第2話 お姫様の噂
ファーンド森は、北の街道をしばらく進んだところにある大森林だ。
西は大山脈に、北は冬の間は凍り付く海に面しており、国一つくらいなら丸々入るほどの広さを誇っている。
ホガイの街に住む人たちの多くは、その外縁から得る豊かな動物的資源と木材によって生計を立てている。森の中心部に向かうにつれて危険な魔物も多く出てくることから、冒険者の活動も活発だ。
他では見られないような魔物たちの爪や牙、それに羽や毛皮もまた、高値で取引される大切な資源だ。中層で安定的に活動できるようになれば、その辺の商人よりも裕福な暮らしができるくらいである。
そんな森の中層に向かって、マットとトールは並んで歩いていた。
「マットさん、詳しい話をまだ聞いていません」
「……わかったわかった、うるさい奴だな。街の近くで話して商売敵を増やしたくなかったんだよ」
トールは不安だった。
トールはマットの街での立場をなんとなく理解している。
チンピラのようなやつらを統括しているけれど、同じくらいの階級かそれ以上の冒険者にはあまり相手にされていない。
お山の大将、という言葉がよく似合う冒険者だ。
実力的にはC級の上位帯程度。
最近ではトールと一緒に中層へ頻繁に潜り、懐が温まってきたせいか、前より横暴なふるまいも増えてきてしまっている。
トールは少し前に街のA級冒険者から、マットなんかとつるむのをやめろと忠告を受けたこともあった。
だからこそ、マットなんかがこっそり手に入れられた情報が、他の冒険者たちの間に広まっていないことが不安だった。
本当に良い儲け話ならば、森の入り口付近にはもっとたくさんの上位帯の冒険者がたむろしているはずだ。そうでないということは、この仕事に何か問題があるということになる。
冒険者になって間もないトールには、そのあたりの判断が難しいが、まずそうだということだけはわかっていた。
隣国の姫様というのが駄目なのか、報告する相手が駄目なのか、それとも最初から何かの罠なのか。なんにしてもろくでもない未来が待っているような気がしてならない。
三カ月もの長い間冒険者のいろはを教えてもらった手前、トールも多少の恩義は感じている。
命を救った上に中層の狩りも手伝ってきたのだから、そんな借りはないと開き直っても誰も責めたりはしないだろう。
しかし、ほんの少しでも自分の中に心残りを作るのが嫌で、トールはこうして厄ネタっぽい仕事に付き合っていた。
「隣の魔国にはお転婆なお姫様がいるらしくてな。共も連れずにファーンド森に逃げ込んだんだとか」
「……魔国って、魔族が治めているっていう?」
魔族というのは、人とは違う姿かたちを持っており、言葉を解するもの全般を指す。
例えば、ドワーフ族や小人族は背が小さいだけだから人。
逆にエルフなんかは耳が長いから魔族だ。
獣の耳が生えていても、角が一本生えていても魔族。
まんま巨大な狼の姿をしていても、言葉を操れるのならばそれは魔族だ。
彼らは大体長寿で、個としての能力が高い。
ほんの数十年前には酷い争いがあったそうだけれど、トールは当然その頃のことをよく知らないし、魔族に会ったことすらない。
争いがあったこと自体、街に来てから噂で聞いたことがある程度だ。
「そうだ。真っ赤な髪の毛に金色の瞳、そんで頭に角が生えてるらしいぜ。流石魔族だぜ」
せせら笑うような言い方に、トールは眉を顰める。
見てもいない相手のことを馬鹿にするのは、聞いていてあまり気分のいいものではない。
「とにかく、その人を見つければいいんですね」
「なんなら捕まえてやろうぜ。その方がいい報酬が出るだろ」
「捕まえるという追加条件があるんですか?」
「いや? でもその方がいいに決まってんだろ」
「俺は場所を確認して報告するだけにしておいた方が無難だと思います」
「言われたことしかできねぇのは無能だぜ。それに、姫様が森の魔物に食われちまったら大変だろ」
そう言われると反論が難しくて、トールは黙り込んだ。
この世界に来たばかりの頃、一人で森の中をさまよって、ひどく辛い思いをしたことを思い出してしまっていた。
いくら魔族は個々の力が強いと言われていても、お姫様と言われるような身分の人までがそうとは限らない。もしかしたら今頃辛くて泣きだしていることだって考えられる。
魔物に襲われて命の危機に瀕している可能性だってある。
捕まえるというか、話を聞いて保護するくらいはしてもいいかもしれない。
そう思うと放って帰るわけにもいかなかった。
この仕事を完遂してから街を離れよう。
また方針を変更したトールは、意志の弱い自分にため息をついた。
やると決まったのならば、無駄話は禁物だ。
いくら武装しているとはいえ、魔物の住む森の中では人は被捕食者である。
トールもマットも、気を張って周囲の気配を探りつつ、森の中層へと足を踏み入れていくのであった。
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