ダンジョンは甘いものが嫌い 〜ボクだけが見える彼女のためにダンジョンに潜ります〜

ななし

第1話 落下と出会い

 

 今日も今日とて日差しが眩しい。冬真は手で庇をしながら帰路を歩いていた。冷蔵庫の中には納豆のみというありさまだったことで朝から買い物に出かけたのだ。好き好んで朝から出かけたくはなかったけれど、昨晩もそう思って夕飯を抜いてしまっている。さすがに腹の虫が鳴り止まないので、億劫だったが出かけることにしたのだ。

 じんわりとした熱気に肌を撫でられると夏が来たという気がする。今年も例年よりも暑くなるだとかなんとかニュースで流れていた。これよりも暑くなったらどうなるんだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えていたときだった。


「――おっと」


 軽いめまいに少しふらついた。朝晩と食べていないので身体が不調を訴えているのかもしれない。

 ――昼は大盛りにしよう。

 昼食の献立は何がいいかなんてことを考えながら、足を踏み出して――


「……は?」


 目の前が真っ暗になった。いや、そうではない。冬真は上を仰ぎ見る。日の光がそこの穴から天竺のように垂れているのが見える。そこから導き出されるのはただ一つ。


「落ちたのか――っっ‼」


 身体全体にとてつもない、風を感じながら冬真は地下の世界へものすごい速さで落下していた。空気を切り裂くように垂直に落下している。ふと頭の中に最近習った自由落下の速度を求める公式が浮かんだ。


「って、そんなこと考えてる場合じゃない‼」


 頭を振りながら現実に向き合う。

 急な暗闇に視界が正常に機能していなかったが、だんだんと慣れてきたことで周りが見えるようになってきた。冬真は目を細めながら、あたりの情報を拾う。

 左右は薄暗くて正確にはわからないが、壁のようなものは見当たらない。何メートルか、もしくは何十メートルもの幅広さがあるようにも見える。

 ――だけど。

 出入り口と言っていいのかはわからないが、この大穴に入ることのできる穴は冬真が落ちてきたそこまで大きくはない――絶賛落下中なので正確な大きさはわからない――だろう穴しかない。はたして、地盤的に考えてそんなことがあり得るのだろうか。それに考え事をしていたとはいえ、前を見てしっかり歩いていた。少なくともこんな人間が落ちるような穴に気づかないほど節穴ではないと信じたい。

 よって、ここの場所はとあるところだと確信した。


「ダンジョンか――っっ‼」


 三年ほど前から地球全土に現れた謎の地下空間。実際の空間以上の広さを持っていると言われる、現実的にはありえない不思議のかたまりのような場所だ。

 それだというのなら、この意味がわからない現状にも納得がいく。


「わけないだろ‼」


 落下していくごとにどんどんスピードが上がっていく。落下し始めてからどのくらいの時間が経っているのかわからない。いくらダンジョンが何倍、何十倍の広さを誇っているとはいえこの速さで落下しているのならば底にたどり着くのもそう遠い未来というわけではないだろう。ダンジョンのなかにも現実の物理法則は働いている。このまま地面に叩きつけられたなら、まず間違いなく助からないだろう。脳裏には嫌な想像がいくらでも湧いて出てきた。


「くっっそ‼」


 現状を打開するためになにかできることはないのか。冬真はポケットをまさぐった。右のポケットには携帯。左のポケットには――


「エコバッグ、か」


 手にとってみて、一つの案が思い浮かぶ。成功する未来はとても想像できなかったが、こんな状況だ。やれることはなんでもやるべきだ。

 冬真は持ち手を左右の手で握り、口を真下になるように広げる。イメージしたのはパラグライダーだ。これで少しでも落下の速度を緩められたら――


「って、そんなうまくいくわけないよな」


 エコバッグは持ち手を置き去りにしてバラバラになってしまった。袋のなかにはとてつもない風が流れ込んでいたであろうから、この結果は無理もない。


「なに……か」


 ポケットにはなにもない。あとは着ている服くらいのものだ。上に着ているシャツを脱いで先程と同じことができなくもない。けれど、


「無理、だよな」


 怖くて見ることのできなかった真下に視線をやった。どこまでもどこまでも続いてほしい。そんな願いとは裏腹に小さな白い点が目にうつった。どういうことかはわからないがあそこが終着点のように見える。


