不死たる異端者と災いの竜姫

嶋野夕陽

不死たる異端者と災厄の竜姫

第1話 昏い目をした男

 太陽の光が届かないような深く暗い森。

 そのじめっとした地面に座り込み、冒険者稼業の男は一人の青年を観察していた。


 真っ黒い髪を持ち、真っ黒な服を身にまとった、幼い顔立ちの青年。

 青年が抜き身の剣を片手に携えたままゆっくりと振り返ると、軍狼ぐんろうの血でぬかるんだ足元がべちゃりと音を立てた。


 軍狼ぐんろう

 異様な連携の高さで獲物を追い詰める、森の中層に住まう狩人だ。


 学者によれば、音を発さず連携する魔法を使っているらしく、この静かなる殺し屋には、中層に潜りなれた冒険者が幾人も食い殺されてきた。


 青年はそれを圧倒して見せた。


 青年の動きは地味で、その戦い方に強者特有の華々しさはまるで感じられない。

 ただ、死を恐れていないかのようなぎりぎりの攻防を繰り返し、その度に軍狼を一匹ずつ着実に葬り去っていく。

 強者の雰囲気を感じさせないことが、余計に不気味だった。

 隙だらけの男が狙われなかったのは、軍狼が青年の方を脅威に感じたからに他ならない。


 生気に乏しい黒い瞳が男を見つめる。

 そしてゆっくり口が開かれた。


「……大丈夫ですか?」


 まずまともな問いかけが飛んできたことに男は安堵した。

 会話ができるのならば助かる道はある。


「助かった……! あんた、冒険者か?」


 青年はまるで質問の意味を理解していないかのように黙り込み、男をジーッと見つめる。

 男は動揺する。

 軍狼の群れに殺されかけた男が助かるためには、この青年の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 街に戻り、捻った足さえ治ってしまえば、また冒険者として悠々と暮らしていけるのだ。


「お、俺はホガイの街でB級冒険者をしているマットだ。街へ戻ったら助けてもらった礼になんだってするぜ?」


 マットは街ではそれなりの顔だ。

 少しだけ惜しいけれど金や女でことが済むのなら、それに越したことはない。


「……なんでも?」


 問いかけにマットはごくりと唾をのんだ。

 得体のしれない相手に空手形を切り過ぎたかと顔をしかめる。


「それじゃあ、冒険者になる方法と、世間の常識を教えてもらえると嬉しいです」

「はぁ?」


 意味の分からない申し出にマットが思わず声を漏らすと、青年の死んだ魚のようなうつろな瞳がじっと男を見つめる。


「……何でもって言いましたよね?」

「……あ、ああ! 街に戻ったらそれくらいお安い御用だ」

「それじゃあ、よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げた青年の片手には、相変わらず血を滴らせた抜き身の剣。

 強さやその暗い表情に見合わない丁寧な態度。

 マットは薄気味悪さを覚えながら、ゆっくりと立ち上がって森を抜け出すべく足を引きずり歩き出したのであった。

 






 伏見ふしみとおるがこの街に来てから三か月、この世界に来てから三年と三カ月が経過した。

 冒険者トールが誕生してから約三か月という捉え方もある。


 D級冒険者であるトールは、酒場の端っこに陣取ってちびりとぬるい水を飲んだ。 

 真ん中の方では冒険者二人が殴り合いをしており、周りのやつらはそれをはやし立てている。どっちの方がどつき合いに強いかという、とてつもなく野蛮な催しである。外馬で金をかけているものも当然いる。

 ここが公的な機関である冒険者組合の酒場であるということが、トールの気持ちをさらに厭世的にさせていた。


 トールはこんな冒険者たちのことが好きになれなかったけれど、三か月の間それに耐えて頑張ってきた。この世界で戸籍を持たないような人間は、冒険者になって身分と自衛手段を手に入れることが必須らしいと教えられたからだ。

