マナミ 3
「なんだマナミか、おどかすなよ」
「そっちこそなによ、怖い顔してさ」
私は笑って軽く返したが、ちらりと見えたパソコンの画面の内容に声が震えそうになった。
――死の判定基準。
――死の三兆候。
――生き返る死体。
なにそれ、なんでそんなものを調べてるの。
思わず叫びそうになった言葉を喉の奥に押し戻す。
「調べものはもういいの?」
「うん、ちょうど終わるところだった」
「そっか。じゃあ、ちょっとだけお茶でもしない」
私はできるだけさりげなくを心がけ、準備していた台詞を口にした。
「いいよ、で、どこに行く」
コウスケの無邪気な返事に心が痛んだ。でも、今の私は計画通りに話を進めなければならない。
「もうすぐ五時かあ、暗くなってきたし近場がいいな。ちょっと味気ないけど、3号館のカフェにしよっか」
「まだやってるかな」
「六時までは大丈夫だったと思うよ。でもちょっと急ごうか」
私はコウスケの手首をつかみ「急げ急げ」と言いながら出口に向かった。
閉店まで一時間しかないせいか、カフェには一組の先客しかいなかった。しかもそれはサユリとその友人だ。コウスケに顔を知られているかもしれないのでサユリはこちらに背を向けて座っている。私は打ち合わせ通り、サユリたちの側に座る席にコウスケを誘導した。
二人が注文したカフェオレが運ばれて、さてなにを話そうかとテーブルに肘をついたところで私のスマートフォンに電話がかかってきた。カフェの外にいるもう一人のサユリの友人からだった。
「ごめん、出てもいいかな?」
「ごゆっくりどうぞ」
私はスマートフォンを耳に当てた。事前の打ち合わせ通り、他愛のない世間話をはじめる。コウスケはカフェオレのカップを両手で包み、ガラス越しに見える夕景のキャンパスに目を向けている。ほぼ同時にコウスケのうしろの席から会話が聞こえてきた。
「さっきね、たっくんに聞いたんだけど」
「たっくんって、工学部の彼氏の?」
「工学部のって、どういう意味よ」
「なぜそこに引っかかる? 普通に確認しただけじゃない」
「いやいや、今のは悪意を感じたな」
電話の相手には適当な相槌を打ちながらコウスケの様子を観察する。コウスケはまだカフェオレに口をつけず、ぼんやりと外を見ている。
「で、たっくんがどうしたって」
「たっくんが言うにはね、工学部の四年生で、行方不明になっちゃってる男子がいるんだって」
「あ、それ、聞いたことあるかも。えっと、たしか、トオルじゃなくて、タクヤでもなくて――」
「シンジ!」
コウスケがびくりと反応した。首がぎこちなく固まる。今の一言で背後の会話に聞き耳を立てはじめたのがはっきりとわかった。
「その行方不明のシンジくんがどうかしたの」
「ちょっと変な噂がね」
「なによそれ、思わせぶりはやめなさい」
「いろんな人が見たって言うんだ」
「どういうこと」
「今週になって一回も大学に出てこないし、連絡もつかないんだけど、夜の国道沿いを歩いているのを見たって言う人が何人もいるんだよね」
「それのどこが変なのさ。たんに大学サボってうろうろしてるだけなんじゃないの。それともバイト帰りとか」
「まあそうなんだけど、目撃のされ方がなんか変なんだよね。たっくんがいろんな人から聞いた話を日付順に整理してみたら、目撃されてる場所がちょっとずつ移動してるってことがわかったんだって」
「移動もするでしょうよ、歩いてるんだから」
「まあ聞きなさいって。三日前に県道十二号線、二日前が桜木町の国道、それで、ゆうべはたっくんが梅本町三丁目の歩道橋のところで目撃してるの」
「そんな細かい話をされてもよくわからないよ」
「だよね。でさ、たっくんもよくわからなくて地図に印をつけて確認してみたんだって。そしたらさ、目撃場所が西から東に向かって毎日五キロぐらいずつ移動してることがわかったんだ。それって変じゃない? 町の中を三日かけて十五キロ歩くとか普通しないでしょ」
「ふうん、たしかに気持ち悪いっていうか、都市伝説っぽい話だよね。あっ、やばい、もうこんな時間だ」
「ほんとだ、急がなきゃ」
二人はあわただしく席を立ち、バタバタという派手な足音とともにカフェを出て行った。
コウスケはは完全に固まってしまった。結局一度も口元に運ぶことのなかったカフェオレのカップからは、もう一筋の湯気も立っていない。
「ごめんね、長電話になっちゃって」
頃合を見計らってかけた声に、コウスケはゆっくりとこちらを向いた。
うつろな目。
ゆるんだ口元。
まるで死体のような顔。
それは私の知っているコウスケではなかった。
私は鳥肌の立った腕をそっと隠した。
「どうしたの、すごく顔色悪いよ」
「うん」
「ねえ、コウスケ、なにか悩み事があるなら話してよ。最近変だよ」
「ありがとう。今日はちょっと疲れてるみたいだ。とりあえず家に帰るよ」
「ほんとにそれだけ?」
「ああ、それだけ」
まるで棒読みの台詞みたいな口調だった。出来損ないの人形と会話をしているみたいだ。腕の鳥肌はいっこうにおさまらない。それどころか全身に広がっている。
「じゃあ、もう出よっか」
「うん」
結局、二人ともカフェオレには一度も口をつけないまま席を立つことになった。
すべては計画通りに事は運んだが、コウスケに対する違和感が募るばかりで、なんの達成感もなかった。
このあとサユリはなにをするつもりなのだろう。
私はもうなにも考えたくなかった。
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