第6話 誤算と初戦闘
モンスター。ダンジョンに存在する生物で、ダンジョン外には出ることがないとされている。その身体はまさにファンタジーそのもので、倒してしまうと黒い靄を生み出して消えてしまうらしい。
「ダンジョンだから、いるのは当たり前か」
冬真は着の身着のまま、ダンジョンに飛ばされた。装備を着ているどころか、履いているのはスリッパという有様だ。ダンジョンに死ににきていると思われても不思議ではない。そんな格好で戦うというのは。
目の前のモンスターはイノシシのような見た目をしている。顔つきはまさにイノシシといった風貌なのは間違いない。脚も腕もそこまでは長くなく胴体が太く長い。だが、普通のイノシシとは違い二足歩行している。足も腕も普通のイノシシよりも太くて――
「イノシシとクマが合体したみたいな? クマにイノシシが合体した、のか?」
なんにしても凶暴そうな見た目をしている。なんにしてもそのイノクマ――イノシシとクマが合わさったように見えるので――はもう十メートルも離れてはいない距離にまで接近してきてしまった。
両手をきつく握りしめて、そのときを待つ。
――瞬間。
隣から真っ直ぐに伸びる光の線が放たれた。それは抵抗など許さぬとばかりにイノクマの体を突き抜けていく。すると、イノクマは黒い靄を残して消えてしまった。あまりにもあっさりとした討伐に何が起こったのかを理解するのに時間がかかった。幾ばくかしてからモンスターを倒したというのを理解する。
「す、すごい。これが魔法? って魔法を使ったら⁉」
案の定というか、彼女は胸を抑えて苦しそうにしていた。魔法を使ってMPを消費したからであるのは間違いない。
「あれ? でもモンスターを倒したんだよな?」
モンスターを倒すと経験値が手に入るという推測を立てていた。経験値はMPに還元ができる。それにもかかわらず彼女は苦しんでいる。
自分の推論は間違っていたのだろうか。
もしくは推論は正しいとしても、例外はある。
「……彼女自身は経験値を手に入れることができない?」
考えながら彼女に近づく。苦しそうにしているのを見ているのがつらい。冬真は再び彼女の手を取って、自分の胸に当てさせた。呆然としているというか、驚いているような表情をしている彼女は確かめるように胸に触れる。少ししてから彼女は頭を振って、離れてしまった。顔色は優れていないままだし、MPを吸われたというような感覚もない。
「何らかの繋がりがあるボクに経験値が入ったかと思ったんだけど、そういうわけでもないのか」
それにしても頑なに冬真からMPをもらおうとしない。冬真にはもう経験値がないのか。それともなにかまだわかっていないものが消費されているのか。
「彼女自身も経験値が自分に入らないのは想定外だったのか? ダンジョンに飛んできた理由はモンスターを倒して、経験値を手に入れるため?」
けれど自分が経験値を手に入れられないのは彼女にも想定外だったのかもしれない。そんなふうに見て取れた。
だったら、どうすればいいのかを考えようとした時。
通路の向こうから足音が聞こえた。
「また、モンスター?」
彼女も音に反応したのか同じ方向を向いた。しかし、膝から崩れ落ちて手を地面についてしまう。冬真も膝をついて表情を伺った。息も荒く、汗が滲んでいる。彼女は限界だ。
これ以上、魔法を使うとどうなるのかわからない。
消えてしまうこともあり得る。
「……それは、だめだ」
まだ恩を何も返せていない。逆に彼女を召喚して、苦しませてしまっているだけだ。そんなことあっていいわけがない。
冬真はすっくと立ち上がり、拳を握った。
「それに、名前も教えてもらってないしな」
イノクマが猛然とこちらに突っ込んできているのが見えた。隣には彼女が座り込んでしまっている。モンスターのこともすりぬけられるのかはわからない。なので、冬真も前に駆け出して彼女から距離をとった。
お互いが近づいているので、衝突はもうすぐだ。このまま左右にステップすれば突進を避けることはできる。しかし、そうするとイノクマは彼女に標的を変えるかもしれない。それを避けるためにその突進を受け止めることを決意した。
野生のイノシシの突進を受け止めるのは無謀にもほどがある。だが、こいつは大きさはそれほどでもなく速さも驚くほどではない。
「う――おっっ⁉」
腹を子供の頭突きなど比ではない衝撃が襲う。痛くて仕方ないが我慢できない痛さではない。なんとか受け止めきった冬真は反撃に移った。
拳を握りしめて、イノクマの顎下を殴りあげる。皮膚の感触としてはそこまで堅くはない。だが、冬真自身にそこまでの力があるわけでもなかった。吹き飛ばすイメージで拳を振り切ったが、実際には少しよろめかせただけに終わる。
「――いまだっ‼」
反撃を許しはしない。攻撃は最大の防御だ。その思いでイノクマにタックルを仕掛ける。バランスが崩れていたところでのそれに、面白いように倒れた。
冬真はイノクマにマウントを取って一心不乱に拳を入れ続ける。顔面を右に左に。イノクマもただやられているわけはなかった。腕を思い切り振り回してきた。そこで気づいたのだが、イノクマはイノシシの蹄を持っていた。それも本来のものよりも鋭利な形な。
腕が短いのが救いで冬真の顔には攻撃が飛んでこないが、腹や脚は切りつけられている。脚はその太い腕を振り回して打撲しているような痛さがじわじわとやってきている。
痛さからいったん、距離を取って仕切り直すという選択が頭をよぎった。だが、それを振り払うように力いっぱい拳を叩きつける。離れたら、もう一度マウント体勢に入れるかどうかわからなくなってしまう。痛みを我慢して、攻撃するのが最も早く事を終わらせることなのと信じろ。
こんなに必死になって物を殴ったことなんてない。手の皮が剥けてしまい、血が滴り落ちる。
真っ赤になった拳をイノクマの顔面に突き立てた瞬間――
黒い靄になって、雲散霧消したのだった。
「……終わった」
大の字で地面に崩れ落ちて、ようやく一息吐くことができた。何度か深呼吸して息を整える。そうしてようやく実感が湧いてきた。
「モンスターを倒したんだ」
無我夢中すぎて、他人から見れば果てしない泥試合だったのは間違いない。でも、そんなことはどうでもいい。とにかく倒したのだから。
「そうだ、彼女に……」
立ち上がって、彼女のもとに向かう。太ももはじくじくとした痛みを訴えているし、腹からは血が滲んでいる。アドレナリンが出ているのか痛みは不思議とそこまででもない。
いまだ座り込んでいる彼女と視線が交差する。
――初めて、かもしれない。
目と目があったのは。
笑みがこぼれ落ちるのを感じながら、手を差し出した。
――――――
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