 冒険者になった若者のうち一割はすぐに実家へ帰り、三割は三か月以内に命を落とす。つまりトールはめでたいことに残り六割の方へ滑り込むことができたというわけだ。

 ちなみに半年以内に一割、一年以内にさらに一割死ぬらしい。

 新人冒険者の一年後の生存率はなんとたったの半分である。


 命を大事にしましょうと教えられて育ったトールには、信じがたい世界だった。


 何の因果かお知り合いになってしまったB級冒険者であるマットにくっついて、この世界の常識を学んできたわけだが、果たして本当にそれが正しいのかも最近では疑問に思っている。

 彼らの欲望に忠実な姿にはどれだけ一緒にいても馴染めそうにもない。


 トールはこの派閥のボスであるマットに初めて出会ったとき、その命を魔物から助けている。

 マットはプライドの高い男だったから、仲間たちにその話は絶対にしない。

 口止めをしてきたから、トールだってその話を他人にしたことは一度だってない。


 ただそのせいでマットがなぜ新人冒険者であるトールを庇うのかが周りには理解できず、一時期は愛人であるとまで疑われてひどく嫌な思いをしたことがあった。

 マットがファーンド森に遠征するときに、必ずトールを連れて行くことが、その噂を助長していた。


 しかしその噂も最近は変わり始めた。


 曰く、魔物に育てられた。

 その噂にはいくつか根拠があった。


 トールがあまりに常識を知らないこと。

 その割に森の歩き方や魔物の倒し方、それに戦い方だけは一人前であること。

 マットが森で拾ったと吹聴していること。


 

 噂云々はともかくとして、トールはこの街に根を張る気はない。

 常識や冒険者としての生き方を学んだら、さっさと旅に出るつもりでいた。

 何が原因でこの世界にやってくることになったのか。

 どうしてこんな体質になってしまったのか。

 そんな疑問もあるし、何より、元の世界へ帰るという目的があった。


 身分も得た。知識もある程度得た。

 目的のためにはそろそろ旅に出るべきなのだ。


 わずかな時間といえど世話になっていたマットには、ファーンド森の探索でもう十分に礼はしたつもりでいる。

 幸いなことにマットは別れを惜しむほど性格がよろしくない。

 旅支度は済ませた。

 あとは断りを入れるだけなのだが、話を切り出そうとするたび、マットに別の依頼の話などをされて、上手くいったためしがない。


 懲りずに旅立つ日取りを考えていたトールの元に、すっかり酩酊して上機嫌なマットが近づいてくる。酒臭い息を吐き女性を両脇に引き連れていて、トールは思わず眉を顰めそうになった。

 3年も森で暮らしたせいかトールはすっかり匂いに敏感になってしまっていた。アルコールの匂いも、女性の化粧の匂いもあまり得意ではない。


「おいトール、いい話があるから、明日朝一番で街の北門へ来るんだ」


 トールがノーと言わないせいか、最近ではすっかり相棒のような扱いをされている。勝手に依頼の頭数に組み込まれていることが多くて困っていた。


 さらに距離を詰めてきたマットは、酒臭い口を耳元に寄せて小声で話す。


「隣国のお姫様がファーンド森に入り込んでいるらしい。見つけて報告したらたんまり報酬がもらえるぜ。森に棲んでたお前なら、見つけるのなんて簡単だろう?」

「広い森ですから、そんな簡単には行きません。それに俺にも用事が……」

「あーっと、話はまた明日だ。とにかくよろしく頼むぞ、トール」


 断る兆しを感じたのか、マットは言葉を無理やり遮って身を引いた。

 そうして両脇に従えていた扇情的な姿をした女性の腰に手を回すと、さっさとその場から立ち去って行ってしまう。

 トールは女性のああいった姿にも弱い。

 なんとなく目を逸らしてしまうのを、マットにうまく利用されてしまった。

 何せ十七歳でこの世界にやってきて、それからずっと森の中に引きこもっていたのだ。耐性なんてできようもない。


 この仕事が終わったら、街を離れよう。

 トールは何度目になるかわからない決意を心に宿し、深く、ゆっくりとため息をついたのだった。

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