36 サボり

 昼休みに入って早々、一生と天梨は机に突っ伏しながら、割れそうな頭を抱えていた。直近にアップされたインスタの写真を見てしまったからだ。


 プリントシール機で撮られたであろう、男女ふたりの写真。白雪が恋人と信じている男の頬に顔を寄せていた。その口元はハートマークのスタンプが押されているが、頬に口づけをしているのは明らかである。


 機内でふたりきりとはいえ、白雪がこんなバカップルのような写真を撮るのは、好まない性格だったはずなのに。どんな言葉巧みな口車に乗せて、白雪がそうするように仕向けたのか。一生は女を惑わす兄の手管が恐ろしくなってきた。


「ど、どうしたんですか、ふたりとも?」


 隣のクラスからやってきた華香が、瀕死のふたりを前にして口を押さえた。


「あー、お兄ちゃんのインスタ、見てたんだね」


 卓上に投げ出されている天梨のスマホを見て、ノエルは伏しているふたりを見やった。事情がわかっているだけに、一生には同情した。


 そんな様子のノエルに、凛子が手招きをして、内緒話するように顔を寄せた。


「瀬川さんも知ってるってことでいいんだよね?」


「うん。小林さんはいつ気付いたの?」


「二時間目の休み時間にね。卓も知ってるわ」


「わかった理由は……大体わかった」


 瀕死の兄をノエルは見やった。


 息も絶え絶えなふたりを介助しながら、凛子たちは近くの席をくっつけた。こうしてひとつとなった席を、一生、天梨、華香、ノエル、凛子、二股の六人で囲った。


 ここにいる全員と仲がいい一生だが、この光景は新鮮だった。


 天梨と凛子、そして二股。中学校からずっと、この三人とクラスは一緒だったが、ノエルと華香とは一度も同じクラスになったことはない。主にノエルとは家で、華香とは図書室のような場所で交流を図ってきた。


 特に華香の学校内での立ち位置は、ずっと気にかかってはいた。天梨とノエルという友人に恵まれ、楽しそうにしている姿はそれだけで嬉しかった。この光景を見られただけでも、入れ替わりで訪れたかいがあった。


 もしかしたらこの光景こそが、一成が見せたかったものなのかもしれない。


 一生が学園を去った後に残された、ちょっとした心残り。一成はそれすらも短い学園生活で見抜いて、涼しい顔で解決した。それで自分がどんな目を向けられようと、まるで気にしていない。


「ああ、その話なら――」


「人の話に入ってくるな、バーカバーカ」


「おまえは子供か」


 こうして天梨から煙たそうにされようとも、気兼ねなどしていないのだろう。


 三ヶ月もかからず、この景色を生み出した兄は凄いなと、一生は改めて感服した。その背中に追いつくことはできなくても、その憧れた場所にたどり着けるのなら、自分はそれだけで十分すぎる希望だった。


 天梨が話の輪に入れてくれないから、ほとんど話を聞いているだけになったが、それでも一生は楽しかった。


 食後も解散する空気はなく、むしろ話は弾んでいく中で、


「そうだ華香」


 天梨は机にかけていた紙袋を卓上に乗せた。


「この漫画、すっごい面白かったわ」


「ですよねですよね。天梨なら絶対、楽しんでくれると思いました」


「どんな漫画なの?」


 はしゃいでいる天梨と華香に、ノエルが興味深そうに問いかけた。


 華香が紙袋からその漫画を出す。


 表紙は、あどけない顔立ちの美少女が、ウェーブの髪を指先にくるっと巻き付けている。背景はシンプルに、白とピンク色の枠であった。左端に『medium』とデカデカと書かれており、ノエルはそれがタイトルだと悟った。


