夢幻の学園——転生した男は貴族学校でミッションのため奮闘する
牛盛空蔵
●01・挑戦の始まり
●01・挑戦の始まり
アルトは八歳の誕生日を迎え、それほど裕福でもない伯爵家の夕食を幸せに楽しんだ後、自室へと戻った。
何をするか?
勉強である。
とはいっても、この功安伯家の嫡男はまだ八歳。勉強としてすることは、主に読み書き、算術、帳簿の簡単な見方、基本的な社会の仕組み、道義道徳の基本、礼法などである。
父、功安伯テッドによると、最近は王都に活版印刷の工場ができたようで、書物や教本が、以前よりはかなり手に入りやすくなったらしい。
ともあれ勉強。真面目なこの嫡子は、誕生日ですら勉強を欠かさない。
しかし、今日の勉強を半ばまで進めたところで、異変は起きた。
「……ん?」
誰かの思考が流れ込んでくる――というか、脳に浮かび上がってくるのを感じる。
いや、思考ではない。知識や記憶、それも彼の知るものとは全く異質な、世界さえ違うのではないかとも思えるほど特異な、どこのものとも分からない見識。
徐々に頭がかすんでいく。
「くっ……」
何者かの、魔道具による攻撃か?
とっさに疑ったが、しかしそれは違う。
何がとは表現できないが、この浮かび上がってくる知識や記憶は、魔道具の研ぎ澄まされた透き通る気配とは異なる、もっと熱のようなものを帯びた特殊な力に包まれている。
まだ八歳のアルトにも分かるのだから、きっとこの見立ては正しいのだろう。
「ぐぐぐ……!」
とはいえ、脳に異物を注がれているような感触に、思わず彼はうなる。
思考が見識に圧迫される。その眼は開いている教本と、誰かの記憶の双方を視る。事物の位置付けが、流入する経験によって少しずつ変異していく。
「かはっ……ああ……」
彼は脂汗をにじませながら、ひたすら耐える。
いつまでそうしていただろうか。短い時間かもしれないし、ずっとそうだったかもしれないが、少なくともまだ夜は明けていない。
記憶の流入は終わり、彼の奥底に浸透し定着してゆく。
「はあ、はあ」
彼は苦しみの終止符を感じながら、まだ少し混乱している自分の頭を落ち着ける。
自分は前世を持ち、平里という現代日本の雑誌編集者だった。
とある出版社で歴史雑誌の編集に携わっており、ゲーム好きだった。事故死したようだが、事故の詳しい記憶は欠落している。享年三十一、男性。
そして……この世界「アスレディア」は前世で平里がやり込んだゲーム「アスレディア立志伝」の引き写しである。
自分の転生先「アルト」の位置付けは不明確で、どのネームドキャラとも一致しないが、きっとこれはモブ貴族に転生したということなのだろう。
そして、記憶が正しければ。
◆やあ。お目覚めのようだね◆
頭の中へ、唐突に声が送られてきた。
神、というより「世界の管理者」である。
◆あなたが……◆
神の有する超常の力により開かれた通信チャネル。アルトも返事する。
◆まあ、転生前の事故死した平里君にあらかた説明したから分かっているだろうけども、一応復習してほしい◆
いわく。
神、すなわち世界の管理者の勢力と「運命」という存在が対立状態にある。
神は文字通りの「神」ではなく、全知全能からは程遠い存在であるようだ。
一方、運命は言葉通り「運命」と称するのが適切であり、ゆえにその筋書きに刃向かうことは容易ではない。
そこで神は、支配下の世界の有望な者に「天命」を下し、それによって運命に反攻をしようとしている。通称「ミッション」。アルトにも今後、ミッションが下る予定である。
なお、ミッションは果たさないと不運により不利益を被るらしい。無視や失敗が重なると死ぬおそれもあるようだ。アルトにとっては傍迷惑だが、神の手駒にされた以上、やるしかない。
ともあれ。ミッションを果たすことは、運命を弱化し、神による公正な世界の管理をするために必要である。その達成によって成り上がったり業績を挙げたりすることは、運命への反攻になる。
なぜかというと、運命は苛酷であることがその本質の一部だからである。その本質に爪を立て続けていれば、いつか穴を穿つだろう。
逆に、運命のなすがままにしていると、どんどん諸々の状況は悪くなる。運命が苛酷に回り続ける。これに立ち向かうことは、巡り巡ってアルト、平里や人類のためにもなるはず。
そして、ゲームと異世界のつながりに関して。
この異世界に相当するゲームは、ゲームクリエイターに偽装した、地上に派遣された神の一柱によって制作されたもの。
このゲームを普通にプレイするだけでも、運命への抵抗にはなる。自由度の高いゲームで活躍することは、それだけ苛酷さへの反攻にもなるからだ。
