦う兵士たち。その結果に異存は言わせぬ。じゃが…………お主は違うじゃろ?」

 1億の兵士たちを見据えながら、アリステアはただ俺の未来を案じてくれていた。


「ただの、学生なんじゃろ? もし突発的に誰かを殺したいと思うことはあっても、必要だから相手を殺すなんてことはあるまい」


「そりゃ、そうだけど」

 だったら、どうしたらいいんだ。


「なに、それを先にわかっておればそなたは間違いをおかさんじゃろ。丁寧に、優しく、あやつらの相手を務めてやれ。1億の軍勢をもっても敵わぬ巨象として、連中の気を引きつけるのじゃ。その間に妾が全てを終わらせる」

 アリステアは地面に手を当てて、アリストスの王城を見ていた。


「終わらせるって、お前なにを」


「結局は、妾への呪いがこやつらを動かす要因じゃ。じゃったら、その根元を断つのが早かろう。龍脈を直したのは悪手じゃったのアルステッド。妾だけではあるが、この距離なら転移可能じゃ」

 アリステアの周りに転移の兆候が現れる。


「アリステア待てっ、お前ひとりでいくつもりかよ。危ないだろっ、呪いだってどうするんだ!?」


「危険でいえば、これから1億の軍勢を相手にするお主と大して変わらん。せいぜい粘れタツヤ、お主が誰の命にも手をかけぬうちに呪いを解いてやるのじゃ。……アルステッド、兄様をこの手で殺してな」


「っ、お前!?」

 止める間もなく、アリステアは転移の光に飲まれて消えていった。


「自分の兄貴を、殺すつもりなのか?」

 ゆっくりと考える余裕はなかった。今の転移の光をこちらの戦いの狼煙があがったととらえたのか、1億人の軍勢がときの声をあげて俺に迫って来ていた。


 怒号を超える、天変地異のような地鳴りと轟音。


 それを目前にしながら俺の頭にあったのはたった1人の女のことだけだった。




 ああ、今でも後悔している。


 あの時彼女を一人で行かせなければ、あんな結末にはならなかったのに、と。




「アリステア!!」

 俺は王城の中を駆け抜け、かつて俺が召喚された場所、玉座の間に辿り着いた。


「タツ、ヤ?」

 目にした光景は、血の滴る短剣を握りしめたアリステアと、彼女の前に倒れているアルステッドだった。


「思ったよりも早かった、のね」

 彼女の口調から、ここで何があったのかを察した。

 そもそも、1億の軍勢の呪いは、解けてなんかいないのだから。


「おお、異世界からの旅人、か。よくぞ、この城に、参られた」

 アルステッドは玉座を背もたれにしながら、吐血しながらも王として振る舞い続ける。

 胸からは今もなお血が流れ続け、もはや彼が助からないことが誰にだってわかるほどだ。


「貴殿のおかげで、アリステアはここに、辿り着いた。貴殿のおかげで、呪いはした」

 アルステッドは満足そうに微笑んでいる。


「完成、だと? どういうことだ。それに兵士たちも突然気を失ったんだぞっ」


「そうか、気絶ですんだのならよかった。彼らの生命力も、呪いに使わせてもらったからな」


「何を、言ってるんだ? またコイツに、なんの呪いをかけたっていうんだよっ」


「『呪いの解けない呪い』、だそうよ」

 寂しそうに、アリステアは告げた。


「1億の生命を代償に、我が命を触媒として呪いへ捧げた。これで、アリステアにかけた呪いは、神であろうとも解呪することはできない」


「は、なんだよ、それ」

 それじゃあアリステアは、ここから先ずっと死ぬまでこの世界の人たちみんなに嫌われながら生きていくってことか。

 彼の言葉の意味を理解してしまったからこそ、俺には理解できなかった。


「お前は、自分の妹にそんな呪いをかけたのかよっ? なんで、そんなことを!? 妹、だろうが!」

 俺は瞬間、アルステッドの襟首を掴んでいた。

 今の自分の力加減で、彼を絞め殺していなかったのは奇蹟に近い。


「妹、だからこそだ。わかるか旅人、神童と謳われ周囲に褒めそやされた男に、まさに神のごとき才能をもった妹が生まれた時の絶望を」


「なん、だと?」


「愛そうとした、慈しもうともした、だがアリステアの輝きは私には眩しすぎた。妹が成長して真に力を得る前に、私は父母を呪い殺した。だが既にその時には、彼らは妹を次の王に選んでいた」

 血を吐き出しながら、それ以上の呪いをこめてアルステッドは言葉を吐き続ける。


「臣下も、民も、そこに異存を挟むものは誰もいなかった。そこに異を唱えたのは、私の中のちっぽけなプライドだけ。私の理性すら、アリステアこそが王に相応しいと思っていたのだから」


