第17話 おかしな追跡者

「トールよ、何か来たぞ」


 きちんと警戒を続けていたミルドは、まだ姿が見えぬうちにトールへ声をかけた。

 普段無警戒で歩いているように見えるミルドだが、警戒ができないのではない、ただやっていないだけなのだ。

 ちょっとばかり気を張れば、たいていの相手よりも先にその存在を察知することができる。


 まだ敵か一般人かもわかっていないけれど、こんな中途半端なところを一人で歩いている時点で十分に警戒するに値する。商人であれば馬車で移動するし、賊であれば複数人いるのが普通だ。


 熟睡していたわけではないトールは、声が聞こえてすぐにぼんやりとした意識を覚醒させた。今一つ休んだ感じはしないけれど、何かが迫っているのならば贅沢は言っていられない。


 道を外れたところで休んでいるので、静かにしていれば気付かれないはずだ。


「おー、近い近い、こっちだな。わかるなぁ、うん、こっちだ、こっち」


 その大きな声には誰も反応しない。

 それなのに男はまるで誰かと喋っているかのように、言葉を続ける。


「お、道から外れたか、さては追われているのに気づいて隠れたんじゃないかな?」

「……独り言の大きな奴じゃな」


 これだけ喋っていて一人ということはないだろうと、トールは茂みからそっと声のする方を覗き込む。


「もうすぐだ、近いぞー! さぁって、200万ウェンスのD級冒険者なんて、本当にラッキーラッキー。これでしばらくのんびり休むことができるってもんだよねぇ」


 やはり独り言だった。

 茶髪に前髪の一部だけが赤いその男は、片手に異様に長い剣を携えて、当たり前のようにまっすぐトールの方へ向かってきている。

 酷薄な笑みを張り付かせたその顔は、散歩にでも行くような気軽さで、真剣みはまるで感じない。


「いやぁ、しかし、見通しが悪いなぁ」


 右腕につけた腕時計のようなものを見ながら呟いた男は、顔を上げると片手に持っていた剣を両手に持ち替え、思いきり横に薙ぎ払った。

 剣の範囲にあるのは、僅かな草ばかり。

 大げさな動作をするものだと思っていたトールは、ジャリッという妙な音を聞いて目を凝らした。

 聞いたことのない風を切る音がして、細い木がなぎ倒され、ギンッと金属がぶつかり合う鈍い音がした。

 

 剣が伸びた、トールにはそう見えた。

 鞭のような軌道で伸びた剣は、その範囲内のある物すべてをなぎ倒してから、手元に戻り再び連結。


「よーし、これで進みやすいよねぇ? さ、行こう行こう」


 トールとの距離はまだまだ遠いが、男があと十歩も進めば先ほどの剣が届く範囲までやってくる。


「蛇腹剣、なんと珍しい」


 一緒にのぞき込んでいたミルドがほぅと息を吐いて感心する。


「戦ったことがあるんですか?」

「一度だけな。あんな使い勝手の悪いものを使うものが二人もおるとは驚きじゃ」

「……面倒そうです、逃げましょう」

「お主がそう言うのなら」


 踵を返したトールは、男に背中を向けて走り出す。

 音を出さぬよう気を付け、着いてくることが難しいようルートを変えながら進んだトールは、見失ったであろう頃合いを見計らって、そっと地面に身を伏せて時間を過ぎるのを待った。