そして神の勢力は、特にこのゲームをやり込んだゲーマーを本物の異世界――アスレディアへ転移させることを決定し、それに選ばれたのが平里だった。
ゲームのやり込みでも運命への抵抗になるが、本物の異世界で活動させるほうが運命により大きなダメージを与えられる、とのこと。
――きみには期待しているんだよ。……神はそう言った。
これらの内容は、平里には事前に神が伝えており、アルトはその記憶を継いでいるため、かなりすんなりと状況を受け止めることができた。
しかし。
◆質問がいくつかあります。よろしいですか◆
◆なにかな?◆
◆まず、いまの僕の人格は、どうなっているのですか、『アルト』なのか『平里』なのか◆
◆哲学的な問いだなあ。……なかなか難しいけど、一言でいえば『二人の人格が融け合って一つになっている』。平里君がアルト君の人格を追い出したとか、アルト君が平里君の記憶だけを吸収したとか、そういうことではないよ◆
問いも難しければ、答えも難解である。
だが、なんとなくではあるものの、アルトも大雑把な理屈はつかめた。
◆これでいいかい、足りなければもっと言葉を尽くして説明するつもりだけども◆
◆大丈夫です。現に僕は生きていますし。二つ目、アスレディア立志伝では十二歳の四月に、王都の学園に入学することになっていますが、この世界もその理解で過ごして差し支えないでしょうか?◆
学園。この「連合王国」において、貴族の子女が必ず通うこととなる「貴族学校」の通称である。
アスレディア立志伝では原則、この学園にて、六年間、十八歳の三月末まで過ごす。
学園内の成り上がりのゲームを「立志伝」と称するのはいささか大げさではあるが、それはここでは気にすることではないのだろう。
神は答える。
◆基本的にはそうなる、と思うよ。入学までに大きな事件とか、何か尋常ではないことが起きたり、君が通えない状態になったとかなら別だけど。ああ、運命の動向も関わるね◆
◆そこからですか◆
◆まあこの筋書きは変わらないとは思うけどね。……と思ったけど、これから仲間になる生徒に転生の影響が出ているね◆
◆えっ◆
アルトのまゆがぴくりと動く
◆きみと同学年になる予定の『ゲームの主人公』は、遼雲伯家のロックという男子だけど、これが立場はそのままに、ロナという女子になっている◆
すでに路線から外れた。筋書きはもはや流動を始めているのか。
アルトは押し黙る。
◆運命の力と転生の術式が混線して、予期しない変化を生んだんだね。幸いにも人格とか素質とかには影響がないみたいだ◆
ロックがロナに。
男が女に。
◆待ってください、それじゃあゲームのヒロインたちは?◆
◆いまのところは変化がないけど、少なくともロナと結ばれることはなさそうだね。好機だ、きみが女子たちの心を射止めるといい◆
◆そんな雑な……◆
とはいえ、現実は現実、起きたことは起きたことである。最善を尽くすしかない。
◆確かアスレディア立志伝では、十歳のときに、チュートリアルで大猪と戦う負けイベントがありましたが◆
◆どういう形になるかは私も分からないね。きみが巻き込まれるかどうかもまだ見えない◆
本当に使えない神だな、とアルトは不敬なことを考えた。
しかし、前向きに考えるなら、大猪との戦いや路線を外れた学園生活に備えて、いっそう鍛錬や勉学に励む必要がありそうだ。
いや、それだけではない。いまのところアルトは父から小遣いをもらっているが、その全てをこれからの「この世界への挑戦」に回す必要がある。無駄遣いができない。
就学前の鍛錬自体は、やっている貴族子女たちも当然いるだろうが、ここで少しでも優位を稼いでおかないと、最悪、学園生活で落ちこぼれるおそれもある。
というより、その前に大猪との戦いに備えないといけない。神の話しぶりから察するに、おそらく現実にチュートリアルはない。
◆あれもこれもイレギュラーですか、難しいですね◆
◆……言い忘れたけど、私もあまり深く突っ込んだ助言はできないよ。それをすればするほど、運命への反攻が弱まる◆
◆むむ、わかりました◆
こうなっては致し方ない。勉学と武芸、その他の必要な準備に、ひたすら打ち込むまで。
平里は「ゲームがしたかった」のであって「アスレディアで暮らしたい」わけではなかったが、それを振り返っている余裕はない。
彼は運命に抵抗する。
◆とりあえず今日はここまででいいかな◆
◆はい。ありがとうございました。おやすみなさい◆
彼は魔道具の灯りを消し、寝台に横たわった。
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