2-3

 ◇ ◇



 夏休みも終盤に差し掛かった頃だった。

「相模がいない?」

 春日が塾から戻り、家に入ろうとしたところに、血相を変えた日野が自転車で駆け込んできた。

「そう! 買い物にいくって出てってから帰ってきてないって、親御さんが探してて……」

 ゼエゼエと汗だくになりながら息をつき、散々探し回っていたらしい日野が言う。

「んで、春日なら知らねーかと思ってさ」

「今日は塾だったから、知らないぞ」

「げー、まじかぁ。どこ行ったんだアイツ」

「俺も探す」

 春日は家に荷物を置くと、自分も自転車を出して駆け出した。

 まだ日の長い時期ではあるが、もう少ししたら暗くなってくる時間だ。これ以上遅くなってくると、見つけ出すことも難しくなってしまう。

 買い物に行くと言っていなくなったのなら、家から出て一番近いコンビニかスーパーに向かったのだろう。日野の様子を見るにその周辺はすでに捜索したと考えられる。

 ──それなら、もう少し範囲を広げて考えないと。

 この辺りは山間を削って線路を通しており、駅周りを少し離れると山や崖が多く、道路も入り組んでいて少し複雑だ。もう少し先の、山の向こう側までいけば川も流れている。

 四月半ばに越してきたとはいえ、あの家に引きこもりがちであるなら、この辺りの地理にはまだ疎いだろう。相模の自宅周辺から少し道を間違えたのであれば、学校の裏手にある山の方へ行ってしまった可能性も考えられる。

 ──裏山を見ていくしかないか。

 端の方からしらみつぶしに見て行こうと、春日は自転車を裏山を越えるように続く線路沿いの通路へ向けて走らせた。確か途中の横道から裏山の中を通る道に繋がっていたはずだ。

