カミサマ
@eat_cream_puff
プロローグ
二〇一五年 ニホン国
その日は、仄かに冬の香りが残った、気持ちのいい朝だった。
肌を撫でる風は暖かく、起きたばかりの私を再び微睡ませる。
ベージュと赤茶色を基調とした古風な書斎は、同僚には受けが悪いが、ここは私が一番落ち着ける場所だ。
「春だなぁ」
私は窓の方へ目をやってそう呟いた。コーヒーを一口すする。酸味のきいた苦みを口内にで存分に楽しむ。書斎の色合いに合わせた西洋風のカーテンから差し込む日差しも心地よい。
しかし、そんな春の陽気とは裏腹に、私の心はすっかり曇り切っていた。
コーヒーカップを置いて新聞に視線を戻すと、白髪交じりの頭をかきながら大きくため息を吐いた。
「汚職、強盗、殺人――――この国はそういう事件は絶え間なく続くんだな……」
確かに、日本は今、諸外国と比べれば平和な国だ。飢饉でもない、戦争もない、銃の携帯が必要なわけでもない。だが、犯罪件数だけは減らなかった。増えていないだけましなのかもしれないが。
私は若いころ、地方の県議員を務めていた。若く、無鉄砲なこともあって、政府の中枢や県議会の頭の固い連中からは目の敵にされていた。かくいう私も、彼らのことを決して好意的には思っていなかった。どうも組織や業界と言うのは権力を持つほど性根が腐ってゆくらしい。勿論上の連中が全員そろって真っ黒かと言えばそうではないと思うが、九分九厘、彼らは腐っている。
そういう思いも手伝ってか、それから私は自分の政党を立ち上げ、後輩議員をはじめ、多くの議員をその政党に引き入れた。時には有力な政党から圧力ともとれる介入をされたこともあったが、それは寧ろ私を、私の政党を燃え上がらせ、たぎらせる要素でしかなかった。
それから私たちはおよそ十年かけて、政党を二大政党に並ぶ有力な政党にすることに成功した。その後、与党が私たちの政党になるのはそう時間はかからなかった。
首相になって二年、外交や経済の面において様々な政策を行い、その殆どを成功させてきた。国民からの支持も七十五パーセント以上をキープしている。私は、私が幼少より夢見てきた良い政治家になれたのだと思う。比較的平和な国を築くことができたのはとても誇らしいことだ。
しかし、だからこそ犯罪件数が減らないのは私にとって大きな悩みの種であった。国民幸福度の増加や、所得の増加などのための施策を打ち出してみたものの、どれも効果はあまり現れなかった。かといって、暴力的な支配で犯罪を減少させるというのも、少し違う気がする。いったいどうすればいいのか――――。
「統一郎さん」
「え」
「先ほどからノックをしていたのですが、返事がなかったので」
私が振り向くと、少し開いた扉から妻が申し訳なさそうに顔を出していた。
「あぁ、すまない。少し集中し過ぎていたようだ」
「朝食、今日はこちらでとりますか?」
妻は私と同い年でありながら、随分と若い印象を受ける。白雪のような美しい肌にセミロングの黒髪、慎ましやかな雰囲気で、大和撫子そのものだ。贔屓目が過ぎるかもしれないが。
「あぁ、すまないな、そうさせてくれ」
「はい。お食事は今すぐ?」
「んー。そうだな、そうしよう。思いのほか空腹だ」
腹を一周撫で、ぽん、と叩いてみる。妻は口を手で隠して微笑んで、「今お持ちしますね」とだけ言って、書斎を出る。
「あっ」
廊下から妻の声が聞こえた。ひょこっと、妻が顔を出す。
「あの、ここに来た用事、忘れてました。統一郎さんに小包が届いてらしたので、渡しに来ましたの」
はい、と言って、私に茶色い包装紙に包まれた小包を手渡す。
「小包ぃ?ありがとう。誰だろうな」
小包の表面には私の住所が記入されており、差出人の欄には「麻生景介」の文字があった。全く見覚えのない名前だった。側面にはQRコードの様な気味の悪い模様が印刷されていた。
妻は「それじゃあ、すぐにお持ちしますね」と言うと、また書斎を出て行った。スリッパのパタパタという軽い音がだんだん遠ざかっていく。
「爆弾じゃないといいけど」
思ってもないことを口にして、笑みがこぼれた。歳のせいか、くだらない冗談を言うようになった、自分への嘲りだ。
手元にあったペーパーナイフで封を切る。
不思議な模様といい見覚えのない差出人といい、怪しさ満点だ。封を開けてよかったものか、と少し後悔した。
包装紙を剥がし、中の物体を取り出す。暗い銀色の小さな立方体だ。側面は赤い線で上下に真っ二つに分けられている。
「おいおい、まさかこれ――――」
爆弾なんじゃ。そう言いかけたところで、立方体に異変が起きた。
ガチャ。
上半分が割れ、中から黒い筒がせり出してくる。筒は中にガラスがはめ込まれており、カメラのレンズのよう。