「いいじゃねえかっ! 誰からも愛される妹で、お前も愛そうとしたんだろっ? だったらそれで、よかったんじゃねえのかよ」


「そう、だな。旅人の言う通りだ。私も、宰相などに取り立てられず、どこかの辺境に飛ばされていれば、そうしていたかもしれない」


「だがアリステアは眩しすぎた。私では到底なしえなかった偉業を間近で見せつけられ続ける日々は、私にとってただ心を抉り削られるだけの毎日だった。だから私は妹を呪った、世界全てがアリステアの敵となれば、きっと輝きを失うだろうと思ってな」


「そんな、ことのためにお前はっ」


「そうすれば、ただの少女へ墜ちた妹を見れば、今度こそは愛してあげられると思ったのだ。結果は旅人が知ってのとおり、世界に嫌われてもなお輝くアリステアの姿を見せつけられるだけだったがな」

 アルステッドの虚ろな瞳が、アリステアを見つめていた。

 彼は本当に眩しそうに、至上の宝石を見つめるようにアリステアを見ている。


「だったらお前は間違ってたんだよ。お前のやり方は間違ってたんだ、なのになんでっ。呪いが解けない呪いなんて、アリステアにかけたんだ」

 彼の吐露を聞いて、俺の腕から力が抜けていた。ただ俺はすがるように、アルステッドの胸倉に手を添える。


「旅人よ、妹との旅はどうだった? 彼女は、不思議なほど眠そうにしていなかったか?」

 アルステッドは俺の耳元でそっと囁く。


「……ああ、良く眠るヤツだよあいつは」

 俺の膝枕でも胸元でも、お風呂でも、異様なほど簡単に眠りこけるやつだ。


「何故、と疑問に思わなかったのかな?」


「疲れて、たんだろ。実の兄にひどい呪いをかけられてな」


「それは誤解だ。アリステアは私が呪いをかける前からああだったよ。『世界中の人たちの幸せを守る魔法』を完成させたその日から」


「──────は?」


「笑えるだろ。あの子はたったそれだけの代償で、700億人のアリストスの民の幸せを担保した。傲慢で暴虐で、他人の痛みなんてまるで気にしないアリステアが、ただ民の幸せだけは願い続けた」

 羨むような、憧れるような、哀しい顔をしたアルステッドの表情は俺の影になってきっとアリステアには見えていない。


「私の呪いは彼女の魔法と繋がっていた。あの子が民の幸せを切り捨てれば、いつだって皆に嫌われる呪いは解けるように。それでもあの子は守ると決めたこの世界の民の幸せを手放さなかった。私は、そんな王様にはなれなかった」


「お前、」

 かける言葉が、見つからない。眩しすぎる太陽にその身を焼かれるように、彼はあらゆるモノが燃え尽きていた。


「もう、幸せの魔法を手放そうとあの子の呪いが解けることはない。それで、いい。愛されるだけの日々は、私の妹には似合わない。煉獄のような毎日こそが、アリステアに至上の輝きを与える。私では、人では到底なしえない生き様を……きっとこの子は、為すだろう」

 最期に、アルステッドは届かない星に手を伸ばすようにアリステアへ手を伸ばし、息絶えた。


「────アリステア、お前の兄貴、死んじまったぞ。何か言っておくことは、なかったのか?」


「いいえ、あなたが来る前に十分すぎるほど話したもの。さっきの慟哭の、100倍はひどい罵られ方をしたわ」

 哀しそうに、それでも彼女は笑っていた。


「兄様はああ言っていたけど、私も結構抜けているわ。この剣を突き出せば呪いが解けると分かっていたのに、最後までそれができなかった。そしたら兄様は私の手をとって、剣を自分で刺すの。『アリステア、初めてお前に勝ったな』なんて笑って」

 哀しそうに、彼女は笑う。

 幸せの魔法について一切触れることなく。


「私は一度だって、兄様に勝ったなんて思ったことなかったのに」


「そっか、それは、つらかったな」

 彼女の独白を耳にして、少しだけ、ほんの少しだけアルステッドの気持ちが理解できてしまった。

 目をそらせないほどの才能をもった妹に、競う相手にすら思ってもらえなかった。その現実がずっと彼を苛んでいたのか。


「アリステア、身体の方は大丈夫なのか? また、呪われたんだろ?」

 今度の呪いは、一生解けることなんかない。ずっと彼女を蝕み続ける。

 アリステアが民の幸せを守っても、捨て去っても。


「別に変わりはないわ。むしろ、変わらないことこそが呪いなのかもね」

 彼女は自身の両手を見つめて呟いた。


「せっかく玉座にまで辿り着いたけど、あなたを元の世界に帰すのは少しだけ待ってもらっていい? 明日までにはどうにかするから」

 実にの兄がたった今死んだというのに、彼女は平然と俺のこれからについて話し出した。


「もちろんそれはいいが、たった1日でどうにかなるのか?」

 アルステッドが死んで国王が変わり、しかもアリステアの呪いも解けていないとなれば混乱は避けられない。俺は最低でも1週間は元の世界に戻れないことを覚悟するつもりだった。


