4-2

 ◇ ◇



 よく晴れた日曜日。

 和都の家を集合場所にして集まると、三人はそのまま裏山を越えた先にある、桜崎川に向かった。

 桜崎川は市内を流れる大きな川で、祐介たちの住む杜山地域の辺りで中流から下流へと変わり、そのまま太平洋まで繋がっている。川幅が大きく、川沿いにはサイクリングやジョギングなどの出来る通路が整備され、そこから河川敷まで降りられるようになっており、暑い時期は川遊びスポットとして人気になっていた。

 川沿いの通路まで辿り着くと、帽子にパーカーを羽織った和都が斜めがけのショルダーバッグから、折り畳んだ紙を取り出す。広げてみると、今いる場所から目的地である高速道路の辺りまでを大きく印刷した地図だった。

「今いるのは、この辺?」

「いや、もう少し上のほう」

「あ、ここか」

 祐介に指摘され、和都は地図上の現在地に赤ペンで丸をつける。

 それを見ていた翔馬が呆れたような声を上げた。

「まったく、地図なんてスマホで見りゃいいのに」

「見つけたものを書き込むためだよ。スマホじゃやりにくいだろ?」

 バインダーに挟んだ地図を見せながら和都が言う。

 以前、スマホを持ってるなら電子書籍で読めば良いのにと言ったら、紙の本のほうが好きだと言われたことを、翔馬はなんとなく思い出した。元来そういうデジタルより、アナログなもののほうが好きなのかもしれない。

「はー、なるほどねぇ」

「じゃあ行こうか」

 和都は自宅から出発した時と同じように、祐介の自転車の荷台に改めて座る。そのまま走り出し、二台の自転車は川沿いを下流のほうへと向かった。

 連休前の、吹く風がまだ涼しい綺麗に晴れた行楽日和。

 ジョギングや犬の散歩をする人たちとすれ違いながら、川沿いをひた走る。祐介がのんびりと漕ぐ自転車の荷台で、和都は時々見えたものや見つけたものを地図に記していた。

 川に架かる人道橋の下を抜け、二本目の大きい橋の下まできたところで、軽く休憩を取る。川に来る前にコンビニで買っておいたおにぎりやゼリーで空腹を満たし、ミネラルウォーターで水分を補給した。ちょうど自販機があったので、消費した水分は追加で買ってバッグにしまう。

 和都がバインダーに挟んだ地図を見返していたので、祐介も一緒になって覗いた。

 基本前を向いて走っているせいか、見過ごした小さい看板や土手に咲いていた花の種類などが赤ペンで細かく書き込まれている。

「高速道路のとこまで、あとどんくらい?」

「んー、もうちょいで半分、て感じかなぁ」

 日野の問いかけに、地図をめくりながら、和都が言う。

「マジか」

「結構、距離があるな」

「やっぱり、紙の上だけじゃ分かんないことってあるよね」

 和都がそう言って、走ってきた道を振り返りながら言う。

 川面は静かに波打ちながら流れていて、まだ日の高い、よく晴れた空を反射した深い青色をたたえていた。

 出発地点付近にはちらほらあった河川敷は、下流になってくるこの辺りになると見当たらなくなり、川の流れは穏やかなものの、だいぶ深くなってきている。

 ──本当は、色んなところに行ってみたいんだろうな。

 楽しそうに川を眺める和都を見ながら、祐介は彼の母親に言われたことを思い出していた。

『出掛ける時は、近くにお寺や神社がない場所にしてほしいの』

 理由を聞くと、そういう場所は和都には良くない場所だからという、何とも曖昧でオカルティックな返答で、困惑したのを覚えている。もしかしたら、信仰している宗教などの問題かもしれない。

 多神教主義が大半を占め、仏教と神道が仲良く手を広げているようなこの国で、お寺や神社を避けて過ごすというのは難しい。自分たちの住んでいる街にも、至るところに点在している施設だ。

 ──だから、外に出るなって閉じ込めてるんだろうか。

 その母親の妙なこだわりのせいで、和都は校外学習なども「当日ひどい高熱を出す予定だ」と言って参加はしていない。過去に一度だけ、通り道にお寺があるだけだし大丈夫だろうと参加させたのだが、和都の母親はなぜか気付いて学校に抗議の電話を入れてきた。それ以降、和都のそういった行事への不参加は暗黙の了解になっている。

