つまんないね、正義くん

@5316

第1話 染谷正義(小学生時代)


 僕の名前は、染谷正義そめやまさよしという。


「正義」


 僕は初めて自分の漢字を書いたとき、それが「せいぎ」と同じ字だということを知った。

 おそらくそれからだろう。

 自分が正義感に目覚めたのは。

 正義とはつまり、正しいことや正しい行いのこと。

 小学生だった僕にとっての正義は、学校で先生が教えてくれたこと。

 それから逸脱したことは、つまり「悪い」ことだ。

 僕は、僕の名前にかけて「悪い」ことが許せなかった。

 二年生のときのことだ。

 とある女子の筆箱がなくなったと、放課後のクラス会で問題になった。

 誰かが盗ったのではないか。

 先生の懐疑的な視線が、僕たちに向けられる。

「みんな、目をつむって。……もし盗った人がいるなら、正直に手をあげなさい」

 しかし、誰も手を挙げない。

 それどころか、どこからか笑いを押さえるような声が聞こえる。

 この状況を楽しんでいるやつがいる。

 そう思った僕は、放課後の掃除の時間にクラスメイト30人の机をひっくり返し、問題の筆箱がないかどうかを探った。

 クラスメイトは唖然と僕を見ていた。

 なかにはわけもわからず泣きだす子もいた。

 今思えば、無理もなかったことだと思う。

 自分の机を無造作にひっくり返されるのは、少なくともいい気分がするものではないだろう。

 しかし、当時の僕にとって、正義感の指針である先生の問いかけを無視し、あまつさえ困っている人間を出汁に嘲笑いをこらえる人間がクラスの中にいるのは、当然無視できるようなことではなかった。


 ――人を困らせてはいけない。当たり前のことだ。


 だからこれは、確認作業に過ぎない。

 責務という言葉を覚えるのはもっと後のことだが、とにかくそれに近しい思いで、僕は無心でクラス中の机をひっくり返した。


 だって僕の名前は、正義だから。


 そうして、見つかった。

 なくなったはずのピンク色の筆箱が、とある男子の机の中から出てきたのだ。

「おれはとってない」

 席の主はそう主張したが、先生が諭すように説教をすると、男子は半べそをかきながら罪の自白をした。

 女子は物を盗られたことがよほどショックだったか、それから少しのあいだ休学していた。これは立派なイジメだとして大きな問題になり、筆箱を盗った男子生徒も短いあいだ停学処分になった。そして僕が起こした事情は、「行き過ぎではあるが、結果的に問題解決につながった」として、先生方からは賞賛されることになった。


 そのとき僕は、「正義の味」を覚えた。


 言い換えるならそれは、生きがい……いや、快感と呼べるものだろう。

 心が適温の湯水で満たされていくような。細胞の一つひとつの存在が肯定されていくような。

 僕のしていることは、正しいことなのだ。

 それから僕は、「悪い」ことに対してどんどん敏感になっていった。


 学校に漫画やゲーム機を持ち込む集団がいた。

 先生に告発して没収してもらった。


 授業中に居眠りをしている人がいた。

 先生に指摘して叩き起こしてもらった。


 僕がトイレで水をかけられることがあった。

 生徒指導に報告したら彼らは停学になった。


 僕が正義を遂行するたびに、僕は誰かから恨みを買い、そしていつしか腫物のように扱われることになった。

 本望だった。

 僕のような正義感のかたまりを嫌煙するようなやつらは、しょせん正義感のかけらもない心の貧相な人間に違いないから。そうして己の正義を遂行することでクラスの輪に馴染めなくても、僕は満たされていた。


 ある日のことだ。

 昼休み。クラスの中心で、懲りずに堂々とゲーム機をさわっている男子生徒がいた。

 彼は有名人だった。

 三重卓みえすぐる。周りからは、みえたくと呼ばれていた。

 みえたくは小学生にしては閑静な顔立ちをしていて、めずらしく寡黙な生徒だった。成績も飛びぬけて優秀ということもあり、密かに女子からの人気も高かった。そんな彼がある日、とつぜんゲーム機を学校に持ち込み始めた。

 ゲーム機にイヤホンを差し込み、周りに目もくれず画面を覗き、もくもくとボタンを操作している。その物珍しい光景に、生徒たちが彼の机を囲み始めた。


「なにをしているんだい」


 僕が問いかけながらその輪に近づくと、十戒のようにきれいに人が掃けていく。

 みえたくは視線もくれず、ただ言葉だけ返した。


「見ればわかるだろう。ゲームをしている」

「どうしてきみが、そんな堂々と校則違反をしているのかって聞いてるんだけど」

「ゲームをする時間がないんだ、家じゃ。習い事や塾もあるし、めんどうも見てやらないといけないし。お世話係の」

「お世話係?」

「お前には関係ないだろ。三重家の事情は」

「そうだったね」


 これ以上の会話は無駄だろう。

 僕は踵を返して教員室に向かおうとする。

 その背中に、また彼の声がかかった。


「育成ゲームなんだ、これは」


 振り向くとしかし、やはり彼は視線をこちらに向けてはいなかった。

 熱意のない視線でもくもくとゲーム機を操る彼は、どことなく感情の少ないロボットを連想させた。


「魔王を倒せるくらいに強くするんだ。勇者を育てて。でも、魔王はいろんな攻撃パターンを持っていて、勇者をいっぺんとうな育て方にしてしまうと、すぐに倒されてしまう。だから、個性的で尖ったパラメーターに育てるより、バランスのいい育て方をした方が色んな攻撃パターンをしのげるし、なによりその配分のむずかしさが、このゲームの面白いところだ」


「なにが言いたいの?」


 彼は一瞬だけゲーム画面から目を離し、僕を見た。

 道端に捨てられた猫を見るような、そんな視線で。


「お前はほんとーにつまらないやつだな。セイギくん」


 言ってろよ。


 例にもれず先生に報告して、みえたくのゲーム機は没収された。

 その後、彼の育て損ねた勇者がどうなったのか、僕は知らない。

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