 死を感じる。

 あそこに着いたときが冬真が死ぬときに違いない。

 生まれて十六年。普通に生きてきた。それの末路がこれだ。


 両親は死んでいる。親族もいない。仲のいい友人もいるわけではない。だから、自分で良かったのかもしれない。もっと未来あふれる子供が犠牲にならずに済んでよかった。


 ――なんて、思えない。


 あたりいっぱいの空気を吸い込んで、どこまでも届くように喉を震わせる。


「ふざけんな――っっ‼」


 声が木霊していき、それも聞こえなくなる。その頃には心は異常に冷静になっていた。


 冬真は視線を下に向ける。白い点はいつの間にか見るからに大きな大きな円になっている。


 さすがに自分がどうなるのかというのは見たくはなかったので、目蓋を閉じる。

 頭のなかを空っぽにして、何も考えない。


 ただ、ふと一つの言葉が浮かんだ。だからその言葉を最後にしようと思ったのだ。



「――死にたくないな」



 そして、地底にたどりついた。




 2


 痛みを感じた。左腕が燃えるように痛い。自分は寝る前には何をしていたんだろうか。遠い日の記憶を思い出すかのようにゆっくりと遡っていく。


「あ、あ……」


 冬真は落ちたのだ。ダンジョンに。では、なぜ生きているのだろうか。思考を働かせようとするも靄がかかったように判然としない。それに目蓋を開くのでさえ、億劫で仕方がない。そんな身体に鞭を入れるようにして、言うことをきかせた。


「ここは……」


 ダンジョンの中なのは間違いない。だが、冬真が見たことのあるダンジョンの風景ではなかった。

 一面石で出来ているダンジョンは見たことがある。どんな力が働いているのか草原が広がっているダンジョンも知っている。火山や湖が広がっているところも知っている。

 けれど、


「白い、空間?」


 一面、真っ白だった。どこまでも広がる空間。けれどここには何もなかった。本当にただ広くて白いだけ。それがこのダンジョンの最下層の有り様だった。


「なんだ、ここ」


 もっと詳しく観察しようと起き上がろうとして、失敗した。顔から地面に崩れ落ちる。鼻を強打した痛みを我慢しつつ、支えにしようとしていた右腕を一瞥した。

 右腕はすでに腕という体を成していなかった。身体にくっついている肉の塊。それが起き上がるのに失敗した理由だ。


「なんで、痛みを感じないんだか」


 こんな状態にもかかわらず痛みを感じていないというのは不幸中の幸いと言えるのだろうか。続けて、左腕を動かそうとして――


「――――っっ‼」


 声にならない悲鳴を上げた。想像を絶する痛み。動かそうとするたびに肉を引きちぎるような痛みが襲う。それに呼応して喉の奥から這い上がってくるものがあった。我慢することを考えることもできずにそれらを吐き出す。水たまりをつくるのではないかと思うほど、口からの血の量に苦笑せざるをえなかった。


「足も……動かないか」


 両足は着地のときにおかしくなったのか、神経がイカれてしまっているようでこれもまた痛みを感じない。


「そもそも、なんで……生きてるんだ」


 まず助かるような落下速度ではなかった。こんなに身体がボロボロなので助かったとは言えないかもしれないが、本来であれば原形を留めていられないはずだ。自らの身に何が起こったのか思考を巡らせようとして、視界の端になにか白いものではないものが映ったような気がした。

