24 実は俺が――
言葉通り、一成は次の日にやってきた。それも昼前には、最寄り駅で合流した。
一成は電話の後、すぐに夜行バスに乗って、都心の空港へと向かった。そこから朝一の便でやってきたのだ。
会うのが両親の離婚以来になる兄は、欠伸をしながらそう語った。わざわざそこまでして急がなくてもと呆れてしまった一生だが、自分のために駆けつけてくれたのだ。自分にはない行動力を見せつけられて、感服すらしていた。
飛行機の距離からはるばるやってきた一成。父親は久しぶりに会うもうひとりの息子に、目端に涙を溜めるほどに喜んだ。ノエルと母親との挨拶はほどほどに、その日は男三人ばかりが話し込んでいた。
なにせ長い間、離れ離れになっていた家族。積もる話はいくらでもあった。一成はしばらくどころか、いくらでもいられるというので、無期限の滞在が決まった。
一成が来た理由は、やはり白雪の件である。背中を押した結果、愛するものと結ばれただけではなく、夢にも思わなかったチャンスが舞い込んできた。新たな門出を直接祝ってやろうと思った、と偉そうに一成は語った。
滞在期間中、学校と仕事で三人が家を空けている間に、一成は母親と打ち解けていた。母親は料理好きだから、三食を毎日のように作っている一成とは話が弾んだのだ。週明けの月曜日は、共に作った夕飯で三人を迎えたくらいである。
そんな調子で一成が滞在した五日目の夕方。
「ノエルー、一成くんをスーパーに案内してあげてー」
母親の頼みにノエルは二つ返事で了承した。
一成のことは短い期間で、好意的な印象を抱いていた。一成とふたりきりになるのはそのときが初めてだが、気まずさなんてものはなかった。兄と父のもうひとりの家族ということで、話には困らなかった。
そんな行きがけで、ノエルはよく知る人物とバッタリ会った。
「あ、卓くん」
「おー、ふたりとも。兄妹仲良く買い物か?」
二股卓だった。ノエルは一度も同じクラスになったことはないが、一生の親友ということもあり、家に訪れる機会も多い。ノエル自身は二股と遊びに行くほどの仲ではないが、名前で呼び合うくらいの気安さはあった。
その親友が、一成のことを一生だと勘違いしている。改めてそっくりな双子だなと、おかしく思いながらノエルは訂正しようとした。
「やあ、卓。今兄さんが来てるからさ、今晩は豪勢にやろうってことで、その買い出しなんだ」
だが一成は誤解を解くどころか、一生のふりを始めた。その落ち着いた柔らかな物腰は、まさに一生そのものだった。
噴き出しそうになるのを、ノエルは堪えた。
「あー、そういや来てるんだったな、イッセー兄の奴」
納得した二股は、長く立ち話をする気はないのか、そのまま立ち去ろうとした。
「そうだ卓。兄さんから旅行先で会った話、聞いたよ」
「……え?」
二股は不穏な言葉をかけられたように、足を止めた。
そのまま顔を引きつらせ、二股はおずおずと尋ねる。
「そ、それは……どこまで聞いたんだ?」
「随分と楽しい旅行をしてたんだね」
「あ、あぁ……」
冷たい一成の声音に、二股は血の気が引いていく。ただ、親友に見損なったと告げられただけではない。そのまま弱みを握られたものの顔色となった。
言い訳を必死で考えている二股に、堪えきれずに一成は噴き出した。
「嘘だよ、嘘。イツキにはなにも話してないから安心しろ」
「は……? あ、おまえ兄のほうかよ!」
「久しぶりだな、二股」
「ったく、ビビらせやがってこの野郎!」
「いって!」
二股はハンマーを振り下ろすように、一成の肩を拳で叩いた。
痛がりはしているものの、一成はそれでもおかしそうに笑い続けている。騙された二股もそれ以上怒りを引きずることはなく、一成の背中を軽く叩いた。
「元気そうでなによりだ」
「お互いな。――で、どうだ。俺の模倣っぷりは?」
「イッセーじゃないかもしれない、って先入観がなければ、まずわからんな。一度イッセーの代わりに学校に来てみろよ。先生方すら騙し通せるぞ」
「やってみたくはあるが、あいつの優等生としての顔を潰すわけにはいかんからな」
「残念だな。天梨たちがどんな反応するか、見てみたかったのに」
気心の知れた仲のようなふたりに、ノエルは首を傾げた。
「ふたりって、前に会ったことあるの?」
「旅行先にバッタリ会ってな。なんでこんなところにイッセーが、と思ったら、兄だったからビックリした」
「あー。たしかにそれはびっくりするね」
「だろ?」
「で、どんな楽しい旅行したの? 血の気まで引いてたけど」
「あー……いや、それは」
目に魚を飼っているかのような泳ぎっぷり。必死に言い訳を探している二股に、一成がフォローに入った。
「おいおいノエル。十八禁コーナーから、どんなマニアックなDVDを持って出てきたかなんて、聞いてやるな」
「うわー……卓くん、彼女いるのにそんなの見るんだ」
「いやいや。それとこれとは、話は別だろ」
