第7話 嫌だなぁ
ファーンド森の中層は決して安全な場所ではない。
B級上位の実力を持つような冒険者でも、必要に駆られない限り、夜には退散する魔境だ。
当然トールは警戒しているし、大きな音を立てるだとか、においの強いものを持ち歩くだとかの、獣をおびき寄せるような行動は極力控えるようにしている。
ところがどうだ、勝手についてくると言ったミルドは、足音を消すこともなければ、警戒するそぶりもない。
石を蹴飛ばしたり、邪魔な枝をへし折ったりしながらトールの後をついてくる。
死なない体とはいえ、怪我をすれば痛いのだから、獣から不意打ちをされるようなことは避けたい。
さてどうしたものかと、歩きながらしばらく考えたトールは、やがて立ち止まって振り返り、その淀み気味な瞳でミルドを見つめて口を開いた。
「……すみませんが、別の道を進んでいただくことはできませんか?」
「は? 妾はたまたまこっちに進んでいるだけじゃが?」
ふんと鼻を鳴らしたミルドの表情は拗ねているようにも見える。
先ほどトールが『すごく嫌だ』と言ってからすこぶる機嫌が悪い。
そのまま自分のことを嫌いになってどっか行ってくれるとありがたい、というさらに相手の機嫌を損ねそうなことを考えたトールだったが、流石に口に出したりはしない。
さっきの発言だって本当は心の中だけにとどめておくつもりだったのだ。
あまりに嫌だったから、つい口の先について出てしまったけれど。
「……そうですか」
これ幸いに、とばかりにトールは90度方向を変えて歩き出す。
何も森を出るための道は一つではないのだ。
着いてきているわけではない、というのならば、方向を変えれば道は分かれることになるだろう。
しばらく歩いて、後ろに人の気配がないことにトールは安堵した。
別れ際、ミルドがものすごいしかめ面をしていたことが、やや不安であったけれど、どうやらついてきていないようである。
30分程して、トールは一度足を止める。
近くにあった、足をかけやすく背の高い木の上にするすると登っていき、上から今いる位置を探った。大まかな方向と目印をいくつか確認したトールは、太い枝に腰を掛けて一息ついて水を飲む。
幸い左腰につけた水筒は無事だ。
右腰に装備していたら、きっとミルドに腹をぶち抜かれた際に一緒に壊されていた。
一人で森を歩くのは久々だ。
街へ出て以来、森へ入る時はマットやその仲間たちが同行していたから、実に3カ月ぶりのことになる。
思えばマットの仲間達は、態度は悪いけれど賑やかな者ばかりだった。
好きではなかったはずなのに、僅かな喪失感を感じている自分に、トールはため息をついて首を横に振った。
トールはこの世界に馴染む気がない。
この世界がどうしても好きになれない。好きになる気がない。
いつか自分の世界へ帰るのだ。
妙な未練を作りたくなかった。
この調子で歩いていけば、夕暮れ前には森から出ることができる。
マットが無事に街へ戻っているとすれば、街の人にトールは死んだものとして報告されていることだろう。
例えそうでないとしても、マットの前に姿を見せるわけにはいかない。
自分が死なないことを知っている人間はできるだけ増やしたくなかった。
必要なものは全部荷物にまとめてきている。
宿にはいくつか、服がたたんでおいてあったけれど、それはもうあきらめるしかないだろう。
トールがこの世界に来てから世話になった人が言っていた。
不老不死だということがばれたら、良くて飼い殺し、普通に見世物、悪くて実験台だと。
そういう意味では、本当はこの秘密を知っているミルドだって殺してしまうべきなのだ。
トールはもう一度ため息をついて首を振る。
彼我の強さの差を考えても、自分の性格を考えてもそれが難しいことだとわかっていたからだ。
しかしついてこなくてよかった。
トールは木から降りながらそう思う。
いくら自分を殺そうとしてくる相手とはいえ、二人きりで一緒に行動し続けたら、多少の情はわいてしまう気がしていたからだ。
それだけ、ミルドには悪意のようなものがなかった。
おそらく抱いているのは純粋な好奇心であると、トールは推測していた。
考え事をしながらも歩みだそうとしたその時、トールのすぐ近くの茂みががさりと音を立てた。
トールは、すぐさま剣を抜き茂みから距離をとる。
考え事をしていたせいで気が緩んでいたかと、内心舌打ちをした。
「おや、おやおや、また会ったのう、トールよ」
果たして、茂みから現れたのは魔物ではなかった。
それよりよっぽど厄介な人語を解す生き物。
その名を魔族ミルドという。
片手に羽がむしりかけの鳥をもって、嬉しそうな顔をしている。落とされた首から血を流しているから、野生の動物を引き寄せる餌としては最適だ。
やはり森の魔物を警戒する気などまるでない。
ミルドにとってはファーンド森の中層など、散歩するに丁度いいくらいの場所でしかないのかもしれない。
異性が偶然出会ったことを喜んでくれるなんて、本来は歓迎すべきことなのだが、トールはげんなりとしてしまっただけだった。
ゆっくりと、ミルドを刺激しないように剣を納める。
構えたということはやる気だな、とか言いだされたらたまったものではないからだ。
「これは運命じゃな。この広い森で、一日に二度も偶然出くわしたのだから」
一度目はこちらが探した結果だし、今回はおそらく、何らかの方法でミルドがトールを探した結果だ。実に白々しいセリフである。
「ミルドさん」
「なんじゃ? 運命の相手には特別に、妾をミルドと呼ぶことを許そう」
「……ミルドさんはどうしたらついてくるのをやめてくれますか?」
「今すぐ本気で戦ったらじゃな」
「それ以外でしたら?」
「妾のことをミルドと呼ぶのであれば、まず一考してやっても良い」
おそらく試してみるだけ無駄だと悟ったトールは、ほんのわずかな希望も持たずに腕を上げて自分の進む方向を指さす。
「あのですね、僕はこちらへ進みますので、ミルドは別の方向へ進んでもらえませんか?」
「考えた結果一緒に行くことにした」
考えた風を装うことすらせずに戻ってきた答えに、トールは諦めて歩き出すことにした。
ミルドを振り払う名案が思い付かない以上、黙認するしかないのだ。
あまり怒らせて襲い掛かられるのも嫌だ。
「嫌だなぁ」
ぽつりと漏れ出した言葉は、ミルドのよく聞こえる耳に届いたけれど、ふん、という鼻息一つで森の中へ吹き消された。
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