 祐介は行動範囲内にあるお寺や神社の位置ならだいたい把握していたので、和都を外へ連れ出す時もそれとなく避けるようにはしていた。その辺りを加味して、和都の母親は自分たちと外へ出掛けるのを、許可してくれるようになったのではないだろうか。

「そういや、今日は何時までなら大丈夫なんだ?」

 思い出したように翔馬が尋ねる。和都の家に迎えに行った時、彼の両親はすでにおらず、挨拶もできなかった。

「あー、今日も仕事で遅くなるって言ってたから、わりと平気」

「忙しい両親だな」

「何の仕事してんの?」

「二人とも同じ会社で、なんか色んな商品の買い付けに行ったり、とか? 土日もあちこちで展示会とかそういうのあるから、出張で数日いないとかも最近は多いね」

 和都の話に、祐介は納得する。そういった仕事なら、土日に両親がいないこともあり得るだろう。

 祐介が内心頷く傍ら、和都の言葉に驚いたのは翔馬だった。

「えっ、飯は? どうしてんだよ」

「お金はもらってるからコンビニとかスーパーで買えるし、簡単なものなら自分で作るし」

 そう言って和都がスマホを見せる。彼のスマホには両親からそれなりの額の電子マネーを入れてもらってるらしく、食に関しては困ってはいないようだ。

「いやでも、洗濯とかさ……」

「今時、全自動の洗濯機があるんだから、別に困んないよ」

「朝起きる時は困るだろ!」

「親に起こされたことなんかないけど」

 和都が淡々と答える度に、翔馬の顔の驚愕度合いが変わっていく。

 突然起きる発作さえなければ、彼は意外と一人で自立出来そうなタイプではあるんだな、と祐介は思った。

「うっそだろー?! あ、祐介は? 朝は起こして貰うよな?」

「……いや?」

「くっそー!!」

 突然水を向けられたが、朝は普通に自分で起きているのでそう答えると、時々遅刻ギリギリでやってくる翔馬が悔しそうに叫ぶ。

「そろそろ行こう」

 まだ日は高いが、帰りを考えるとあまりのんびりもしていられない。

 二台の自転車は再び川沿いの通路を走り出す。

 あまり人とすれ違わなくなったな、と感じ始めた頃、三本目の橋が見えてきた。

「ん? なんだあれ」

 上は少し大きめの道路となっている橋の下。それなりに幅の広く大きな橋桁の脇を抜けるように続く通路上に、高校生と思われる集団がたむろしていた。

 街中ではあまり見かけない、見るからに柄の悪そうな少年たちは、まるで通路を塞ぐように座り込んでいる。どうやら彼らがここで往来を邪魔しているせいで、誰ともすれ違わなかったようだ。

