第14話 逃亡レッスン
トールは階段をゆっくりと上がり、頭を下げて耳を澄ませる。
そうして足音や声の数を聞いて、地上にいるおおよその敵の数を把握した。
5人以上、多く見積もっても10人以内。アバウトな数字だがまるで分らないよりはましだ。
今回の場合、トールに殺意はない。
殺さずにどう切り抜けるか、と考えているのは未だ相手の悪意を確信しきれていないからだ。この世界で当たり前に生きていくためには、あまりにもスロースターターである。
「ここから一番近い街の門はどっち方面だかわかりますか?」
「ここからでて正面が北。近い門は東か南じゃな」
逃げる方向を定めるために問いかけると、ミルドから詳細な返事があった。
曖昧な答えが返ってくるとばかり思っていたトールは驚く。
昨日来たばかりの街で、トールが捕まるというトラブルがあったにもかかわらず、ミルドはこの街の地図を頭に入れてからやって来たらしい。それに比べてトールは、突然捕まった混乱のせいで、来た道すらろくに覚えていなかった。
「作戦は?」
「そのまま逃げます」
作戦とは言えぬような答えにミルドは鼻で笑う。
「せめて足止めに負傷兵くらい作ったほうが良いと思うんじゃがな」
「……いよいよ本当に指名手配されても嫌なので」
「既にお主を連れて行ったものを数名昏倒させてきておるんじゃけど……」
指名手配。
この顔を見たら110番。
そんな文言と共にポスターに自分の顔が張り出されるところを想像してしまったトール。隣には挑発的な笑顔でミルドの姿も掲載されている。
この世界には写真なんてないし、警察組織程の地域連携はないので、飽くまでトールの妄想でしかないけれど。
「……近くにいなければ駆け抜けます」
「近くにいて襲われたら? どちらへ向かう?」
ずさんな計画の穴を埋めるようにミルドが問いかける。
この街を出て北や東へ向かうと、いずれ海へ出てしまう。
逃げて街から距離をとりたいのであれば、南を目指すのがいいはずだ。
「足止めをするような攻撃をして、南方面へ逃げます」
トールは大陸の地図をぼんやりと頭に思い浮かべながら答えた。
「40点、落第じゃな。しかし腑抜けた目がようやく少し覚悟を持ったか。先導してやろう、道なら頭に入れてきた」
どんな落ち度があるのか、外の気配を探りながらだと考えがまとまらない。
評価点については脇によけて、トールは意外に思ったことを口に出した。
「……この短い間に道を憶えたんですか?」
「当たり前じゃろう」
トールはミルドのことを少々勘違いしている。
興味がわいたからとトールに襲い掛かったように、鍵を折ってしまって南京錠を引きちぎったように、なんでもかんでも力で解決する蛮族のように思っているのだ。
だから準備を整えてきたことがにわかに信じられない。
すっかり忘れているようだが、元々ミルドは魔国のお姫様だ。
肉体労働よりは頭脳労働に長けていてもおかしくない。
鍵の件だって一応奪ってから来ているのだから、頭は使っている。
結果だけ見ると脳筋な対処になってしまったけれど。
色々とじっくり考えたいことができてしまったトールだったが、いつまでものんびりおしゃべりに興じている場合ではない。
「案内をお願いします、今は扉の外にまだ人がいません」
「立っていた牢番は昏倒させて見張り小屋に放り込んでおいたからな」
「……はい、行きます」
片手に剣を持ったまま地下階段から飛び出したトールは、正面に抜き身の剣を持ってやってくる8人の兵士を確認した。
彼我の距離はおよそ10歩。
止まらず駆け出したミルドの後を、トールはすぐさま追いかける。
軽く走っているように見えるミルドは、一歩地面を蹴るごとにトールを少しずつ後ろへ置いていく。
単純な身体能力の違いだ。
何度も言うようであるが、トールだってこれまで多くの魔物を屠ってきたのだ。
ホガイの街で観察した限り、十分以上の身体能力を有しているようだと自負していたトールだったが、ミルドと共にいるとそれが自信過剰であったのではないかと思えてくる。
ほんの数分走った頃には、後ろから追ってくる声が遠くなり、更に数分するとすっかり聞こえなくなった。
訓練を積み、外で魔物を狩るようなこともある兵士でも二人に追い付けない。
それこそが、トールの身体能力もまた一般的ではないという証拠だった。
トールとしては、足止めのために相手を傷つける必要がなくなって一安心である。
しかし気を抜いていると、あっという間にミルドを見失いそうだ。
必死にその背中を追いかけていると、商店街へ差し掛かったあたりでミルドは狭い路地へ飛び込んだ。
辛うじてその後姿をとらえていたトールは、慌ててそのあとを追追いかける。
入り組んだ路地裏で見失ったら、再会することは難しいだろう。
いっそ見失ったふりをして、一人で街から逃げ出してもよさそうなものだが、必死に走っているトールにはそんな画期的なアイディアは思いつかない。
仮に思いついたとしても、今回助けてもらった恩を無視して実行できるかような人間かといえば否だったけれど。
路地裏に飛び込むと、そこにはのんびりと歩いて待っているミルドの姿があった。
トールを振り切りそうな速さで前を行っていたくせに、しっかりと状況を把握するだけの余裕もあったようだ。
「ここの兵士は不甲斐ないのう、鍛錬が足りぬ。これでは戦になったとき勝てなかろうな」
ミルドがどこか不満そうに吐き捨てる。
相手の実力の低さを嘆くとは随分な余裕だ。
「一人ぐらいは骨があるのがいても良かろうに」
「俺は助かりましたが」
「……まぁ、そうかもしれぬが。さて、細道を抜けたら何食わぬ顔で門を抜けるぞ」
追いついたトールの言葉を聞き、呼吸にまだ余裕があることを確認したミルドは、またすぐに走り出した。先ほどよりはゆっくりとしているが、雑然とした路地裏を走るのは障害物競走じみていて、着いていくための難度ははさして変わらない。
路地裏に入ってからしばらく。
曲がることなく同じ方向へ進んでいく背中に、トールは走りながら問いかける。
「あの、こちらは、南ではありませんが!」
「そりゃそうじゃろう、東へ向かっておるからな。でないと街を出る手続きをしている間に追いつかれようて」
「最初から、そのつもり、でした?」
「うむ、お主の作戦は40点じゃからな」
楽しそうに笑って答えたミルドに、トールは何も言わず着いていく。
それは無駄話をしているとしんどいからでもあったし、確かに自分の計画が40点だったと理解して恥ずかしく思ったからでもあった。
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