第2話 言葉と帰還
澄みきっている湖畔のような色の瞳を見つめながら、冬真は言わなければいけない言葉を発した。
「助けてくれて、ありがとうございました」
どういう経緯で彼女が現れたのかはわからない。彼女が何者かもわからない。いかなる手段で助けてくれたのかもわからない。
ただ、彼女が死にかけていた自分を助けてくれたのは間違いなかった。それだけで感謝を告げるのに躊躇いはなかった。
冬真はいまだ握りしめたままの手をなんとなく見つめた。美しさを極めすぎると、動物的でなくなるというか、無機質に見えるという。実際、あまり人間味を彼女から感じない。けれど、触れ合っている彼女の手は低いものの確かに熱を感じて、なんだかびっくりしてしまった。
――というより。
言葉を発してから、何の反応もない。頷きもしていないし、なにか言葉を返されてもない。
この時間がとても気まずい。冬真は基本的にそこまでコミュニケーションに長けているというわけではないのだ。そんな人間にとって対面している状況での沈黙ほどきついものはない。意味もなくあたりをキョロキョロと見回しながら、沈黙を破る。
「えっと、ここはどこなんでしょうかね。それに真っ白すぎて目に痛いですよね。あと――」
自分でも何を言っているのかわからないまま、頭に浮かんだ言葉を口に出していたときだった。
指が動く。誰のというと真っ白な彼女の手の。冬真は固唾をのんでそれを見守る。初めての何かしらの行動をしてくれるのだ。見守らないわけにはいかない。
ゆっくりとだが、彼女は口のあたりに指を持っていき、頭を振った。
「ん……?」
初めてのリアクションが返ってきてホッとしたよりも先に困惑が心のうちを占める。何かを伝えたいというのはわかるのだけれど。
口を指し示しているのは口ということを意味しているのだろう。そのあとに、頭を振った。それが意味していることというのはおそらく頭のなかに浮かんでいるどちらかで間違いない。
冬真は手っ取り早く、確かめるほうが簡単な方から確認してみることにした。
自分の口を指し示しながら、彼女の目を見ながら大仰に口を動かして、言葉を発する。
「笑顔を見せてください」
それに対して彼女はなんの反応も示さなかった。まるでなんという意味なのかを理解できていないかのように。
つまりはそういうことなのだろう。
「日本語が、わからないんだ」
当然といえば当然だ。彼女は明らかに日本人ではない。そもそもこんなダンジョンの地下深くにいる存在が日本人であるわけがない。ならば、言語が違うのは当たり前だった。
「なら、英語なら通じる……か?」
可能性はなくはない。世界共通語であるのだし。ただ、ダンジョンにいる人間に通じるかどうかは定かではないが。
いちおうの確認を込めて、なんとなく意味が通るくらいの侍イングリッシュで同じように会話を試みたが失敗に終わった。
「ダメかあ。そもそもこの世界の言葉がわからないのか? ……なら、そうか」
ならば逆に彼女に何らかの言葉を話してみてもらえばいいのだ。とりあえずこの世界のメジャーな言語を操るのかどうかくらいは知っておきたい。
身振り手振りでお願いしてみることにした。口をパクパクさせる動きだったり、自分と相手とのコミュニケーションをしているようなお芝居をやってみたりと。
数分の試行錯誤の末なんとか意味が伝わったのか、彼女は無表情ながら可憐な口を動かしてくれた。
「――――」
空気に溶けてしまいそうな小さな声だった。小さかったけれど、とても心が刺激されるような美声で胸が苦しくなる。
それはさておき、彼女の発する言葉は何を言っているのかさっぱりわからなかった。そこまでの語学力がないので確かなことはわからないけれど、世界のメジャーな言語のどれかではないのは間違いない。
――そういえば。
冬真はあたりを見回す。死にかけのときに目標にしていたドロップ品だろうものが消えてなくなっている。状況から考えるにそれから彼女が出てきたのだろう。
「いや、生まれたのか? でもある程度の知性はありそうだしなぁ」
そのあたりはあまり深く考えると藪蛇になるかもしれない。何にしてもそのドロップ品と彼女の間には何かしらの関係性がある。なら、この世界の言葉ではない可能性もあるのかもしれない。
