第6話 第1回カーステン家会議

 暫くの間ティルミオは、泣きじゃくるティティルナの背中を、彼女が落ち着くようにと優しく摩りさすり続けた。


「ティニャ、泣かにゃいで。我が居るにゃ!ティオも居るにゃ!」


 ミッケもオロオロと忙しなくティティルナの前を行ったり来たりして、その身体を擦り付けたり、手の甲をペロペロしたり、猫らしく彼女を慰めていた。


 その甲斐あって、程なくしてティティルナは落ち着きを取り戻したのだった。


「……うん、有り難うお兄ちゃん、ミッケ。ちょっと寂しくなっちゃっただけだよ。もう大丈夫。しっかりするよ。」

「……無理しなくていいんだぞ。」

「ううん、大丈夫。お父さんもお母さんももう居ないんだもん……これからは、二人で頑張らないとね。」

 

 ティティルナは涙を拭って前を向いた。しかし、そんな彼女の決意表明に、抗議の声が上がったのだった。


「我も居るにゃっ!!」


 数にカウントされなかったミッケが、不服だとばかりに不機嫌な声を上げたのだ。


「ごめんごめん、そうだね。二人と一匹で頑張ろうね。」


 ティティルナは拗ねているミッケを抱き上げて頬擦りすると、改めて決意を言い直してふわりと柔らかく笑った。


 両親を失った悲しみは勿論まだ胸に残るけれども、この二人と一匹ならきっとその悲しみも乗り越えられると、自然とそう思えたのだった。


 そんな風にティティルナがしんみりと前を向くと、彼女の様子を見守っていたティルミオが、急に手をパンパンと叩いて注目を自分に向けさせると、突飛な事を言いだしたのだった。


「よし、ティナも落ち着いた事だし、それじゃあ第一回カーステン家会議を開催するよ!」


 突然そんなことを言われても意味が分からないといった顔で、ティティルナとミッケは、戸惑った。

 このタイミングで何故というのもあるが、そもそも、今までそんな会議をやったことが無いのだ。


「えっ……お兄ちゃん唐突……」

「そうにゃ、ここはもっと余韻を大事にするところにゃ。」

「それに会議って?一体何を話し合うって言うの??」


 するとティルミオは、そんな風に当惑している妹たちに対して、真面目な顔をして説明を始めた。


「明日の朝に役人が来る事になってるんだ。決めておかないといけない事を話し合わないと。」

「例えば何にゃ?」

「先ず、店を続けるかどうか。」

「そんなの続けるに決まってるわ!パンが作れるようになったんだもの。」


 兄の問いに、ティティルナは驚いたように強く意見した。両親のパンが再現出来たのに、お店を辞める理由など無いからだ。

 そして、その考えはどうやらティルミオも同じだった。


「あぁ。そうだな。それについては俺も異論はない。だけれども、明日役人は、うちの店の廃業手続きに来る事になってるんだ。さて、急に考えを変えた事をなんて言い訳しよう?」


 そうなのだ。両親が死んだ時に滞納している税金について役人に相談をしたら、兄妹にはその支払い能力が無いと判断されて、店を廃業する道を勧められていたのだ。

 その時は、確かにそうする事がベストだと思っていた。けれども、今は違う。錬金術という新たな力があるのだ。


「やっぱりお店辞めるのを止めます。じゃダメにゃのか??」

「具体的な理由が無いと怪しまれるだろうし、ちゃんと収益を上げて税金が納められるって見込みを示さないと、このまま廃業を勧められると思うよ。」

「そうにゃのか。ニンゲンって面倒くさいにゃあ……」


 ティルミオの説明を聞いて、ミッケは不満げに呟いた。猫には人間社会のルールは中々理解し難かった。


「はい!じゃあ普通に錬金術でパン屋をやっていきますって説明じゃダメなの?」


 今度はティティルナが、会議らしく手を挙げて発言をした。するとティルミオは、その質問を待ち構えてたかのように、勢いよく発言を返したのだった。


「そう、そこ!そこなんだよっ!!」


 ティルミオが急に大きな声を出したので、ティティルナもミッケも驚いて目を丸くしたが、そんな彼女らの様子には構わずに、ティルミオは少し声を落として話を続けた。


「……ティナが錬金術を使えるようになったって事は、他人にバレても良いと思うか?俺はそうは思わないんだよ。」


 これは、兄として妹を心配しての事だった。ただでさえ贈り物ギフト持ち自体が珍しいのに、錬金術なんてレア中のレアな 贈り物ギフトなのだ。もしもティティルナが錬金術が使える事が世間に知れ渡れば、きっと彼女を利用しようとする悪い輩が現れるに違いないと思ったのだ。


「確かににゃ……用心するに越したことはにゃいにゃ……」


 ティルミオの意見にミッケも同意した。彼女の身を案じる気持ちは同じなのだ。長く生きている分ニンゲンの汚い部分もそれなりに見て来ているのだ。


「うーん。じゃあ、普通に、このまま二人でパンを作って今まで通り売っていきます。でいいんじゃないの?」

「そうだな。オーブンが無いことだけバレないようにしないとな。」

「奥まで入ってくるかな?」

「入らないと思うけど、絶対にとは言い切れないな。」

「もしも、奥に行きそうににゃったら、我が引っ掻いて止めるにゃ!我、猫だから多少の事は許されるにゃ!」

「ははっ、そいつは頼もしいな。」


 自信満々に自慢の爪を見せながらそう宣言したミッケの頭を、ティルミオは笑いながら撫でた。この不思議な飼い猫ならば、多少何らかの問題が発生したとしても本当に何とかしてくれるのではないかと思ったのだ。


