第5話 異能と異能

 果たして、マットが祈りをささげた神は、願いを過剰に聞き届けてしまったようだった。名も知らぬ神は、珍しい願いに少々張り切り過ぎてしまったのかもしれない。


 手のひらを切り裂くはずだった剣は、硬質な音と共に受け止められ、直後繰り出された手のひらがトールの腹へのびる。

 

 トールはまず、反射的に人を切りつけてしまったことへの衝撃を受けた。

 すぐに気を取り直したところで、会心の一撃を手のひらで受け止められ混乱。


 それでもミルドから繰り出された攻撃は見えた。

 咄嗟に体を引こうとしたのだが、今度は切りつけたはずの剣が握られ、万力に固定されたように動かない。

 トールは次々と訪れる予想外の事態に、なすすべなくがなかった。

 やむなくミルドの攻撃を受け止める覚悟をして腹筋を固める。


 直後、腹部を襲った衝撃に体が捻じれた。

 それとほぼ同時にトールの耳に届いた音は、これまでの人生で、一度も聞いたことのない破裂音。

 圧倒的な喪失感と、僅かに遅れてやってきた激痛。

 押し出されるように体の中からあふれ出した呼気は、大量の吐血を伴っていた。


『どんな状況に陥ったとしても、武器を手放してはいけない』

 

 脳内に叩き込まれた言葉が響き、辛うじて剣を握る手に力を込める。

 それでも、足までも踏ん張り続けることは叶わなかった。


「あー、はっは、はぁ……やってしもうた」


 膝をついたトールの頭の上に、緊張感のない声が降ってくる。

 トールが俯いて気付いたことは、自分の右の腹があるはずの場所が、きれいに空洞になっていることだった。

 誰がどう見ても致命傷だ。

 やってしまった、なんてかわいらしい言葉で済むような事態ではない。


「さて、もう一人は……、逃げたか」


 ミルドの言葉から、マットが逃げ出したらしいことを理解する。

 トールはそのことを少しだけ残念に思ってから、当たり前だろう自嘲して薄笑いを浮かべた。

 規格外の化け物と対峙してしまったのだ。ここに残ったって犬死するだけだ。

 逃げ出す隙を稼げたのなら役割は果たしたのだなと、息を吐こうとして、また口から血を噴き出す。


「殺す気はなかったんじゃ。ただ、お主が何かしでかしそうな気配を出しておったから、あれくらいは何とかするとばかり……」


 勝手な言い訳を、と思ったけれど息が吸えないのだから、反論することもできない。


「しかし、残念じゃ」


 どんな表情をしてそんなことを言っているのかと、さぞかし偉そうに、傲慢な表情をしているのだろうと、トールは力を振り絞って顔を上げる。


 しかしそこにあったミルドの表情は、失意、落胆。

 

 人に致命傷を与えたのだから、せめて、せめてもう少し何か心を動かしたらどうなんだと、憤りながらも、そのがらんどうを思わせる瞳にどこか共感を覚えてしまう。


「こういう時のために持ってきたのではないのだが……」


 ミルドが荷物を漁る。

 そしてキラキラと水色に輝く液体の入った瓶を一本取り出して、その動きを止めた。

 もう意識を失ってもおかしくないはずのトールが、未だに剣を握り、その黒くうつろにも思えた目が爛々と輝いていることに気づいたのだ。


「なんじゃ、お主。やはり、何か……」


 ミルドは目を見開いて言葉を止めた。

 そしてじっとトールを観察する。


「お、おお、おおお?」

 

 失われた骨が、内臓が、皮膚が、そして衣服までもが、何もなかったかのように一瞬にして元に戻る。


 先ほどとは打って変わった目の輝き。

 期待、希望、子供のように喜び興奮している姿を見て、トールは思いきり眉間に皺を寄せて、剣を強く引き戻した。


 ミルドの手のひらが切れた様子はなく、ざりざりと音が鳴った。

 剣を伝って硬質な何かの上を滑らせたような感覚を覚える。


 どんな仕組みになっているのかわからなかったが、皮膚が変質しているのだろうとトールは予測を付けた。

 次は手のひら以外の露出している部分を切りつける必要がある。

 切れればよし、切れなくてもその正体を探ることはできるはずだ。


 距離を取ったところで、トールはミルドの観察をする。

 無造作な立ち方は隙だらけに見えるのに、さっきもわけのわからない加速をして襲ってきた。

 素早い上に、腹を一撃でぶち破る膂力。

 もはや理解の範疇を越えている。


 総合的に見て絶対にかなう相手ではないのだけれど、襲ってくるのならば戦うしかない。

 気味の悪い、死なないこの体を利用して。


 殴られれば痛いし、息が止まれば苦しい。

 それでも死なない。すぐに元に戻ってしまうのだ。


 この力は制御できるものではない。

 死にたいと思おうが、どんな酷い外傷を負おうが、必ず元に戻っている。

 ただ死なないだけ。

 死なずに元に戻るだけ。


 何度致命傷を負ったところで、慣れるなんてことはないのだ。

 痛いものは痛い、苦しいものは苦しい。


 まさに命を張ってマットを逃がすことはできたのだ。

 もはや目的は達した。

 逃がしてくれるのならば今すぐそうしたいというのがトールの本音だった。



 

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