第28話 夏休み 2


   こう


 花火大会のあのことがきっかけで、俺は再び情熱を失い、紙芝居を辞めてしまう……ということはなかった。

 あの時の光景は今でも鮮明に憶えている。

 もしかしたら藤堂さんの横で一緒に花火を見ていたのは俺だったのかもしれないのに、という後悔のようなものがあったが、けれど演者と観客の関係でいいと望んだのは他ならぬ俺自身だし、第一告白なんかする勇気なんかなかった。

 悔しいけど、しょうがないこと。

 俺は行動をしなかった。あったかもしれないチャンスを自らの意思で掴まなかった。

 ものすごくショックであるのは紛れもない事実だが、それとこれとは別の話。

 あの時花火に、これからも紙芝居を続けると誓った。

 それに藤堂さんは夏休みの期間中に紙芝居を観に来てくれると約束してくれた。不甲斐ない紙芝居をして藤堂さんをガッカリさせたくない。

 藤堂さんに楽しんでもらいたいのは偽りのない本心だが、今はいない彼女のことよりも、観てくれている人を楽しませないと。

 種をまかないと。

 そう思いながら上演するけど、時折藤堂さんのことが脳裏をよぎる。

 観に来て欲しかったな。

 ああでも、まだ夏休みは始まったばかり。今日は来なかったけど、きっと次の日曜日は来てくれるはず。

 俺のする紙芝居を観て、楽しんでいってくれるはず。

 そんなことを考えながら、舞華さんと一緒に紙芝居の上演を続けた。


 紙芝居の上演後、普段はお任せ状態でめったに顔を出さない前田さんが。

 何事かと思っていると、

「急なお願いで悪いんだけどさ、お盆期間に臨時で紙芝居の上演をしてくれないかな。今度もヒーローショーを呼ぶんだけど、その時のアクションクラブがまた紙芝居と一緒にしたいと言ってきているんだよね」

 追加の紙芝居の依頼が。

 そうか、あの時のヒーローショーの人たちがまた来るのか。

 今度もちゃんとショーを観ておこう。色々と参考になるし、勉強になることも多いからな。

 そんなことを考えている俺の横で舞華さんが、

「私の一存では決められないので、この案件は持って帰って相談した後で、どうするかご報告ということでも構いませんか」

 まるでできるエリートサラリーマンのような、エリートサラリーマンがどんな人種なのか具体的には知らないけど、仕草と口調で舞華さんが返答する。

 相変わらずかっこいいな。並みの男よりも男前な雰囲気だ。

 それはそうと別に今決めてもいいような気がするけど、まあ俺は一応劇団外部の人間。紙芝居はあくまで助っ人だし。

「それじゃ相談して連絡をして。チラシとかの作成もあるからできれば早めがいいんだけど。ああ、そうそうそれと……」 


 早目の連絡をということで、その日の夜に劇団員三名+俺が集まり、依頼を受けるかどうかの相談を。

 といっても流れは、お断りの方向へと進んでいた。

 お盆という名の社会人にとっては貴重な夏休み。

 あの場では全然話していなかったけど、どうやら舞華さんは最近できたばかりの彼氏との予定がもうすでに組まれていたらしい。

 ゆにさんも予定日は近い。

 ヤスコも何かしら用事があるようなことを言っている。

「だったらさ、今回も俺一人で上演してもいいけど。せっかく依頼を受けたのに断ったりしたら前田さんに悪いから」

 三人の会議をそれまでずっと黙って聞いていたけど口を挟む。

 予定の空いている人間がいないなら俺一人で。

 一応しないといけない課題はあるけど、基本夏休み期間で暇だし、時間の余裕もあるし。

「はー、航何言ってるのよ」

 俺の言葉のどこにそんなに驚く要素があったのか判らないが、ヤスコがいつもよりも若干高めの声を出して言う。

「うん、だから今回も俺一人で上演するって言ったの」

「前回の大失敗を忘れたのー」

「いや忘れてないよ。あの時の経験があるから、今度は上手くとまでいかなくとも、前のような失態は起こさないような自信はあるから。それに前田さんが言っていたけど、前はショーの後の上演だったからあんなことになってしまったって。だから今回はショーの前、前座という形での上演にするって」

 あの時のリベンジを行うために再度あの場所での上演を決意した……というわけではない。

 実をいうと、これには非常に打算的な、個人的な事情があってのことだった。

 夏休みは長いといっても日数にすれば約四十日程度。その中に日曜日は、五ないし六日。屋上で約束をしたものの、藤堂さんがいつ紙芝居を観に来てくれるのか判らない。夏休み期間も部活があってきっと大変だと言っていたし、それに……まあそれはともかく観に来る機会を増やそうというのが俺の狙い。夏休みの間の日曜日が全て部活や他の用事で潰れたとしても、流石にお盆期間くらいは休みになるだろう。

 望んだような関係になることはできなかったけど、演者とそのファンという関係をより強くしたい。

「いいの航くん?」

「まあ航がしたいというのなら私は反対しないけどな」

 ゆにさんと舞華さんの意見。

「ああもう。夏休みの予定変更よ、私も一緒に行くから」

 ヤスコが大声で言う。

「え、別に一人でいいよ。前の時みたいに事前に道具を運び入れてさえすれば、自転車で行けるし」

「前みたいに潰れられたら困るから。最近立ち直ってようやく戦力になってきたし、ゆにもこの先当分出られそうにないのに、また大失敗を起こして凹んで辞めるなんて言われたら迷惑だから。だから今度は私も一緒にするから」