「うーん、困った」
とりあえず言語に関してはすぐにどうこうできない。感謝の言葉を伝えることがすぐにはできないのが少し心苦しいが、とりあえず後に回すしかない。
「さて、と」
できないことはすっぱりと諦めて、できることをしていく。冬真は頬を叩きながら、気合を入れた。
まずは、ここでこうしていてもしょうがない。彼女のことに関して考えるにしても、地上へ戻ってからにするべきだ。
「ここから出るにはどうすれば、いいのかな」
冬真は白すぎて目がチカチカするのを耐えるために目を細めながら遠方を見渡す。
地面も壁も白すぎて遠近感も何もあったもんじゃない。
正しく認識できているのか定かではないが、すぐ近くに目に見えるほど明らかな通路はなかった。
「正規ルートがないなんてことはないと思うんだけどな」
ここはダンジョンだ。ダンジョンというものがどういったものであるのかはいまだ明らかになっていない。けれど、道が繋がっていないということはないような気がする。
「それともこのダンジョンは普通のものとは違ったりするのか?」
思考をいったん止めて、確実にある方法をまず考えてみることにした。
ここに来るときに落下してきた穴だ。当然、地上から落ちてきたので地上に繋がっている。そう思い、冬真は見上げて気づいた。
「穴が、ない?」
綺麗さっぱりと穴がなくなっていた。
元々、穴なんてなかったかのように他と同じような綺麗な天井しか見えない。しばらく呆然として見上げたまま、苦笑した。
「つまり、閉じ込められたのか?」
死にかけの次は閉じ込められる。自分の運はいったいどうなってしまっているんだ。
ここまでくると変な笑いが出てきそうになる。悲しいんだか面白いんだかよくわからない感情になっていたときだった。
突然、背中に人の指が接触した。
「うお――っ⁉」
振り返ると彼女が人差し指を伸ばしてこちらに向けていた。思わず、飛び跳ねてしまったがとても失礼な態度だったかもしれない。冬真は何度か頭をペコペコと下げながら彼女に近づく。
表情はぴくりともしていないが、何やら考えているふうな空気を彼女から感じる。黙ってそれを見つめていると、唐突に手を差し出された。わけもわからず握手すると――
「な、なんだ――っ‼」
彼女から、光が溢れ出した。光の粒のようなものが彼女を、いや冬真たちの周りに漂っている。
――これは、魔法⁉
ダンジョンが現れて人類はある程度の探索をすでにしてきている。ダンジョンに存在している生物――いわゆるモンスターは魔法を使う。火の球、氷の礫を飛ばされたといったニュースを聞いたことがある。けれど、その力を人間がその身一つで体現することができるなんてことは聞いたことがない。
わからないことだらけだ。けれど、わからないことが不思議と面白い。
――それに。
この力で自分は助けられたのだ。
その確信を抱いて、光に包まれていった。
2
「あれ、ここは」
じめじめとした熱気が冬真を襲う。この暑さは間違いなく日本であり、地上だった。
「戻ってきた、のか」
見覚えのある風景。周辺を見回して、何度も確認したが間違いない。ここは冬真が落下した場所だった。
けれど、冬真が落ちた穴はここにも無い。試しに地面をつま先で何度か小突いてみるも、ひび割れたりはしない。あのときの地割れがまるでなかったことのようになっていた。
――って、そうだ‼
命の恩人である彼女はどこにいるのだろうか。前にも後ろにもいない。どこか自分とは別の場所に飛ばされたりしてしまったのかもしれない。
冬真は慌てて、探しに行こうとしたときだった。
冬真に影がかかる。
思わず上を向くと、彼女は冬真の頭上にいかなる力かぷかぷかと浮かんでいた。何を考えているのかわからない無表情を見ていると心が落ち着いてきた。
とりあえず、
「帰るか」
ボロボロで血まみれの服を着たままだと警察のお世話になりそうだったのでいったん家に帰ることにしたのだった。
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