第8話 悪あがき
「街は南にあると聞いていたが? これは東へ向かっておらぬか?」
「はい」
怒らせたくないから最低限の文字数で応対はするが、ミルドは気にせずに話しかけてくる。
「ははーん、街では妾を探す輩がたくさんいるから、気を使って東に抜けることにしたんじゃな。感心感心」
「違います」
トールは確かに今、ミルドの言う通り進路を東へ取っていた。
もちろん、ミルドのためではない。
別れて歩いているうちに、街へ戻ってもろくなことにならないと気づくことができたからだ。
「照れなくてもいいんじゃぞ。なんだかんだ、妾のことが気に入ったんじゃな。嫌だ嫌だとつんけんする癖に、肝心なところではでれっとなりよって。そうじゃな、お主のような人柄のことを……つんでれ、と呼んではどうだろうか」
「絶対にやめてください」
そんな元の世界を思わせるような呼び名はまっぴらごめんだ。
日常のような会話を繰り広げられると、郷愁に駆られて辛くなってしまう。
この世界で三年も過ごしたのに、その間にトールが交わしてきた会話というのは、ほぼ必要なことだけだ。雑談めいたことは殆んどしてこなかった。
雑談をするために色々なことを思い出すと、それだけで元の世界が愛おしくて涙が出そうになるからだ。
両親がいて、友人がいて、穏やかな毎日が約束されていたあの世界が。
トールは、いつか元の世界へ帰るのだという気持ちを強く持っていたが、それとは裏腹に思い出すという行為をできるだけ避けるようにしていた。
マットを相手にしている時はまだよかった。
マットはトールのことを不気味がっていたし、本当に仲良くする気もなかったから、一緒にいても仕事の話しかしてこなかった。
ただミルドはダメだ。
ミルドは、トール自身に強い興味を抱いている上、生来おしゃべりが嫌いなタイプではないようだった。
「なんじゃ、堅物め」
「嫌だったらついてこないでください」
「すぐになびくよりは面白くてよい、と考えることにした」
難敵だった。
目的を達するために何でも楽しんでやろうという気概がある。
いよいよ冷たい態度をとることすら意味がないことを悟ったトールは、別の手段を講じてみることにした。
「魔国に帰らなくていいんですか」
「なんじゃ、藪から棒に」
「心配されているから、捜索の依頼が出されたのでしょう。国へ帰った方がいいのでは」
「お主がともに来ると言うならば帰ってやっても良い」
トールは少しばかり黙って考える。
旅の行く先は何も予定通りでなくても良い。先に魔国を巡ってから別の手掛かりを集めても構わないのだ。どうせあてのない旅なのだから、行く先が反対側になっても、何かしらの成果を得られる可能性があればそれでいい。
「……西、でしたっけ、魔国は」
「言うとくが当然、着いたからはい御終いではないぞ。妾が満足するまで国からは出さんからな」
ただでさえ圧倒的に格上であるミルドが国家権力まで手にしてしまったら、もはやトールに逃げる道はなくなるだろう。
魔国へ向かおうことに一切のメリットがないことを悟ったトールは、一度止めた足をまた動かした。
「分かりやすいのう、お主は……」
トールは返事をしない。
それでもどうやら、ミルドの機嫌が酷く損なわれることはないようだった。
「お主、剣は誰に習った?」
「言えません」
「秘密にされると暴きたくなる。お主の師は妾より強いか?」
答える気はなかったが、トールは少しだけ悩んだ。
どちらも強すぎて、力を測りかねるからだ。
対峙して正面から戦えば、あっという間に叩き伏せられそうなことに変わりない。
「妾の一撃を受けたお主が、答えに窮するくらいには
表情を見せたのが良くなかったのか、勝手に悟られて興味を持たれてしまった。
トールは立ち止まって、その真っ黒な目でミルドを見て言った。
「ミルド」
「なんじゃ?」
「それだけはやめてください。あの人について探りをいれるなら、あなたとはもう一切口をききません」
トールに剣を教えた人物は、ファーンド森の深層に、一人静かに暮らしている。
何の見返りもなく、何の得もなく、トールの世話をしてくれた恩人だ。
トールが元の世界へ帰る時にこの世界にただ一つ未練を残すとすれば、その人に対する恩返しができないことであると思っているくらいだ。
「……そうじゃなぁ、答えられないこと以外はちゃんと返事をするのであらば、やめてやっても良い」
結構な怒気と覚悟が込められての言葉も、ミルドは涼しい顔で受け流して、更に要求までしてきた。
「……わかりました。返事くらいはしますから、その件については二度と探りを入れないでください」
会話によって状況を好転させることが難しいと悟ったトールの、実質降参宣言のようなものだった。圧倒的に強い立場であるにもかかわらず、答えられないことは答えなくていい、と譲歩してる辺りが巧みだ。
逃げ道が残されているからこそ、トールも安心して降参してしまった部分がある。
「そういうことなら約束じゃ。何、共に旅をするのだ、話くらいできぬと流石に寂しいからのう」
後半部分はトールの耳に届かぬほどの小さな声だった。
ミルドはしばしこの成果に満足げにしていたけれど、しばらくしてまた意地悪気に笑って八重歯を見せる。
「いやはやしかし、わき目もふらず自分だけを見てほしいとは、情熱的じゃのう」
「……そういう意味ではありません」
「よいよい、照れるな。つんでれ、じゃろ」
「違います」
どうやらすっかりつんでれという新しい概念を使いこなす、魔国のお姫様からは逃げられそうにない。
トールはミルドと離れることを一時諦めて、今日の野営地を探すため、本格的に周囲に目を走らせ始めたのだった。
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