第9話 強者

 トールは翌日の朝目を覚まして、はてなと首をかしげていた。

 昨晩のミルドは、トールが止める間もなく野営地で動物を解体し、野生動物を引き寄せることに大いに貢献してくれた。


 『大丈夫じゃって、何か来たら妾が対処するからに』という言葉を半ば信じ、半ば疑いながらうつらうつらとしたのだったが、なんと本当に朝まで何もなかったのだ。

 驚きである。


 おかげで寝起きはすっきりだ。


 トールは濡らした布で顔を拭いながら、本来であればまずミルドのことを警戒すべきだった、と思い至ったが、これについても何もなかったので、以降も気にするのは止めることにした。

 どうせついてくるのだから、精神的な負担は一つでも減らしておきたい。

 

 ミルドは地べたに座り、木に寄りかかって目を閉じている。

 黙って静かにしていると気品があるように見えてくるのだが、どちらにせよ深窓の令嬢という雰囲気は感じられない。


 今なら隙だらけだなと思ったトールだったが、なにも殺したいほど憎んでいるわけではない。口について出てしまった通り、なんとなく、色んな意味で『嫌だなぁ』くらいの感情では斬りかかろうとなんて思えない。


 しかしこっそり出発してしまうくらいは許されるんじゃないかと準備を始めたトールが一歩足を踏み出すと、後ろから声が飛んできた。


「出発か」


 振り返ると、片目だけを空けたミルドがゆっくりと立ち上がっている。

 最初から逃げ出せることを期待していなかったトールは、然程がっかりすることもなく、昨日の約束を律義に守るべく返事をした。


「昼前には森を抜けて、夕暮れには街へ入りたいので」


 すぐに横に並んだミルドは、体を伸ばしてあくびをしながら問いかけてくる。


「ふぁあー……あ、っと。東へ抜けるのは、妾を撒くためのいいわけではなかったのか?」

「……違います」


 鋭い問いかけに、やや間をおいて否定を返す。

 それだけでは言葉が不足していると考えたトールはさらに続ける。


「元々旅に出る予定でした。いい機会なので、南の街を離れることにします。不都合があるならここで別れてもいいですが」

「いや、丁度良い。ひとところに留まっても面白いことなどないからな」

「そうですか」


 会話が一度ぷつりと途切れる。

 ミルドはまだ目が覚めていないのか、しょぼついた目をこすりながらぼんやりと歩いている。

 トールとしては、隙だらけに見えるがわざとなのか、それとも本当に隙だらけなのかだけ教えてもらいたいところだ。


 ミルドはよくしゃべるタイプだと思っていたトールだったが、どうもそうではないらしく、ぽつりぽつりとした細かい区切れの会話が続く。


 例えば、


「今何歳なのだ」

「20くらいです」

「若く見えるな」


 だとか、


「旅の目的地は?」

「特にありません」

「よいの」


 だとか、そんなんだ。

 その短い会話は困ったことに、長らくまともな会話をしていなかったトールにとって心地よい。

 だから、しばらく沈黙が続いた後、ついうっかりとトールの方から話しかけてしまった。

 口を開いた直後、ミルドがにやりと口角を上げたことにトールは気づかない。


「昨晩血の匂いを出したのに、魔物が寄ってこなかったのはなぜでしょう」


 森には嗅覚の優れた魔物がいる。

 純粋に獲物を駆るものも、お零れにあずかろうとするものもいるのだが、とにかく元の世界と比べると肉食の生物が多いのが特徴だ。


 本来、四方のどこを見ても森でござい、みたいな場所で生き物の中身をぶちまけたりしたら、圧倒まに魔物が集まってくるものなのだ。

 トールは夜が更けるまで長いこと襲撃の警戒をしていたのだが、本当に全く現れないので、馬鹿らしくなって目を閉じ、朝までゆっくりお休みしてしまったのであった。

 

 できればその理由が知りたい。

 例えば特殊な香を焚いただとか、そんな手段があるのならば、これからの旅に役立てられるはずだ。


 しかしミルドから戻ってきた答えは、期待外れだった。


「この辺に住まう魔物と妾では、生き物としての格が違うのじゃ。野性に暮らしていて妾に襲い掛かる様な魔物は、とびきりの愚図か思い上がりの間抜けじゃ。そのどちらもおらなんだということじゃろう」


 そんな馬鹿な話があるものかと、内心で反射的に否定しそうになったトールだったが、思い当たる節があって考え直した。

 トールは長年ファーンド森の深層で暮らしていたが、師匠の生活圏にはおぞましい魔物たちが近寄ってこなかったのだ。魔法も使う人だったから、何かそういった手段があるのだろうと思っていたけれど、結局教えてはもらえなかった。

 その時もトールは、師匠にどうやって魔物除けをしているのかと尋ねたのだが「何もしていません」と答えられて終わったのだった。

 

 聞けば大抵のことには答えてくれる人だったから、よほどの秘密があるのだろうと考えていたトールだったが、これを正しいとするならば話は変わってくる。

 すなわち、トールの師匠は本当に何もしておらず、深層部の魔物が愚図でも間抜けでもなかっただけという可能性だ。


 恩人の言葉をほんの少しでも疑っていたことを恥じて歩くトールの耳に、ミルドから追加の情報がもたらされる。


「農耕して街を塀で囲ってダラダラ生きていると、そういう勘が鈍るんじゃよな。だから勝てぬ相手の領域に平気で足を踏み入れたりしてくる」


 トールはこれが昨日の自分たちのことを差していると察して黙り込む。

 命を懸けて探索をしている冒険者にだらだら生きているは言い過ぎじゃないかという気持ちもあるが、昨日の結果を見れば、確かに思い上がりの間抜けでしかない。


「戦が始まれば、そういった感覚も研ぎ澄まされるものなんじゃが……。……随分と平和を謳歌しておるようじゃな」


 反論の隙はないかと様子を窺っていたトールだったが、ほぅ、と息を吐きだしたミルドの横顔がなんとなく切なげに見えて、そんな気も失せてしまった。


 自分が話していないことだらけであるように、ミルドにだって何か事情があるのかもしれない。


 適度な会話と思わせぶりな仕草。

 すっかりほだされ始めてしまっていることに、『つんでれ』で『ちょろそうな』トールは、まだまだ気づいていないようだった。

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