 その横道を目指し、坂道を立ち漕ぎで一気に駆け上がる。

 坂を上がりきった後、なだらかになる道の途中。

 普段は人気のない、山を切り崩して通した線路の見える崖の上で、通路に沿って張られた金網を掴み、走っていく電車をぼんやりと眺めている人物がいる。

 オーバーサイズのTシャツにハーフパンツ。足元はサンダルで、手にスマホを持っただけの、相模だった。

「いた!」

 思わず声を上げ、自転車ですぐ近くまで駆けていくと、大きな瞳をさらに大きくした顔が、驚いたようにこっちを見た。

「……春日?」

「見つけた! 何してんだ」

「べつに。そっちこそ」

 ぶっきらぼうな声音と共に視線がそれ、春日が来た方向とは反対の方へ歩き出す。

 春日は自転車から降りると、相模の後を自転車を押しながら追いかけた。

「いなくなったって聞いて、探してた。帰るぞ」

「どこへ?」

「家に決まってるだろ」

「あそこはおれの家じゃない」

「……は?」

 相模の呟くような声を、崖下の線路をガタガタ駆け抜ける電車の音がかき消す。

 背中を向けている相模が、どんな顔をしているのかは分からない。

 だが、歩く足は止まらないので、帰る気はないようだ。

「家はそっちじゃないだろ」

「ほっといてよ」

「ほっとかない」

 青い空の端に引っかかった太陽が、辺りを薄金色に染めるように照り付けて眩しい。

「助けるって、言っただろ」

「……そう、じゃあ、」

 春日の言葉に、ようやく足を止めた相模がこちらを振り返って、

「おれを殺してよ」

 白に近い西日の中で、焦げ付くような真っ黒い瞳に射抜かれた。

 息を飲む。

 けれど、身体は反射的に動いていて。

「ふざけるな!」

 内側から、何かが爆ぜるような声。

 自転車のハンドルから離した手で、相模の襟首を掴んで金網に押し付けていた。

 反応が予想と違ったのか、珍しく感情を剥き出しにした春日の表情に、相模は目を丸くする。

「……冗談だよ」

 そう言いながら、相模は視線を逸らすように顔を背けると、襟首を掴む春日の手を押し退けた。

 それから金網の向こう側、黒いシルエットのような街並みの先に落ちていく太陽の方へ身体を向けて口を開く。

「探してるって、誰から聞いたの?」

「日野から、お前の親が探してるって聞いた」

「へぇ、そう」

 春日が倒れた自転車を起こしながらそう答えると、相模はどこか呆れたような、気持ち悪いことを聞いた、と言わんばかりに肩を竦めた。

 両親が家に帰らない自分を探していたのが、そんなに不思議なことなのだろうか。

「親と、ケンカでもしたのか」

「……ケンカ。そうだね、ケンカでいいか。そう、ケンカした。だから帰りたくないだけ」

 ちょうどいい言い訳を見つけたと言わんばかりに、相模が『ケンカ』という単語を繰り返した。

 きっと本当の理由は言えないか、言いたくないんだろう。

 怒鳴った時に間近で見た頬には、薄ら涙の流れた跡がついていた。夏休みの始めに遊びに行った時の様子といい、この家族は何かが妙だ。

 ──虐待か、それに近い何かか?

 分からない。けれど、彼が自分の家族に、家に、不満や不安があるのは明らかだ。

「じゃあ、うちに泊まるか?」

「……それはいいよ。これ以上、お前に迷惑かけたくないし」

 春日の提案に、相模は驚いた顔をしたが、すぐに困ったように笑う。

「ちゃんと、帰るよ」

 射すような西日が弱まり、空の端がオレンジ色に燃え始めていた。

 もうすぐ、日が沈む。

「じゃあ行こう、こっちからなら近い」

 自転車の荷台に乗るように言うと、相模は大人しく座る。

 そのまま自転車で崖上から裏山を抜ける道を通り、相模の自宅近くの麓まで下りた。そこでちょうど自分と同じように自転車で駆け回っていた日野と合流できたので、一緒に相模の家の近くにある公園まで送っていく。

 公園で引き合わせた両親は、春日と日野にひたすらに謝っていたが、見つかった相模をそこまで気遣う様子はなく、やはりどこか違和感があった。

「……本当に、心配してたのかなぁ」

 家族三人が自宅へ向かう姿を見送った後、日野がポツリとそうこぼす。

「なんでだ?」

「うん、なんか、ずぅーっとヘラヘラしててさ。本気で心配してる感じがしないっていうか」

 日野はたまたま公園の近くを通りかかったところで、相模を探す両親を見かけ、帰ってこないという話を聞いて、本人から一緒に探すと言い出したらしい。しかも最初は「そこまでしなくていい」と断られたのだが、友達だから探しますとわりと強引に手伝いを申し出たそうだ。

 この辺りは小さいけれど山もあるし、もっと広範囲で人手を呼んで探さないといけないと提案もしたが、大事にしたくないと言われ、本人たちは自宅周辺をただぐるぐると歩き回ることしかしていなかったとか。

 まるで、帰ってこないならそれでいい、とでも言わんばかりで、日野は不満をあらわに憤っていた。

「……そうか」

 見つけた時、相模の手にはスマホが握られていた。たぶん、見つけようと思えば、すぐに見つけられる状況だっただろう。

 けれど、春日が相模と二人でいる間、スマホが鳴ることはなかった。

「相模はなんか言ってたのか?」

「親とケンカした、と言っていた」

「ふーん。なーんか、変な家族だよなぁ」

 辺りは日が落ちて、薄暗くなってきていた。

 日野と別れ、自宅に向かう道中、春日は相模に言われた言葉を思い出す。

『おれを殺してよ』

 照りつける西日の中で見た瞳の色を、以前どこかで見た気がして気になっていた。

 ──ああ、そうか。アイツ、姉さんに似てるんだ。

 綺麗な黒髪と、深い夜を写したような瞳の色が。

 彼女は自ら命を断とうと決意していた前日の夜、珍しく自分の部屋を訪ねてきた。

 学校はどうだとか、クラブで習っている柔道はどうだとか、本当に他愛もない話をした。

 その時に見た姉のそれと、そっくりな色だった。

 ──本気で死にたいって、思ってたんだな。

 だから自分でも驚くくらいに、感情が昂ってしまったのだ。

 金網越しに電車を眺めていたのも、そういう理由だったのだろうか。

 あの瞳から星屑のような光が消えてしまう光景は、もう見たくない。

 見つけられてよかったと、心底思う。



 ◇ ◇ ◇



 夏休みが明けてすぐ、相模を襲った英語教師の代わりに、新しい先生が赴任して来た。その教師が学校へ来なくなった本当の理由は、春日と相模と数名の先生以外は知らないままだ。

 大事にしたくないという学校側の意図に、春日は渋い顔をしたが、相模が承諾したこともあり、結局それでこの話は仕舞いになった。

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