 そんな感じで役人の対処法がある程度決まりティルミオがホッと胸を撫で下ろしていると、不意にティティルナが小さく手を上げたのだった。


「あのね、お兄ちゃん。オーブンなんだけど……」

「ティナ?何だ?」 

「あの、何年かかっても良いから、オーブンを買い戻さない?確かに錬金術でパンが作れるようになったんだけど……私やっぱり、焼きたてのパンが食べたいんだ。味は確かに再現出来たけど、あの、オーブンから出した直後のホカホカでふわふわの感じは、やっぱりオーブンで焼かないと出来ないから。」


 ティティルナは少し言いにくそうに、おずおずとそのお願いを伝えた。


 錬金術で両親と同じ味のパンは作れても、焼き立てのパンの再現は無理なのであった。だから、オーブンを開けて焼き立てのパンを取り出す幸せな瞬間は、実際にパンを焼かないと味わえなくて、ティティルナはそれがどうしても諦められなかったのだ。

 それが、両親との幸せな想い出だから。


「……そうだな。借金返したら、買い戻そうな。」

「……我も、パンが焼ける匂いは好きにゃ。」


 ティルミオとミッケも、彼女の願いに優しい笑顔で寄り添った。彼らにとっても、パンが焼けるのを待っているあの時間は、家族全員が笑っていた大切な想い出なのだ。


 両親はもう居ないけど、あの温かな時間をまた一緒に過ごす為に、オーブンを買い戻す事が、二人と一匹の目標に加わった。


「それでさ、お兄ちゃん。結局のところ、いつまでに、どれくらいのお金が必要なの??」

「そうだな……借金の方は事情を話したら同情して待ってくれるって言って貰ったんだけど、お役所はそうもいかないからな。期日までに払わないと、問答無用でこの家を差し押さえられる。」

「期日って?」

「一ヶ月後だ。」

「いくら払うの?」

「……前年度の売り上げ利益の一ヶ月分。」


 妹の純粋な疑問に、ティルミオは腕を組んで難しい顔で考え込みながら答えた。彼はそれがどれだけ大変な事か分かっているのだ。

 けれどもティティルナは、兄の言葉を聞いても、それがどれほど大変な事かよく分かっていなかった。


「それなら、明日からお店を再開して、一ヶ月分の売り上げを税金に支払えばなんとかなるね!」


 彼女は事態を随分と楽観的に捉えたのだ。


 するとティルミオは、そんなティティルナの言動に大きく溜息を吐くと、妹の考えの甘さを指摘したのだった。


「それだと、俺たちが生活出来ないだろうが……葬儀の代金とかで、今手元にお金が無いんだぞ?売り上げ全部税金に回したら、俺たち何も食べれなくなるぞ?」

「うっ……」


 ティルミオの説明を聞いて、ティティルナも困ったような顔をして黙ってしまった。流石に一ヶ月間ご飯を食べない事は無理だから。


 けれどもそんな中で、一匹だけは、随分とのほほんとした口調で余裕を口にしたのだった。


「我は一ヶ月くらい食べなくても平気にゃ。」


 ミッケが、ペロペロと毛繕いをしながら、ドヤ顔でそう言ったのだ。しかし、ティルミオは全く取り合わなかった。


「普通じゃない生き物は黙ってようか。」


 高位生物?とやらと一緒にしてもらっては困るのだ。自分たちは普通の人間なのだから。

 だからティルミオはミッケのこの発言を適当に流したのだが、ティティルナは真に受けてしまった様で、彼女は少し思い詰めたような顔で、兄の袖を引っ張ったのだった。


「わ……私も、一日一食で我慢するから……」

「いや、我慢しなくていいから!そうならない方法を今模索してるんだってば!」


 妹の思わぬ発言に、ティルミオは慌ててそれを否定した。それから頭を掻くと、彼女にも分かるように現状を説明した。


「それに食費を切り詰めた所でどうこう出来る問題でも無いんだ。昨年度の売り上げ利益1ヶ月分って事は、俺たちも同じだけ利益を上げないと払えないんだ。だけれども、去年より材料の小麦の値段が上がってるんだ……」


 ティルミオはそこまで言って言葉を濁すと、暗い顔で深い溜息を吐いた。


 昨年度の以上の売り上げ利益を出す為には、昨年度以上のパンを売らなければいけないのだ。それを達成するには新しい客の獲得や、客単価の向上が必要なのだが、しかし、ただの街のパン屋ではそれは難しい。

 なので、ティルミオは何か他の一手が欲しかった。


 すると、悩むティルミオに再びティティルナが手を挙げると明るい声を掛けたのだった。


「それなら!パンと一緒に、錬金術で作った他の物も売ったらどうかしら?例えばさっきのバターはどう?パンに塗るから並べて置いたらきっと一緒に買ってくれるよ。」


 心配性な兄と対照的に、彼女は常に前向きだった。


 ティティルナはニッコリと笑うと、思い悩む兄を励ますように柔軟に新しいアイディアを提案したのだった。

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