第4話 お姫様

 捜索を始めて間もなくして、トールたちは、嘘のようにあっさりと目的の人物を見つけてしまった。


 何の警戒心もなく、散歩をするようにファーンド森を歩く女性。

 腕を露出し、体のラインがはっきりとわかる服装は、当然、森歩きに適したものではない。

 各所を飾る宝石類は、時折刺す日の光で反射してよく目立ち、人から隠れようという意思が感じられない。

 その炎に見まがうような真っ赤な長髪の頂点には、ネジくれた角が2本、天を衝くように生えていた。

 魔族だということすらも隠す気がない。


 そんな魔族の女性が振り返った。

 枝を踏み抜いても気づかれないであろう程の距離を取っているというのに、マットとトールが潜んでいる場所を、はっきりとその金色の双眸で見つめていた。


 トールはじりっと後ずさって初めて、気圧されていることに気が付いた。

 長らく作動していなかった危機を知らせるアラームが、脳内で警報を鳴らしているような気がしていた。


 自分たちに気づいているのに、警戒心無く歩み寄っている。

 普通であれば不意遠距離攻撃を警戒して、身を隠しながらやってくるはずだ。

 それをしないのは、馬鹿であるか、あるいはそんなものは警戒するに値しないかのどちらかだ。


「逃げましょう」


 後者の可能性を全身で感じていたトールが提案する。

 マットが無謀なだけの冒険者でないと知っているから、当然賛成されるものと思い身を引く準備をしていた。

 いざとなれば、体を盾にしてマットを逃がすつもりだった。


「馬鹿いえ、捕まえるぞ」

「なんですって?」


 想像とは違う答えが返ってきてトールは思わず問い返す。


「あんな格好をした世間知らずを見逃したら、明日には骨だけになってるぜ? 保護してやらねぇとな」

「あんな格好で、今まで平気だったことが異常だと思わないんですか」

「運が良かったんだろ」

「落ち着いて考えてください」


 様子がおかしい。

 トールはそう感じてマットの腕を引くが、それはすぐに振り払われる。


「うるせぇな、これが終わったらどこへでも行きゃあいい。最後の仕事ぐらいびしっとこなしやがれ」


 声は伏せつつ、イラついた調子で言うマット。

 トールは、払われた手をさまよわせて呟いた。


「知っていたんですか」

「知ってるに決まってんだろうが。それでも逃げるってんなら俺をおいて逃げりゃあいいだろう。追いかけて文句言ったりはしねぇよ」


 マットはわざとトールの思考を狭めるような言い方をする。

 恩を売るようなことを言って、それから自分を見捨てるのかと言外に追い詰める話の持って生き方だ。いい子ちゃんのトールならばこれで協力を得らるるだろうという、勝算のある賭けだった。


 マットだって異様さは感じている。

 しかし、マットがトールに感じている不気味さを上回る程のものではない。

 A級に上がるためには、少しぐらい危ない橋を渡る必要がある。

 多少リスクがあったとしても、トールさえその気にさせれば、この仕事は何とかなるだろうというのが、マットの見通しだった。


 トールは何かを諦めたように、さまよわせていた手を握ってため息をついた。


「分かりました、最後の仕事に付き合いましょう。ただし、俺が前に出ます」

「おう、無理すんじゃねぇぞ」


 賭けの結果は上々だった。

 マットは内心でにやりと笑い、気遣うような言葉をトールに投げかける。

 そんなやり取りの間にも、女性はどんどん距離を詰めてくる。


「……気づかれてますよ?」

「黙って待て」


 ほんの数歩、それくらいの距離までやってきて女性は足を止めて笑った。


「こんな森の奥で何をしておるんだ?」


 当然のように気づかれていたことにマットは、小さく舌打ちをして立ち上がる。

 それに続いてトールも草むらから顔を出して一歩前へ出た。

 いつでも戦えるように警戒をして、動きをじっと観察する。


「いやなに、見たことのない魔族がいたから警戒していたんだ」


 口から出まかせはマットの得意技だ。


「ふむ、妾がここにいたことを国元に報告されても困るんじゃよな」


 女性はマットの言葉など一つも信じていないようだった。

 その金色の瞳は、会話をしているマットにではなく、一歩前に出て臨戦態勢をとっているトールに向けられている。

 トールはちりちりと肌を焼くような殺気を感じながらも、剣に手をかけることはしない。


「……中層は危ないですから、街まで一緒に来てください」


 言葉にしてから、トール自身も馬鹿なことを言ったと思っていた。

 何せトールは、この女性が中層を軽装で歩けるくらいの実力者であると、ほぼ確信しているのだから。


「成程、なかなかに初心で魅力的な誘い文句じゃが、お断りじゃ」


 トールの馬鹿な言葉は、にんまりと笑った女性にあっさりと躱される。


「一応確認しとくが、お前、魔国の姫で間違いないな?」


 マットの言葉に、女性はわざとらしく目を丸くしてみせた。


「おやおや、こんな木っ端がそんな情報まで持っておるのか。いかにも、妾の名はミルド=ゼム=グレイシア。……そこまで知られているのならば、口を塞いでおいた方がいいかのう」


 ミルドは歯を見せて笑って見せた。

 およそ姫と呼ぶにふさわしくないその凶悪な笑い方だった。


 ミルドから強烈な殺気が膨れ上がり、トールは思わず剣を抜く。


「あ……?」

「抜いたな?」


 自分のとったとっさの行動に驚き、間抜けな声を出している間に、ミルドは体を前に倒して距離を詰めてくる。

 その犬歯は鋭く肉食獣のようで、その瞳孔は縦長で蛇のようだった。

 そんな捕食者としか思えぬミルドが、トールのすぐ近くまで迫ってくる。


 感じたのは、トールが久しく忘れていた、本能的な恐怖だった。

 トールが剣を最短距離でふるったのは、本能が理性の頭上をひょいと飛び越えたからに他ならない。


 それは、マットから見ても鋭く無駄のない一撃だった。


 マットに言わせてみれば、ミルドの身のこなしは最上級の冒険者達のような、華のあるものだった。

 しかしどんなに素早い身のこなしをしたとしても、素手と剣ではリーチに差がある。この一撃に限って言えば、トールが勝利するだろうとマットは確信していた。


 勝ちを確信したマットは、魔族の女を傷つけて、殺してしまう心配をする。

 生きて捕まえることが大事なのだ。


 女魔族は左腕を伸ばし、手のひらを振り下ろされる剣の刃へ向けて開く。

 生身で刃を受け止められるはずがない。

 何とか死なないでいてくれよ、と都合のいい時だけ心の中に現れる神に向かって、マットは祈りをささげて見せるのだった。

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