コウスケ 6

 展望公園の駐車場についた。

 六台分の駐車スペースは予想通り空っぽだった。オレはいつものように一番奥に車を停めてヘッドライトを消した。同時にやってきた闇と静寂が車を押し包んだ。

 どうする。ほんとうにやるのか。

 オレはこれから外に出て、雑木林を目指して歩き、土に埋めた死体を掘り起こそうとしている。だがそれは言葉で言うほど簡単なことではない。アパートの部屋で考えるということと、現場の空気をひしひしと感じながら行動に移すことの間には大きなギャップがあった。

 ここには圧倒的な闇と静寂がある。

 土を掘れば本物の死体がある。

 もしかしたらもがき苦しんだ痕跡の残る死体かもしれない。

 だとすれば、それは、すぐに救急車を呼んでいれば助かっていたかもしれない死体だ。

 万が一の生還の可能性は、オレがこの手で穴を掘り大量の土とともに葬り去ったことになる。

 いずれにせよ、掘り起こすのは死後一週間が経過した死体だ。ひどい状態であることは間違いない。でも、取り返しのつかないその現実を、自分自身の目で確認することが今のオレには必要なのだ。

 正直に言おう。

 反省の気持ちなどひとかけらもない。

 自分一人の安心を確保するためだけの行動だ。

 だから、確認すればまた埋め戻す。そしてもう二度とこの場所には近づかない。

 そしてのうのうと生きていく。

 オレは人でなしなのだ。

 よし、行くぞ。

 反動をつけてシートから身を起こし、運転席のドアを押し開けた。

 山の湿った冷気、遠くに雑木林の梢のざわめき、そして東の空には半分に欠けた月。

 ありがたい、たとえ半月であっても月が出てくれていれば作業が楽になる。

 車の後部に回ってリアハッチを押し上げ、一週間前に使った小型のシャベルを引っ張り出す。運転席では気づかなかった土の匂いがした。

 車のドアをロックし、シャベルを右の肩にかつぎ、オレは歩きはじめた。

 ほどなく靴の底に当たる地面の感触がアスファルトから未舗装のものとなり、小石を踏みつける音が等間隔に響きはじめる。

 落ち葉が匂う。

 風は止んでいる。

 静かな夜の遊歩道だ。

 オレは今、寒さを感じていない。時間の感覚もない。足が勝手に体を運んでいく。

 ああ、この感覚を覚えている。一週間前に歩いたときとまったく同じではないか。

 あのときは埋めるために、今は掘り起こすために夜の雑木林に向かっている。


 どこだ。シンジはどこにいる。

 オレは深い闇を抱える雑木林を前にして立ちつくしてしまった。

 シンジを埋めた場所が、いやそこへ行くためのポイントがまったくわからないのだ。

 よく考えてみれば当然かもしれない。あのときは、とにかく人目につかないようにということだけを考えて、ひたすら雑木林の奥へ奥へと入って行った。盗んだ金や宝石を埋めるのではないから、目印を残しておくことなど頭になかった。焦っていたし、すぐにでも逃げ出したかった。距離感も方向感覚も麻痺していた。詳細な場所の記憶など残っているわけがないのだ。こうして現場に立つまでそのことに思い至らなかったうかつさに、オレは呆然となった。

 どうする。あきらめるか。それとも、自分の足元さえおぼつかない暗闇の中で何百本という樹木の根元をしらみつぶしに掘り返していくか。

 ほうと吐いたため息が白く流れた。

 頭の上で木々の梢がさわさわと音を立てている。

 風が出てきたようだ。

 あ、この感じ――

 あの夜と同じ風が吹いているじゃないか。

 もしかしたら、この場所で合っているのかもしれない。

 オレはふと思いついて目の前にある木の幹に触れてみた。

 覚えている。

 手のひらから伝わるごつごつとした木の皮の感触が、忘れてしまったはずの記憶のかけらを呼び起こした。

 シンジの死体を背負ったまま雑木林に踏み込もうとしたとき、落ちていた拳大の石につま先を引っかけて転びそうになったのだった。その拍子に首の後ろでシンジの頭が右から左へごろりと動き、思わず伸ばした手の先に木の幹があってなんとか転ばずに済んだのだ。

 間違いない、今触れているのはあのときの木の幹だ。

 行ける、これで行けるぞ。

 とっかかりさえわかれば、あとは毎晩見ている悪夢と同じルートを進めばよいのだ。

 こうして右手で木の幹に触れたまま、まっすぐに二歩。ここで手を離して、今歩いたルートの延長線上をゆっくり進むと、ほらあった。顔の所に左の方から細い枝が伸びているんだ。こいつは腰をかがめてやりすごし、正面にある二股の木を右に回り込む。どうだ、夢の通り、記憶の通りじゃないか。

 オレはシャベルを右に左に持ち替えながら、夢での行動をなぞって雑木林の奥へと分け入った。やがて一本の太い木が正面に現れた。見覚えのある立派な木だ。夢ではこの木の根元にシンジの死体が背中をあずけて座っているのだが、もちろん今はなにもない。

 さて、穴はどこに掘ったのだったか。

 穴を振るときの地面の固さや土の重さは生々しく覚えているのだが、肝心の穴の位置に関する記憶があいまいだった。まあいい、ここまでたどり着けたのだ。あとはこの周辺を手当たり次第に掘っていけば、そのうちに行き当たるだろう。

 オレはシャベルを構え直し、おおよその見当をつけた場所に突き立てた。

 ざくり。

 思っていたよりも地面は固かった。一度掘った場所ならもう少し柔らかいはずだ。たぶんここではないのだ。ただし昼間に降った雨の影響があるかもしれない。少しだけ位置をずらして掘ってみようか。

 ざくり。

 ん? さっきとは少し違う感じがする。よし、もう一回。

 ざくり。

 なんだろう? シャベルの先端に、土ではないなにかが当たったが。

 シンジの頭――なのか。

 もしかして、もう掘り当ててしまったか。少し浅すぎないか。

 オレは口の中に溜まっていたつばを飲み込みシャベルの柄を握りなおした。

 息を細くして慎重にシャベルを入れる。

 さくり。

 今度はやけにあっさりと、思った以上に深くシャベルの先が地面に突き刺さった。

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