「すみません、通してもらえますか」

 そうした集団に対し、一ミリも恐怖心を持つことのない祐介は、自転車のまま集団のすぐ近くまで進むと、年上と思われる相手に丁寧に話しかける。

「お? なんだなんだ?」

「中学生かぁ?」

「はい」

 自分たちに全く怯まない様子の祐介に興味を持ったのか、高校生たちは祐介の自転車を取り囲んだ。

「この先に何の用事?」

「どこまでいくのー?」

「川沿いの調査をしています。高速道路の橋のところまで行くつもりです」

 淡々と答える祐介の自転車の荷台に座る和都は、ジロジロとこちらを舐めるように見てくる高校生たちに肩を竦め、祐介の背中のシャツを掴む。

「その、かわいこちゃんだけ置いていくなら、通ってもいーよ」

 祐介の目の前にいた人物がそう言うと、すぐ脇で和都をジロジロと見ていた輩がバインダーを持つ細い腕を引っ張った。

「……やっ!」

 和都が短い悲鳴をあげたが、すぐに祐介がその腕に手刀を振り下ろして叩き落とす。

「やめてもらえますか?」

「いってーなクソガキ!」

 周囲でただ静観しているだけだった他の連中も、仲間に手を出されたとあっては黙っていないのだろう、それぞれ凄まじい形相で威嚇するように祐介に近寄ってきた。

 数は八名ほど。身長は皆、祐介と同じか、それより大きい人物ばかりだ。

 祐介は跨っていたサドルから降り、自転車のハンドルを持って支えたまま言う。

「翔馬、和都つれて先にいけ」

「わかった!」

「え、ちょ、ユースケ?!」

 翔馬は自分の乗っていた自転車をその辺に放り出すと、祐介が手を離した自転車のハンドルを掴み、和都を荷台に乗せたまま前に走り出した。

 すぐにそれを追いかけようとした輩を、祐介が足を払って盛大に転ばせる。それを皮切りに、複数名が一気に祐介に向かっていくところまで見えて、遠ざかってしまった。



 翔馬は走りながら自転車に跨ると、思い切りペダルを踏み込んで、全速力で漕ぎ始める。

「ショーマ、まって! ユースケが!」

「へーき、へーき! いくぞ!」

 先ほどまでのサイクリングとは打って変わった予想以上の加速に、和都は自転車のサドルに掴まった。

 後ろを振り返ると、祐介を一人残してきた橋がぐんぐん小さくなっていく。

 周囲を見る余裕もなく、あっという間に次の目印となる人道橋が見えてきた。が、そこで翔馬の全速力も尽きたようで。

「こ、ここまで、来れば、平気だろ……」

 ゼェゼェと息を切らしながら橋の下までたどり着くと、二人は自転車を降りる。

 翔馬が綺麗に刈られた通路脇の草むらの上で、大の字になって横たわったので、和都はバッグからミネラルウォーターのペットボトルを取り出して渡した。

「ユースケ、大丈夫かな……」

 先ほどまでいた橋の下は、ずいぶん遠くなってしまってよく見えない。

「アイツなら大丈夫だって。なんせ『怪物かいぶつ』だからな」

 貰ったミネラルウォーターを一気に飲み干し、ようやくひと息ついた翔馬は、心配そうにきた道を見つめる和都にそう言った。

「『怪物かいぶつ』?」

「小学生ん時に一緒に柔道やっててさ。めちゃめちゃ強かったんだよね」

「いやでも、ケンカと柔道は違うだろ」

「……アイツ、歳の離れたねーちゃんいてさ」

「は?」

 ムッとして言い返したが、それに返された言葉の意味が分からなくて、和都は眉をひそめる。

「ねーちゃん、めちゃんこ美人でさぁ。知らん男によく絡まれたりしてて、それをアイツが追い払ってたんだ」

「へぇー」

「自分よりデカい相手でも立ち向かってって、その辺の道端で柔道技かけたりしてさ。どんな奴でも投げ飛ばすから、ついたアダナが『怪物かいぶつ』。まー、クラブの先生にはよく怒られてたけどな」

「それは、ダメだろ……」

 いくら柔道は専門外の和都でも、アスファルトの上で背負い投げをしたら相手が大怪我をすることくらいは想像できた。

「そっから色々あって、ねーちゃんは高校を卒業したらすぐ就職して、出ていっちゃってなぁ。アイツがお前に構うの、案外ねーちゃん居なくなった代わりだったりしてな」

「飼い主なくした番犬か……」

 笑いながら言う翔馬の言葉に、和都はうなだれる。

 あの彼が妙な正義感を掲げて自分を助けたがる理由が、少し見えた気がした。

 しばらく二人で待っていると、春日が翔馬の自転車を走らせ追いついたので、和都は少しホッとする。

「お、思ったより早かったな」

「まぁな」

「あっ、ユースケ、血……」

 普段と変わらない様子で話す祐介の頬に、小さな血の跡を見つけて、和都は顔を心配そうに歪めた。だが、言われた本人はケロッとしており。

「ああ、返り血だろ。俺はケガしてない」

 そう言いながら言われた箇所を自分の手で拭って見せた。確かに傷のようなものは見当たらない。

「……えぇ」

「一応、救急車は呼んでおいたし、まぁ死にはしないだろ」

 遠くのほうで、小さく救急車のサイレンが聞こえてくる。祐介の呼んだ救急車だろうか。

「な? 言ったろ?」

 日野が明るく笑うので、和都は分かりやすくドン引きした。

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