寺田屋怪談 【酒蔵のまめ狐】

押見五六三

プロローグ

京都市の南に位置する城下町、ここ【伏見】という名の元々の由来は【伏し水】であり、つまり地下水がある地を意味します。

京都は盆地の為、地下に綺麗で豊富な地下水が溜まっており、これが上質な日本酒造りに適していた為、古くからここで酒造りが行われてまいりました。

やがて伏見城建設に伴い、大阪湾へと繋がる宇治川が隣接したその地形を利用した内陸港が造られ、船での流通が盛んに成ってまいります。

船宿・寺田屋はこの頃に誕生いたしました。


江戸時代に成ると伏見で造られたお酒は江戸でも評判と成り、川沿いには酒蔵さかぐらが建ち並ぶほど、城下町は賑わう事に。

ですが、激動の幕末期を迎えると事情も一変してまいります。

寺田屋騒動で有名なお登勢さんが六代目店主に嫁いだのはそんな時代でした。

お登勢さんは、ご主人が亡くなられた後も子供三人を育てながら宿を切り盛りします。

しかもこのお登勢さんは大層頑張り屋の上に世話好きで、身寄りの無い子も数人引き取って育てていました。


世話好きはそればかりじゃ有りません。

当時、討幕を考えていた勤王の志士のお世話もしていたのです。

土佐藩脱藩者の勤王の志士、坂本竜馬先生もその御一人でした。

竜馬先生はお登勢さんを母のように慕い、その子供達も家族のように接しておりました。

雨の日には子供達を二階に集めて怪談話をしてくれたと、お登勢さんの子の一人、殿井力さんが後に語っております。


大政奉還の功労者、坂本竜馬先生はいったいこの酒処伏見の地で、どんな怪談を子供達にしてたのでしょう?

もしかしたら、こんな不思議な体験をして怪談話にしてたのかも知れません……。

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