第13話 ニアピン
トールは門番に連れ去られながら、ずっと抵抗すべきか否かで悩んでいた。
正確には口では無実と真実の精査を訴え続けて、それを無視され続けた結果、実力行使に出ようかどうかで悩んでいた。
門番というのは領主の兵隊だ。
兵隊ということはつまり、公的権力だ。
トールの中では警察とほぼイコールで結ばれている。
抵抗を迷っているうちにいつの間にやら地下への階段を降り、武器を取られ、乱暴に檻の中へ放り込まれていた。
兵士が去って、階段上の扉が締められると、日の光が差し込むのは頭上の鉄格子からだけになった。
扉が閉まったとたん、僅かに吹き込んでいた風がぴたりとやんで、あっという間に牢内の空気が淀む。カビだか苔だかの臭いが急激に強くなり、呼吸をすると体の中にそれが這い込んでくるような錯覚を覚えた。
どうしてよいかわからず、壁に寄りかかってずるりと床に座り込んだトールは、そのまましばらく黙って項垂れていた。
旅に出るということや、知らない土地へ行くということを舐めていたことにようやく気が付いたのだ。
ホガイの街では、すでに街に根を張っているマットと事前に知り合えたことで、スムーズに生活の土台を作ることができた。マットはお世辞にもいい人間ではなかったけれど、間違いなくトールの助けになっていたということだ。
これからどうなるのだろう。
現実逃避のような振り返りをやめたトールは、ゆっくりと立ち上がって鉄格子の外を窺う。暗くてよく見えないが、持っていかれた荷物は地下においてないようだった。
当然武器もない。
鉄格子を強く握って一度揺すってみるが、破壊できそうな気配はまるでなかった。
当たり前のことなのに挑戦してしまったのは、つい最近、鉄の棒を平気で曲げ折りそうな異端に出会ってしまったせいだろう。
何もできない以上、今は門番から下される沙汰を待つしかない。
旅のやり方や、お金の稼ぎ方、それに情報の集め方など、必要なことは学んできたつもりだった。しかし残念なことに、その必要なことの中に街の各街の司法がどうなっているか、なんてことは含まれていなかった。
何せトールは、遵法精神旺盛な自分が捕まる姿なんて想像だにしていなかったのだから。
僅かな月明かりの下、トールはため息をついて立ち上がった。
門番は結局あれから一度も顔を見せていない。
先ほどまで寝ころんでいて、眠ろうと務めていたトールだったが、どうにもうまくいかなかった。
理由としては、隣の住人が地鳴りのようないびきを立てているのが一つ。
もう一つは寝転がっているうちに、服が地面から水分を吸い上げてしまったことだ。そうならないために荷物の中にマントを丸めて突っ込んであったのだが、それも全部取り上げられてしまっている。
地鳴りの主がなぜ気持ちよさそうに眠っていられるのか、トールには理解できなかった。
さらにもう一つは腹が減ってお腹がチクチクと痛むことだ。
控えめに言ってこの地下牢は最悪の環境だった。
トールはわざと大きなため息をついて、くさくさする気持ちを強制的にリセットするこの牢にいるメリットは、誰にも気を遣わずに好き放題ため息をつけることだろう。
トールは湿ってしまった上着を地面に敷くと、壁に寄りかかって腰を下ろす。
接地面を減らして少しでも不快な思いを避けるためだった。
隣人のいびきが一度止まり、今のうちに寝てしまおうと思ったところで、トールはもう一つだけメリットがあったことに気が付いた。
流石に地下牢まではミルドがついてこない。
「はは……」
気づいてもさしてうれしいと感じないことを自嘲するように、トールは乾いた笑いを漏らす。
意地の悪いことを考えたせいか、あるいは漏らした笑いのせいか、隣から響いてくるいびきが再開してしまった。
トールは両手で耳を塞ぎながら、ヤケクソ気味で吐き捨てる。
「ああ、本当に嫌いだ、こんな世界」
呟きは誰にも聞かれることなく、湿気た地面に吸い込まれて消えた。
『徹、早く起きなさい』
母親に呼ばれている。
最初はそう思ったトールだったが、すぐにそれが夢だと気づいた。
今自分がいるのは異世界。
師匠にはこうして起こされたことはない。
今は旅の途中だったか。
いや、昨日街までついて……、とそこまで考えて次の呼びかけで声の主に推測が付いた。
じゃらりじゃらりと金属がこすれ合う音がする。
「よくこんなところで呑気に寝ておるの」
ぱちりと目を空けると、鉄格子の前でミルドが呆れた顔をしていた。鍵束の輪に指を通し、ジャラジャラと回している。
「ミルド……?」
「いかにもミルドじゃ。ほれ、武器と荷物」
隙間からぽいぽいとそれらが投げ入れられ、トールが受け取っている間に、ミルドはカギの一つを錠の中へ突っ込んだ。
「どうやってここに?」
「どうやってってそんなもん決まっておるじゃろうに」
ミルドは話しながらも、かぎを次々と試していく。
「釈放金でも払ってくれたんですか?」
「ああもう、ちょっとうるさい。どれが正しい鍵なんじゃ……」
なんにせよ助けに来てくれたことは間違いない。
そんな相手にうるさいと言われたものだから、トールはしばらく黙ってミルドの作業を見ていたが、段々と雑になってくる手の動きに不安を覚える。
意を決して、もうちょっと落ち着いてやって欲しいとお願いしようとしたその時だった。
不安が現実になった。
「あ、折れた」
ミルドの握っている鍵が頭だけになっていた。
「こりゃ駄目じゃな、詰まった」
トールはもう少し早く言えばよかったと思ったが、後悔先に立たずだ。
「何、まぁ、心配するな」
外がにわかに騒がしくなり始めた。
「大丈夫か」とか「誰にやられた」とか「鍵がないぞ!」とか、そんな感じの話声がトールの下へ届く。
「ミルド、兵隊を倒してかぎを奪ってきましたか?」
「そりゃそうじゃろう、よっと」
平然と答えたミルドはなぜか頭から角を生やすと、丈夫そうな南京錠を片手で握り、掛け声とともに力を籠める。
バツンという、普通に生きていたら聞く機会がないであろう、金属がちぎれる音がした。
「さぁて、蹴散らして街の外まで行くぞ」
めちゃくちゃだった。
昨日トールが想定したミルドは、檻から出るために鉄格子を折り曲げていたが、正しい答えは南京錠を引きちぎるだったらしい。
なるほど、トールの想像よりは僅かばかりクレバーである。
「とりあえず、ありがとうございます……?」
「遠慮するな、もっときちんと礼を言うが良い」
牢で沙汰を待つのと、犯罪者になるのはどちらが良かったのか、経験の浅いトールには判断が難しい。
どちらにせよ今やらなければいけないことは決まっている。
トールは荷物を腰にくくると、仕方なしに剣を抜いて檻の扉をくぐった。
すでに選択肢は、竜のお姫様によって握りつぶされた後だったのだから。
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