やがて、十センチメートルほどの高さまでせり出したところで、その筒は動きを止めた。鈍い重低音がその立方体から響くとともに、筒から光が放たれた。
その白い光は部屋全体を包み込み、私を包み込む。
私は思わず、目を腕で覆った。
「……?」
火薬のにおいも、肌が焼ける痛みもない。爆発音も聞こえなかった。どうやら、爆弾ではなかったらしい。私は、そっと目を開け、腕を下ろした。
年を取って様々経験をしてきたが、いやはや私にそんな妄想力が残っているとは。また自嘲の笑みを浮かべたところで、周囲の異変に私はようやく気が付いたのだった。
辺りはまさに、『無』。
何もない、只何もない空間だ。まるで無地のキャンバスの上に立っているようだった。三百六十度全方向がただ白く染まっている。
「どこに行った……?」
それは、私が、なのか、書斎が、なのか。どちらにせよ、一瞬でこんな状態になって私自身、何を考えるべきかがわからない。
ブブゥン。
腹の底が震えるような低い音が聞こえたかと思うと、正面に青白い光線が通った。それは私の視界を二つに分かつように現れ、やがてその光線は素早く左右に動き始めた。
もはや、私にこの状況について考える間など与えてはくれなかった。ただ、そんな混乱した私の頭脳でも、青白い光線が何を形作っているのかは明白だった。
人間だ。
青白い光線が地面(と呼べるのかどうかも怪しいが)に消えたところで、私はそこに現れた『彼』の顔を見た。
髪は少し長めで焦げ茶色、肌は少し血色の悪い蒼白を見せる。カーキのパンツに白いシャツ、橙色のパーカーを羽織った、見た目十代後半くらいの少年だ。
「こんにちは。成宮 統一郎(なりみやとういちろう)サンですよね?」
少年は柔らかな笑顔を見せ、一度頭を下げた。
「いかにも。私が成宮だ。聞きたいことはたくさんあるが、まずは答え合わせだ。君は麻生 景介(あそうけいすけ)クン、そうだね?」
「驚いた。貴方から見れば拉致されたも同然の状況なのに、随分と冷静なんですね」
その少年は手をパッと広げてそう言って見せた。
「これでも一国を背負う立場なんでね。拉致されたくらいで驚いているようじゃ、やっていけないよ」
「なるほど。成宮サンの仰るとおり、僕が麻生景介、です」
そう言って、また一度頭を下げた。
私も余裕を見せてみる。が、決して余裕なわけでもなければ、動じてないわけでもない。私が目を閉じたほんの数秒で、彼は全く知らない空間に私を運んだ、もしくは空間を変えたということになる。そんなことができるとすれば、超国家規模の話だ。
「さて」
頭を上げた彼は、パッと笑顔になる。
「貴方はきっと聞きたいことがたくさんあるでしょう。どこから説明すればいいか……」
「ふむ。おじさんにもわかりやすく頼むよ」
もちろんです、彼はそう言うと少し声のトーンを落とし、十分真剣な空気を作り出してから話し始めた。
「僕は西暦二〇七四年の日本、つまり貴方の生きる時代から五十九年先の未来から、この通信をしています」
――――認めよう。正直、反応に困っている。突拍子もない話だ。証拠もない。異常者の戯言、電波系か。普段の私であれば間違いなく一蹴、それで終わりだった。
だが、どうやら今の私はどうかしていたらしい。私には、彼から一寸も目を離すことができなかった。彼の向ける視線、その瞳の奥には確固たる意志がある。『それ』には見覚えがあった。政界には近年少なくなった、確固たる変革の意志を宿す瞳だ。
いろいろ可能性は考えたが、どうやら彼の言うことは本当で、そして彼は善悪でいうところ悪、ではなさそうだ。
ふぅ、と息をつくと、改めて彼に向き直った。
「ふむ、それで?」
私の言葉に、彼はまた少し驚いた様だった。今度は大きな動作などはなかったが、目を見開いて私を見ていた。
「……信じるんですか」
「嘘なのかね?」
「いえ、そんなことは」
「なら、話を続けなさい。キミはそのために私の前にいるのだろう」
一度だけ頷くと、彼は少しほっとしたような表情を見せた。それから今度は、強張ったような、目の奥に怯えと不安を抱えたような表情になった。
「お願いがあって……来ました」
「私に叶えられることなら。何かね。」
彼は二度、大きく深呼吸をしてから、呟いた。
――――未来を、変えてほしいんです
目の前の少年、麻生景介は確かにそう言った。まだ顔に幼さが残ったような少年が、突然現れて「未来を変えてくれ」と言った。まるで、SF映画の冒頭のようじゃないか。
過去何十年と総理大臣が生まれてきたことだが、比喩でない限りこんなお願いをされた総理大臣はいなかっただろう。
「それが言葉通りの意味なら、君の生きる未来の日本は一体どうなっているんだ」
「僕の生きる二〇七四年は第二次産業革命を迎え、多くのものが人工知能や機械に頼った生活をしている時代です」