引き気味のノエルに対して、二股は恥ずべきことなどないと胸を張る。一成は相変わらず男らしい奴だなと感心した。
「じゃ、またなイッセー。イッセーによろしく」
「おう、またな」
二股は手を上げて、今度こそあっさりと立ち去った。これ以上ノエルに話が掘られないように退散したのだ。
そんな二股をくつくつと見送った一成と、特売でおひとり様一個までの卵をふたつ手に入れた帰り道。
「ちょっと寄り道してかないか?」
公園に親指を向けて、一成がそんな提案をした。
そこは小さい広場に遊具が設置されている公園ではない。広々とした敷地内に緑が溢れている、散歩コースとして近隣住民から親しまれている場所だ。
断る理由もなかったので、ノエルは了承した。ただ寄り道したいのではなく、ふたりきりで話したいことでもあるのだと勘づいた。
公園の中ほどで、なんか飲もうぜ、と自動販売機でホットココアを奢ってくれた一成は、自然な流れでベンチに座った。自分だけ立っているのも居心地が悪いので、ノエルは隣に腰掛けた。
ホットココアを一口飲んで、じんわりと身体の内側に熱が広がったときだった。
「ノエル。おまえ、イツキのこと好きなんだろ?」
「……そりゃ、家族だもの」
唐突にそんな話を振られたノエルは、動揺を表に出さず答えた。
不意をついたつもりだったからこそ、ノエルの冷静な態度に一成は感心した。それからすぐに、一成は真面目くさった顔をする。
「お互い、腹を割って話そうぜ」
「割る腹なんて、ないんだけど」
「わかったわかった。まずはこっちの腹の中を見せるのが先だな」
押し問答になるのを避けるように、一成はあっさりした様子で言った。
「そもそもなんで俺が、こっちに顔を出したと思う?」
「お兄ちゃんの新たな門出を、直接祝うためじゃないの?」
「結婚式に駆けつけるわけじゃないんだ。このくらいの門出で、急いで飛行機に乗り込むほどじゃない。男兄弟なんだから、祝いの言葉なんて電話一本で十分だろ」
「じゃあ、なんであんな急くようにやってきたの?」
「俺に来てもらおう、って言い出したのはノエルじゃないのか」
「え……?」
ずっと冷静に対応していたノエルが、ぽかんとした顔を一成に向けた。
なんでそれを知っているのか、という疑問は湧かなかった。あの日の電話で、こんな話があったんだと軽い気持ちで一生が話したのは想像ついたからだ。
「心残りなく、イツキを送り出してやりたい。だから俺の名前が咄嗟に出たんじゃないのか?」
「それは……その通りだけど」
「その考えに共感したから、わざわざ遠路はるばるやってきたんだ」
「やってきたって……もしかして、お兄ちゃんの代わりに?」
「俺がいたら、単身赴任という名の新婚旅行に父さんたちを送り出せる。そしたらイツキも心残りなく旅立てる。そうしてやりたいんだろ?」
「……だって、折角好きな人のもとに行けるんだよ。でもそれがお父さんたちの楽しむを奪う形になるのなら、お兄ちゃん凄い気にすると思うから」
「だな。これから凄い奴らが集まる学校に行くんだ。前へ進むのに必死な環境で、後ろ髪なんて引かれてる場合じゃない。だからその後顧の憂いを絶ってやらんとな」
「絶ってやらんとなって……引っ越しだよ? 環境が変わるんだよ? しょうがないからって軽いノリで、決断することじゃないでしょ」
最初に言い出したのはたしかにノエルだ。でもそれは、本当に軽い気持ちだった。よくよく考えれば、一成は母親に引き取られているのだ。円満な離婚ではなかったと聞くし、こっちに来るというのなら両者交えた話し合いになるだろう。
通信高校についてもそうだ。普通の高校とどう違うか、ノエルはわかっていない。でもこの時期に飛行機の距離を引っ越すとなると、やはり転校という言葉が浮かんでくる。軽い気持ちでなんとかなるで、済ませていい問題ではないのはわかっていた。
それにノエルの母親は一成と出会って、まだ一週間も経っていないのだ。前にたしなめられた親心の問題もある。
なにより一成にはずっと楽しくやってきた親友がいる。いくら心残りなく弟を送り出したいとはいえ、自分はその相手と離れ離れになるのだ。
ノエルが少し考えただけでも、これだけの問題が山積みだった。いくら弟のためだからとはいえ、単身赴任の問題はそこまで大きな憂いではない。一生の心残りに対して、一成が支払う問題はつり合っていない。行動が大げさすぎる。
「わたしが最初に言い出したとはいえ、やっぱり一成くんが来るなんて大げさだよ」
「でもそれで、イツキが新しい環境で憂いなくやってけるなら、やる価値はあるさ」
「なんでお兄ちゃんのために、そこまでするのさ」
「知ってるか? 戸籍上はな、実は俺が弟なんだ」
「え」
「そしてイツキのほうが、兄ってことになっている」
「待って……待って待って」
ノエルは狼狽えながら頭に手を置いた。
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