「どうにかするわ。あまり長引かせると、私の気持ちが揺らぎそうだから」

 アリステアは兄アルステッドへと近づき、彼とその死因となった剣とともにどこかへと転移させた。


「どこに、飛ばしたんだ?」


「兄様の葬儀をあげるまでに時間がかかるから、身体が傷まない場所に飛ばしたの」


「そう、か」

 それ以上、俺は何も言えなかった。


 それから、アリステアはまだ血の乾かない玉座に座りアリストス世界全てに彼女が王へと返り咲いた報を流した。



 当然ながら世界全ての人に嫌われる呪いをかけられているアリステアに素直に従う者はいない。そう俺は思っていたが、現実は、彼女の才覚は一般人の思考で測れるモノではなかった。


 アリステアは全ての魔力リソースが集中する玉座につくやいなや、瞬く間のうちにアリストス中の龍脈を修復、転移駅を完全に復興させ、その他のインフラの修繕指示も的確に出していった。


 また前王アルステッドの葬儀予定も一分の隙もなく整え、彼亡きあとの統治体制もすぐさま盤石なものとした。


「といった感じじゃな。さすがに昨晩は眠れんかったのじゃ」

 翌日、アリステアに言われた通りに玉座の間に訪れた俺に彼女は説明してくれた。


「バケモノ、だな」

 

「失礼なことを言うな従僕よ。眠さのあまりお主を間違った場所に飛ばすかもしれんぞ」

 あくびをしながら、アリステアはとんでもないこと言い出す。眠れなかっただけではないだろう、アリステアの目元はまだ少し赤かった。


「まさか本当に1日でどうにかするなんて思わなかったんだ。だってお前、今もまだみんなから嫌われてるんだろ? それでどうやって……」


「つまらぬことを言わせるな。いかに嫌っていようと玉座には誰かが座らねばならぬ。この世界の民はそれを知っているだけのこと。好き嫌いでまつりごとの王を決めるなど愚政の極みでしかないのじゃ。そなたの世界の政治の王たちも、別段好かれているわけでもなかろう?」


「……ノーコメントで」


「まあよい、妾はその極みに立っているだけに過ぎぬ。一歩間違えば玉座から転げ落ちて全てを失うが、そんなものは王に就く前からずっとわかっていたこと、今さら動揺などしないのじゃ」


「この状況でそれを言えるお前は本当に凄いし強いよ」

 玉座の間にいるのは俺とアリステアだけじゃない。この国の臣下たちも両脇に列をなして控えている状況だ。そいつらは表情にこそださないが、誰一人として彼女への悪感情を隠せていなかった。


「全てに嫌われているのであれば逆にわかりやすくてよいわ。結果を残し続ければよいし、それができなくなった時は死をむかえるだけじゃからな」


「お前は、それがわかっていて、それでも……」

 この世界の王で居続けるのか? 誰からも報われることなんてないのに、世界のシステムみたいになってこれからずっと死ぬまで……。


 いいのか? 俺は、本当に、こいつを置いてこの世界を、


「まったく、最後まで手のかかる従僕じゃ。わざわざ妾に、それを言わせるか」

 アリステアは腕を振るう、同時に玉座の間にいた彼女の臣下たちが一瞬でどこかへと転移させられていった。


 彼女の厳しい表情が、俺に対して優しく緩む。


「タツヤ、言ったでしょ。私の気が変わらないうちにって。これ以上あなたをここにおけば、私はあなたを帰したくなくなる。あなたは一時の感情でここに残っても、いつかはあなたの運命を狂わせた私が憎いと口にする日がきっとくる。私にとって、それはとてもつらいことよ。世界中の全てに嫌われるよりも」


「だけど、お前はこれから、本当の独りになるんだぞ?」


「王とは孤独なモノ。初めから覚悟はあったわ。だから、私は大丈夫。私のことが大嫌いなのに、そう思ってしまわないように必死に頑張ってくれる誰かがいたんだから、私は一人でも平気だわ」

 アリステアが右手をあげる、その仕草に呼応して俺の周りにもこの場所に呼ばれた時と同じ召喚陣が浮かび上がった。


「アリステア、お前っ」


「元の世界に帰ったからって安心しないことねタツヤ。いつか必ずあなたの世界を侵略してみせるから」

 アリステアは笑顔で、最後にとんでもないことを言った。


「なんでだよっ、俺の世界にたいした価値はないんだろっ?」


「あなたがいるわ。あなたは私にとって至上の宝。あなたへの負い目を消すために今は帰してあげるけど、私は必ずあなたを奪いにいくわ。あなただけを探して、あなただけを目指して、私はあなたの世界に手を伸ばすから」


「最初から、最後までふざけた女だなお前は。せいぜい元気な顔を見せに来い、今度は俺なりの歓待をしてやるからよっ」

 彼女の気持ちに、その心に応える余裕は俺にない。

 だけど次に会えた時は、もっと違ったカタチで……。


 召喚陣が俺に向けて収束する。


 アリストスの世界から俺が切り離される直前、燃える赤い髪の少女から、涙が一粒こぼれ落ちるのが見えた、気がした。

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