第二次産業革命――――彼の話によれば二〇三四年、某国にて起こった世界で二度目の産業革命だ。それがいわゆる着火剤となり、世界中で次々と産業革命がおこったのだ。日本国も勿論例外ではなく、日本では特に人工知能の発達が凄まじかった。つい十数年前までは、人工知能と言えど、片言の組み合わされた言葉しかしゃべれなかったり、人の言葉を聴き取っても間違って聴き取られたり、精度としてはそこまで高くなかった。しかし、第二次産業革命以降の人工知能の精度はそれこそ人間の頭脳にかなり近しいものになっていた。どの乗り物にも必ずそれが搭載されるようになったし、飲食店や各種産業にも導入されるようになっていた。
よかった。五十九年先の未来でも、世界はまだ発展していることを聞き、私は少しうれしくなった。しかし、同時に、それは良いことばかりではなかったのだろうということを悟った。彼が話すほど、険しくなっていく表情がそれを物語っていた。
「それだけ発展したからこそ、当然の帰結だったのかもしれません。日本は愚かにも、政治すらも機械化して効率化を測ろうとしてしまったんです」
それが、『運命の歯車(the Gear Of Destiny)システム』――――通称『G.O.D.』、カミサマ。
総人口約2億に上る日本国民を管理、統制するためにある研究者らが開発した日本国最高峰の人工知能。二〇五〇年に始まったこのシステムは当初、国民一人一人の現在の健康状態から、現状かかりうる病気を教えてくれたり、将来の就職の適性を見つけたり、明日の予定の管理をしてくれたりと、生活のサポートが主だったという。
「だがまぁ、その時点でだいぶ危険な香りはするがね」
政治家の観点から言えば、これは明らかに領域の逸脱だ。機械に任せていいレベルを超えている。
「まあ、人間と機械でどっちがうまく政治をやっていけるのかっていうのは、僕は詳しくないのでわかりませんが、この段階で貴方のように考えていた人は少なからずいたと思います。ただ、楽な方へ、楽な方へと、人間は導かれては流される生き物です。『カミサマ』のおかげで生きやすくなり、幸福になってしまったら、それを否定することなんかできなかったんです。それに、それまでは軽微なアップデートがされることはあっても、国民の自由を奪うようなことは決してなかったそうです。」
私はため息交じりに、顎を親指と人差し指の腹でなでた。それに一瞥してから、彼は続ける。
「しかし、二〇六七年、ソレは起こりました。『カミサマ』が、自我を持ち始めたんです。それまで、国民の生活や思想に介入することのなかった『カミサマ』は瞬く間にアップデートを繰り返し、国民へのサポートはやがて、絶対的な支配へと変わっていったのです」
「支配…具体的には?」
「はい、まず、その年から新生児には全員、首の後ろに小型のチップを埋め込まれることが義務付けられました。これは後々、国民全員に施術が義務付けられるのですが、このチップには生年月日から名前、体重やら、今好きな人なんてのも含めたその人個人の情報と、国民一人一人に割り振られた国民番号なるもののデータが入っています。そして、このデータ全てを管理する『カミサマ』はそのデータを用いて国民に指示を出すんです。目的地までの道のりや食事、友人関係や将来の結婚相手、就職先まで――――……全部」
―――全部。その憎しみ込もった言い方から察するに相当の惨状だったことがうかがえる。
「さすがに抵抗する大人もいたようですが、そういう人たちは人型の機械たちにどこかへ連れていかれてしまいました。気付いたときには、国民の九割がすでに、『カミサマ』の洗脳下になっていたんです」
私はその現状を、過去の人間の歴史と似通っているように感じた。
かつて、遠い過去、某国では驚異的なカリスマ性を持ったリーダーが国を主導したことがあった。その国は確かに栄えに栄えたが、自国に住む特定の他民族の大量虐殺、他国への侵略など、人道に外れたことを幾つもやった。その結末は……言うまでもなかろう。
「その時です……『カミサマ』が、僕の家族を奪ったのは」
「家族を……」
「父と母、妹がいました。僕にとっては大好きな家族です。それを……ッッ」
そうつぶやいた彼は唇をかみしめた。こぶしを握り締めた。よほど、悔しかったことがうかがえる。
「当時の僕は十二歳、小学六年生でした」
彼はそう言って私からゆっくり視線を外し、その真っ黒な瞳に虚を捉えた。
「あの日のことは今でも鮮明に覚えています」
――――そう。絶対に忘れない。今も鬱陶しく耳に残る、あの雨の音だけは。
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