「少女漫画?」


「そう思って読み始めたら、全然違うからビックリしたわ。でも華香のお勧めなんだし、ミステリに決まってるわよね」


「そんなに面白かったの?」


「どう面白かったのかここじゃ語れないのが、歯がゆいくらいよ。絶対ノエルもこれを見たほうがいいわ」


「そこまで言うなら興味はあるけど」


「是非読んでください!」


 ノエルは横目で見やると、華香は表紙を見せつけるように本を掲げた。


 そんな華香の姿がおかしくて、一生はつい微笑を零した。大好きな本の話をするときの輝くようなその瞳は、今も健在らしい。よく華香にそうやって、本を勧められたものだと懐かしさすら覚えた。


「御縁がそこまで勧めるくらいなら、俺も読んでみるかな」


 だからつい、一生は華香にそう言った。


「人の話に入ってくるな、バーカバーカ」


「はいはい、子供子供」


 一成だと思って噛みついてくる天梨をあしらった一生。


「え、っと……」


 すると華香はポカンとしたように狼狽えていた。


 自分が口を挟んだことで、華香はこうなったのは明らかだ。一生は変なことを言ってないよなと直近の言葉を振り返りながら、華香に尋ねた。


「どうしたんだ御縁?」


「その……読んでみるもなにも、一成さん、このシリーズ全部読んでるじゃないですか」


「え?」


 一生は面食らうも、その漫画は原作が小説なのだと思い至った。


「あー、原作はな。漫画はまだ見てないからさ」


「え? この前、お貸ししたばかりじゃないですか」


「そ、それは……」


 窮した答えを求めるように、一生は視線を彷徨わせる。


 ノエルも凛子も二股も、ここにいるのが一生だと知っている。フォローを求めようと見やっても、三人とも『やってしまったな』みたいな顔をしていた。


「あんた……借りるだけ借りて、読んでなかったの? 華香の好意を無下にして最低ね」


 天梨だけは呑気に、一成を得意げに罵っている。


 一方華香は、そんなことはないとわかっている。返してもらった直後に、ちゃんと感想だって聞いたのだから。


 ならこの一成の態度はどういうことか。


 呆然としていた華香は、その答えにたどり着いてハッとした。


「もしかして……い――」


「ちょっと来い御縁」


 見抜かれたことに気付いた一生は、慌てて華香の腕を取ると、慌てて教室から連れ出した。後ろからかけられた天梨からの文句など、耳に届いていなかった。


 階段を一階まで下り、廊下端に寄ると、一生はようやく華香の腕を離した。


「いやー、参った参った。まさか兄さんが、読破済みの本だったなんて」


 苦笑しながら一生は頬を掻いた。


 ずっと一成だと信じていたその姿が、途端に想い人に変身した。三ヶ月ぶりの一生に、華香は肩を震わせた。


「本当に……イッセーくん?」


「久しぶり、華香」


 優しげな微笑を零すその姿に、華香は心からの喜びを口元に湛えた。


「はい、お久しぶりです、イッセーくん」


 久しぶりの再会を果たした瞬間、予鈴が鳴った。まるで折角の再会に水を指すような、意地悪みたいに響いている。


 バレたらバレたなりの楽しみがあった一生としても、このタイミングの予鈴は残念だった。


「あの……!」


 教室に戻ろうと振り返った一生の制服の裾を、華香は摘んだ。


「このまま、お話していきませんか?」


 華香は蚊の鳴くような声で言った。


 端から見たら、些細な頼みを願っているだけに見えるだろう。でも華香にとっては、自分では信じられない大胆な、思い切った行動だった。


 なにせこのままというのは、授業をサボって、というニュアンスを含んでいる。一生にもそれが伝わったからこそ、面食らったような顔をしてる。


「僕はいいけど……サボって大丈夫かな?」


「か、一成さんならきっと、許してくれます!」


「いや、華香が、って話だよ」


「一時間くらい構いません」


 華香からはそんな不真面目な言葉が出たことに、一生は思わず笑ってしまった。


 三ヶ月とはいえ、積もる話はいくらでもある。むしろ華香だからこそ喜びそうな、とっておきの話が。


「だったら次の授業、サボっちゃおっか」


「はい」

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