第31話:安祥松平家と三河旗頭

天文18年4月22日:尾張那古野城:織田三郎信長16歳視点


 昨年から今年にかけて、黒鬼が獅子奮迅の働きをした。

 あっという間に渥美半島を制圧して自領とした。

 三河湾の海岸線に領地を持つ国人地侍の城を落として自領とした。


 それだけでなく、三河湾内に点在する島々も占領して自領とした。

 その代わり、余との約束通り安祥城周囲の城を引き渡した。

 その御陰で、織田弾正忠家の譜代家臣に多くの利を与えられた。


 苦渋の選択で父上を那古野城に幽閉した事で、余の評判が落ちてしまった。

 それでなくとも、林新五郎の謀略で余の評判が落ちていたのだ。

 挽回するには利を与えるか力で抑えるしかなかった。


 林新五郎に味方した国人地侍は無視して、中立の者を城代にして利を与えた。

 その御陰で、多くの国人地侍を味方につける事ができた。

 

 林新五郎が傀儡として担ぎそうな勘十郎は、父上と一緒に那古野城に幽閉した。

 母上や側室の者達、他の幼い弟妹も那古野城に保護している。


 林新五郎一派が拠点としそうな古渡城には平手政秀を入れ、勝幡城には佐久間信盛を入れて奪われないようにしている。


 問題は、一気に領地が増えた事で林新五郎達に備える兵力が少ない事だ。

 余と新五郎を天秤に掛けるような連中は、三河に手に入れた城に入れた。


 新しく手に入れた城を守るために兵力を取られたから、よほどの事がない限り余に刃を向ける事はない。


 信用できる者達は、新五郎一派に備える為、那古野城と周囲の城に集めなければならなかった。

 

 余が動かせる兵力は少ないが、今川や松平に関しては何の心配もしていない。

 黒鬼が渥美半島にいるから、無理に尾張に進めば背後から襲われる。

 あの黒鬼に背後を取られたら、余でも勝ち目はない。


 追い込まれた松平が、起死回生を図って戦いを仕掛けてくるのが心配だったが、安祥松平家4代当主の松平広忠が病死した。


 後を継ぐべき竹千代は尾張で人質になっている。

 熱田の加藤順盛屋敷で世話していたのを、黒鬼の大浜城に移していた。


 黒鬼の所の方が、林新五郎一派に奪われる心配をしなくていい。

 竹千代を新五郎達に奪われたら、三河の一部が暴発するかもしれない。


「三郎様、前田慶次からお手伝いせよと命じられました、何なりとお命じ下さい」


 有り難いというべきなのか、思いがけない援軍が来た。

 三河で新たに臣従させた国人地侍を、黒鬼が寄こして来た。


 心からは信用できない連中を余に押し付けたのか?

 それとも本気で余の事を想って送ってくれたのか?


 腹立たしいような、嬉しいような、どうにも複雑だ。

 黒鬼の兵に頼り過ぎるのは危険だと分かっている。


 1人の家臣を頼り過ぎたら、実権を奪われて傀儡にされる。

 尾張守護の斯波義統のように、傀儡にされた守護が幾人もいる。


 家臣の傀儡にされない為には、家臣の兵力に頼らない事だ。

 家臣達を上回る独自の直率兵を持つ事だ。


 そのためには、家臣以上の領地を持ち、銭が手に入る仕組みが必要だ。

 黒鬼の真似をするのは業腹だが、直轄領で干鰯と魚油を作らせよう。


「よくぞ来た、戸田弾正左衛門尉。

 謀叛人共が何時動くか分からない状況だ、その方の働きに期待している」


「過分なお言葉を賜り、恐悦至極でございます」


 余の気持ちは別にして、黒鬼が送ってくれた兵力が助けになっているのは確かだ。

 美濃のマムシ、娘を嫁に出しながら織田家を飲み込み尾張を手に入れる気だった。


 滝川久助が甲賀衆を使って調べて来た。

 今川勢が三河に攻め込んできたのは、美濃のマムシと話がついていたからだった。


 尾張上四郡守護代家の岩倉織田信安が戦いを挑んできたのも、美濃のマムシが裏で糸を引いていたからだった。


 未だに好きになれないが、これだけの働きをする忍者は、当主ならば上手く使いこなさなければならない。


 応仁の乱の時、鈎の陣で六角高頼が甲賀に立て籠もり勝利したのも、忍者の力があってこそだと思い知った。


 優秀な甲賀衆が領主の六角家に召し抱えられるのは仕方がないが、六角が召し抱えなかった甲賀衆を黒鬼に独占させる訳にはいかない。

 滝川久助を使ってできるだけ多くの甲賀衆を召し抱えよう。


「松平竹千代を連れて参れ」


「はっ!」


 近習が慌てて出て行く、何を怖がっているのだ?

 黒鬼の兵が連れて来たから、一時的にいるだけで、直ぐに大浜に帰すぞ。


 松平竹千代、安祥松平家の正統な後継者だが、まだ幼い子供に過ぎない。

 忠義を尽くす家臣も少なく、直轄領も少ない。


 弱いからしかたがないとはいえ、父親の松平広忠はその時々で織田家と今川家の間を渡り歩いていた。


 父上は松平広忠よりも松平信孝を評価していた。

 余も松平信孝が存命ならば、彼に三河を任せていた。

 残された幼い息子に三河の旗頭は任せられない。


 だがそれは松平竹千代も同じだ、幼過ぎてとても三河を任せられない。

 後見人を立てるくらいなら、そいつに三河を任せた方が安心だ。


 美濃のマムシが色々と謀略を巡らせていて、林新五郎と織田信安が余を狙っている状況では、三河に多くの家臣を送る事はできない。


 余の身分では、守護代を置く事ができないから、格で治める事はできない。

 実力でねじ伏せるしかないが、それが反発を呼ぶ事も分かっている。

 その反発を含めて力で捻じ伏せられなければ、尾張三河の主には成れん!


 幕府が危険視して守護に任命しないくらいの名門、吉良家を形だけの旗頭にする方法もあるが、名門の威光で三河を奪われる危険もある。


 最も信頼できるのは五郎左衛門と牛介だが、2人には尾張にいてもらわないと、余が出陣している間に誰が謀叛を起こすか分からない。

 出陣中に勘十郎に城を奪われたら、余は笑いものになってしまう。


 そうなると、成り上がり者を取立て過ぎだと言われるだろうが、黒鬼に三河を任せるしかないが……黒鬼こそ最も危険なのではないか?


 黒鬼が義理堅いのは分かっているが、三河1国が手に入るなら、義理人情を踏みにじるのが戦国乱世だ。


 女房と子供を溺愛していると聞いてはいるが、女房子供を平気で見殺しにして、僅かな領地を手に入れるのも戦国乱世の武士だ。


「殿、松平竹千代様を御連れいたしました」


「入れ」


 決めた、他に方法がないのなら、黒鬼を信じる。

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