「うーん、こっちだ、間違いなくこっちのはずなんだよ」


 しかし男は大きな独り言と共に、自然を破壊しながら迫ってくる。

 二度、三度と繰り返しても結果は同じだった。

 おそらく最短距離でまっすぐにトールの方へ向かってきているのだ。


 そしてその時男は、必ず右腕に目を落としていた。


「魔道具を、使っておるな」

「魔法の力が込められた道具ですよね? 腕につけているあれでしょうか」

「じゃろうな。逃げるにしても、破壊してからでないといつまでも追ってくるぞ」


 距離を取りながらの会話で、ミルドが遠回しに戦闘を促すと、トールもため息をついてそれに乗った。


「……蛇腹剣との戦い方を教えてもらえませんか?」

「ほう、やる気があって良いの。受けるな、大きくよけろ、じゃな。手元を見ると軌道がわかりやすい。先端の動きに惑わされるな」

「聞いたのは俺ですが、よく咄嗟に出てきますね」

「戦いの年季が違うんじゃよ」


 年季も何も、ミルドの見た目はせいぜい20代だ。

 そんなに年は離れていないだろうと、トールはあきれ顔だ。


「ミルドさん、手を貸してもらったりは?」

「相手も一人なんじゃ、一人で相手するとよかろう」

「そう言われるんじゃないかと思っていました!」


 トールは他よりも木の多い場所を選んで立ち止まり、身を隠して男が迫ってくるのを待った。

 ジャリッという音が聞こえて、トールは頭を低くする。

 ビョウビョウと空気が鳴き、頭上を蛇腹剣が通り抜けた。


 ギンッという音がする前になぎ倒された木の陰から飛び出したトールは、蛇腹剣が戻っていくのを確認しながら一気に男へと迫っていく。

 不意打ちで右腕の魔道具を壊せればベスト。

 最悪腕を落としてもいいくらいのつもりで、トールは必死に走る。

 

「お、出てきたじゃんか!」


 近くで見ると、思ったよりも幼い顔立ちをした男だった。

 ただし、愉快な言葉遣いと裏腹に、その目は冷えており鋭い。

 

 ギンッ、と音がして蛇腹剣が手元に戻る。

 そうしてトールの攻撃が届く前に、再び蛇腹剣はジャリッと音を立てた。

 まっすぐに突き出されたその一撃は、先日ミルドにやられたトールの右腹へのびてきていた。


 短い期間に何度もどてっぱらに穴をあけられてはたまらない。

 無理やり身をよじって避けたトールの腹を掠った蛇腹の剣は、僅かに肉をえぐりながらさらに伸びていく。


 明らかな隙だった。

 トールは剣が戻る前に、男の右腕に向かって剣を斬り上げる。

 しかし剣から左手を離した男は、万歳をするような姿勢をとってその一撃を避けた。

 相手の姿勢を崩したところで更に一撃を、そう思った直後、元の位置へ戻ろうとする蛇腹剣が、下から斜め上へ波打つような動きをしてトールに襲い掛かった。

 

 『受けるな、大きくよけろ』


 とっさに剣で迎撃しようとしたトールは、その言葉を思い出して横っ飛びした。

 トールの体を捕らえなかった蛇腹剣は、代わりに太い木に巻き付くと、それを引き裂きながら縮み、ギンッと音を立てた。


 よけずに受けていたら、トールの体が胴体から真っ二つになっていたに違いない。


「ありま、今の避けるんだ。っかしーなー、大体あれでやれるんだけど」


 必勝パターンを崩された男は、それでも余裕を保ったままとんとんとつま先で地面をたたいて、少しだけトールから距離を取った。


「君、本当にD級冒険者? 俺、仮にも勇者の血を引くA級冒険者だよ? 自信なくなっちゃうなーっと」


 喋りながら片手で剣を揺らす男。

 その先端はまるで生きているかのように左右に揺れて、それを追いかけるトールの目を惑わす。


 『手元を見れば軌道はわかりやすい』


 ミルドからアドバイスを受けたときはなるほどと思ったトールであったが、言うは易しというやつだ。こうして立ち会ってみると、どうしても先端の動きが気になって、なかなかどうして手元を見ている余裕なんてない。


「ほいっ」


 何とか距離を近づけようと走りだすと、男は戯れるように一撃を繰り出し、トールは必死にそれをよけることになる。

 半端なことをすると、蛇腹剣の帰り道に体を削られかねないからだ。

 男が剣を振るう度、彼我の距離が少しだけ離される。

 その距離は、男が一番戦いやすい間合いだ。 


 中距離を保たれたまま嬲られている。

 一方的な消耗。


 今のトールの状態を示すには、そんな言葉が適切だった。

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