 いや、本当に一人でも大丈夫だと思うけどな。

「心配性なんだから」

「うんうん」

「別にコイツのことなんか心配なんかしていないから。人数が減ると大変だから、その対策をするってだけだから」

「素直じゃないな」

「そうそう」

 珍しく他の二人からいじられているヤスコを見ながら、一応心の中で感謝をしておく。心配かけていたんだな。だけどそれを絶対に口にはしないけど。

 ともかく、これで臨時の紙芝居上演が決定。


「航、本当に大丈夫なの? 無理しなくていいんだからね」

 紙芝居を持ってステージの前に行こうとしている俺の背中にヤスコが心配そうな声を。

「……大丈夫だよ」

 そう言いながらも、少しだけ緊張している。足が地に着いていないような感じする。

 臨時に組まれたステージ。その前に所狭しと敷き詰められたブルーシート。俺は今からこの場所で紙芝居を上演する。あの時大きな絶望を味わった場所で。

 異なるのは上演する時間帯。

 ショーの後ではなく、ショーの前。露払いというか前座。

 意識を下へと落としていく、足の裏でしっかりと地面、じゃなくて床の固さを感じるようにする。

 感じている。今日は絶対に大丈夫、ちゃんと紙芝居の上演ができるはず。

 司会のお姉さんからマイクを受け取り、ちょっとだけ挨拶と宣伝なんかしたりして、それから台座を開けて紙芝居の上演を始める。

 目の前はまだ青色のまま、つまり人がいなくてブルーシートが広がっているだけ。それでも誰もいないわけじゃない。ショーを観るために、席取りのために来ている人達がいる。

 前回の復讐、いや復習、やっぱりリベンジ。けど、敵愾心を抱いてするわけじゃない。

 そんな上演をしてもつまらない、面白くないはず。

 俺がここでするのは、観て楽しんでもらえるような紙芝居。

 場所取りをした人が去ろうとしている。その人の脚を止めるような上演を。している俺が面白くなければ、観ている側も面白くないはず。

 せっかく観てくれるんだから楽しませないと。

 これが功を奏したのか、それともこの後のメインイベントのおかげなのか続々と人が集まってくる。目の前に広がっていた青色は他の色へとどんどん変わっていく。

 笑いが起きる。笑顔であふれる。

 会場は徐々に盛り上がっていくけど、それとは反対に俺の頭は冷静になっていく。前回はここで天狗になって失敗をした。今目の前にいる人のほとんどはこの後ヒーローショーを観るために来た人達。俺の紙芝居は時間までの暇つぶしにすぎない。

 それでも観てくれているのだから楽しんでもらう。時間つぶしでも構わない。

 上演を続ける。気を抜かないで。

 紙芝居が終わる。頭を下げると大きな拍手を全身で受ける。それはものすごく心地良いものだった。

 ステージ脇に引っ込み、ヤスコと交代する。スピーカーからヤスコの声が流れる。

 半分以上の空間がもう埋まっていた。吹き抜けになっているから二階、三階からも顔を出して紙芝居の上演を観てくれている人もいる。

 この人達総てを俺の紙芝居で集めたわけじゃない。大半の人はこの後のショーがお目当てだろう。けれど、これだけの大勢の前で上演できたのは自信になる。

 リベンジは一応成功だろうか。けど、まだ終わったわけじゃない。上演時間はまだある。

 上演中は外している眼鏡をかける。普通ならここで次に読む紙芝居の準備をするのだが、俺は観客へと視線を。

 大勢の中にたった一人の姿を探そうとして。

 今回引き受けたのにはもちろん前回のリベンジ。この理由はヤスコにも前田さんにも告げてある。けれど実は二人に話していない、もう一つの大きな理由がある。

 それは、藤堂さん。

 藤堂さんは夏休みの間に俺の紙芝居を観に来てくれると屋上で約束してくれた。でも、夏休みは長いようで短い。今年の夏休み期間にある日曜日は六回。これだけの日数しかない。彼女の予定は判らない。部活に所属しているからおそらく練習があるだろう。家族で旅行に行くかもしれない。それにあまり言いたくはないけど……まあそれはともかく、とにかく観て貰える機会を増やしておきたいという考えだった。

 矯正されたよく見える視界で藤堂さんの姿を探す。

 もしこの場にいるのなら、背が高いからすぐに見つかるはず。

 見つからない。もしかしたら最初の時のように隠れながら観ているのだろうか。もう一度目を凝らして見渡す。

 やっぱり見当たらない。

 ちょっと残念だけど、気落ちはしない。

 もしかしたらこれから来るのかもしれないし、それに次のショーの前に来てくれるのかもしれない、今日は来なくとも残りの日曜日に来てくれるかもしれない。

 藤堂さんも大事だけど、今観てくれている人も大事だ。

 今度また、普段の日曜日の上演に観に来てくれるかもしれない。

 あの人風に言うと、種まきをしないと。

 そんなことを考えているうちにヤスコの上演が終わる。

 また俺の番に。


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