第11話 初心な旅人

 その辺りは生物としての強度の問題になってくるので、覆すことは難しい。魔物を倒したり強者と戦い続けることで、身体能力自体が向上するという例はあるのだが、それは遅々としたものだ。

 トールは街で暮らす一般人と比べれば怪力でありかつ、風のように素早く動くが、ミルドと比べてしまうと、十分に人と理解できる範疇に収まっている。


 ではマットがなぜトールをあれほど評価していたかと言えば、それはトールの戦い方にあった。

 安全マージンを取らない最低限の回避と、効率の良い攻撃は、生物としての本能が機能している相手の意表を突く。ぎりぎりのところで通らない攻撃、ありえない場面での反撃。

 命のやり取りをする場面において、それは圧倒的なアドバンテージだった。

 達人であるほど読み違える、ジョーカーじみた動き。

 それでいて、剣や戦いの基本はしっかりと修めているようだから、普通に戦っても弱いわけではないのだ。


 斧を持った男は、トールの首を跳ね飛ばすべく、まっすぐでためらいのない素早い攻撃を仕掛けてくる。人を殺すことにためらいがないというのは、これもまた、対人戦における一つのアドバンテージだ。

 覚悟が決まっていない相手に一撃目にこれを放てば、同格の相手を殺すことはたやすいだろう。

 

 トールはぎりぎりまで斧を首元へ引き寄せ、最後の瞬間にほんの少しだけバックステップをした。

 左手だけで力なく構えられていた剣が、下から上へひらめく。


 結果、男の一撃はトールの胸元を僅かに切り裂き、トールの一閃は男の腕をその斧事弾き飛ばした。


 獣のような絶叫が男の口から放たれる。


 普通、体の一部がなくなれば戦意など消失するものなのだ。

 男は相手を殺す覚悟はあっても、殺される覚悟はできていなかったらしい。

 落ちた腕の近くでうずくまり、痛みに反吐をぶちまけていた。


 トールは顔をしかめる。

 汚いとは、ほんの少ししか思っていない。それよりも平然と人の腕を落とした自分に対する嫌悪感からの表情だった。

 初めて人の一部を斬り落とした。

 本来ならそれは、ミルドとの戦いで経験することだったはずだが、彼女が丈夫だったお陰で今回が初めての経験である。

 人殺しをしたことがないことを童貞というのであれば、トールは二つの意味で童貞だった。


 暴力が嫌いで、この世界に馴染むことを嫌がっているトールが、これだけのことをして顔をしかめる程度で済んでいるのには理由がある。


 トールは死ぬような痛みに慣れている。

 つまり、幾度も幾度も死を味わってきたということだ。


 この世界が相手を傷つけなければ生き残れない世界であることもよく知っている。 

 殺しの覚悟をしている相手は、泣き叫ぼうが、懇願しようが、諦めようが、トールが生きている限り殺しに来る。

 それは魔物が相手だろうと、人が相手だろうと同じことだ。


 それを避けるためには、相手の命を奪うか、戦闘ができない状態に追い込むしかないことを、トールは身をもって、痛みをもって、もうさんざんに思い知っている。


 今もしかめ面をしたままのトールは、地面に這いつくばる男の動向を油断なく見守っていた。もしこの男が残った片腕をもって斧を振るうようであれば、そちらも斬り飛ばす必要があるからだ。


 冷静にその判断をして、ためらいなく行っている時点で、自分にこの世界に馴染んでいることに、トールは薄々気が付いている。気が付いているからこそ渋い顔をしていた。


 多量の出血から顔を青くしてひっくり返った男を確認して、トールはようやくミルドがどうなったか気になりだした。

 心配はしていなかったけれど。


 ふと振り返ると、片手についた血を振り払いながら戻ってくるミルドがいる。


 声もなく、戦う音もなかった。


「どうなりましたか?」

「ん? 殺した」


 そうだろうな、と思った自分をトールはまた少し嫌いになったが、それはもう仕方のないことだろう。


「なんじゃ、こやつは殺さんのか?」

「常習犯なら、街に突き出せばお金になるかもと。生きているほうが少しもらえるお金が高いんです」


 トールはホガイの街にいる間に、懸賞金がかかる犯罪者があることを学んでいる。

 躊躇なく殺しに来たことを考えれば、これまでだって被害者がいるはずだ。

 それなりのお金になるかもしれないという計算だった。


「それならば止血せんと直ぐに死ぬぞ」

「あっ」

「素人じゃなぁ。ほれ、そやつの腰に縄がある、それで根元を強く縛れ。何、どうせ腕を引っ付ける予定もないんじゃ、血が止まれば何でもよい」


 トールは放っておいても怪我が治るし、師匠はそもそも怪我をしなかった。

 残念ながら応急処置の知識は、保健体育レベルでしか有していない。

 やれ手際が悪い、もっときつくしろとミルドにもっともな小言を言われながら、トールは何とか腕からの出血を止めて見せた。


「半死半生じゃな。殺してやった方が優しかったのではないか?」


 何とも反論もなかった。

 この男を生かしているのは、ただトールの懐事情による問題でしかない。

 優しさとか、命の大切さとか、そういった類の考慮はされていなかった。


 道徳の教科書を焚火にくべるくらいの気持ちを持たないと、この世界で旅をするのは難しい。


「それにしてもトールよ、お主あまり路銀を持っておらぬのか?」

「それなりにあります」

「では殺してしまった方が良いと思うがな。こやつが必ず金になるならばともかく、現状分らぬのだろう?」

「しかし、情報を集めるのであれば街へ行くたびに使うことになるでしょう。旅の身ですから、稼げる機会は逃せません」


 いかにもな理由を挙げて男を生かそうとするトールに、ミルドはそれ以上反論しなかった。

 旅の主体はトールだ。

 ミルドは飽くまで勝手についてきている同行者である。

 わざわざ相手の勘気をこうむる必要はない。


 もしかしたらここで男を生かしたのは、自分の手で人を殺したくない、というトールの気持ちがほんの少しだけ入っていたのかもしれない。

 そしてそれはおそらく、優しさではない。

 この世界で生きる上での、甘さでしかなかった。

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