 顔の位置をなんとか動かして目蓋を開く。ぼやけている視界に間違いなくなにかの物体があるように見えた。


「あれ、だ」


 なにかはわからない。見えもしないし、触れることもできる距離ではない。しかし、自分が助かった理由はあれだと直感的に思った。


 ――あれは、なんだろうな。


 脳裏にはダンジョンに関するいくつかのニュースがなぜか酷く鮮明に浮かび上がってきた。


 ダンジョンに生息しているモンスターを倒すと、かなりの低確率で現代の知識ではありえないとされる代物がドロップするということ。

 たとえば、燃え続ける蝋燭。たとえば、水を出せるコップ。たとえば、万能の薬。


 もし自分が落下した先にモンスターがいたのだとしたら――


 可能性はゼロではない。


「ここで、こうしてるところで……死ぬだけだ」


 残っている左腕に目をやり、覚悟を決めた。


「う――――っっ!」


 ものを考えることもできない。痛さ。熱したスプーンで肉をほじくられているかのような痛さ。ガスバーナーで肉をあぶられ続けているような熱さ。切れ味の悪い刃物で肉を切断しようとしている断続的な痛み。

 それを伴いながら、冬真は目的の物体のもとまで左腕を使って這い出した。


 可能性はゼロではないが、そんな都合のいい奇跡が起こるわけない。冷めている自分が耳元でそんな言葉を囁いている。

 ――たしかに、な。

 限界を超えている腕を酷使させるわけにはいかないと脳が途轍もない痛みとともに警告してくれている。鼻からも血が流れ始め、目も霞んできた。


 こんな痛みを伴ってまで、する必要のあることなのか。もう休んでいいんじゃないか。

 ――うるさい。


 肉がえぐれ、骨が見え始めた。


「わかん、ない……けど」


 口からも止まらなくなった血液を吐き出しながら、進み続ける。



「ぐっ……そ――っっ‼」


 動かすたびに視界が白くなり、もう前に進んでいるのかどうか自信がない。それでも止まることだけはしたくなかった。


「あ、れ」


 左腕を動かそうとして、ピクリともしなかった。

 腕の熱が身体全体にまで行き渡っていたのが急速になくなっていく。そこで冬真はようやく息を吐いた。

「ここ……まで……か」

 そして、力尽きた冬真の鼻先がそのモノに触れた。



 微睡みを感じている。心地よい温もりを後頭部に感じた。これははるか昔にもされたことのあることで。あれはまだ母が生きていたときにしてもらったことのような気がした。

「あ……れ?」


 どうして自分はまだ生きているのだろうか。今日何度目かのその考えが脳裏によぎりながら、冬真は目を開けた。


 美の化身がそこにはいた。

 乳白色は透き通るようで、長い睫毛に縁取られている大きな瞳や、鼻梁もすばらしく整っている。対称といっていいほど左右のバランスが良く、同じ人間とは思えなかった。

 それに――

 そこで冬真は自分がどういう体勢になっているのかを理解した。

 跳ね起きるように飛び上がり、後頭部に触れる。まだぬくもりが残っているのが恥ずかしいような嬉しいような。顔に熱が集まっていくのを自覚しながら、ようやく気づいた。


「傷が治ってる⁉」


 冬真は自分の身体に視線をやる。あれだけボロボロになっていた身体には傷ひとつ見当たらないほど綺麗さっぱり治っていた。いっそ、傷ついていたということのほうが嘘だったのではないかと思うほどに。けれど、身体に張り付いているだけの服だったものがあれは現実にあったことなのだと主張していた。

 ならば、答えは一つ。

 彼女に治してもらったということなのだろう。

 あらためて、彼女に向き直った。いつの間にか立ち上がっていたようで彼女を見上げるかたちになった。

 完璧に手入れされている白髪は腰ほどまであり、光を反射させているのではないかと思うほど輝いている。

 そんな女性が冬真に向かって手を差し出した。どういう意味のそれかはわからなかったけれど、自分に向けられてのものであるのは確かだ。


 心のなかで深呼吸をして、彼女の手を取った。





――――――


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