そのとき、ギャラリーの心は一つになった。

相有 枝緖

学園の卒業パーティは、彼のセリフによって一時停止した。

「カサンドラ・アーベントロート!お前との婚約は破棄する!俺は、ローズマリー・ローゼンクランツを選ぶ!!」

学園の卒業パーティで、第二王子であるハルトヴィヒが叫んだ。そんな彼の腕にぶら下がるように、ローズマリーがしがみついていた。

一方で、糾弾されたカサンドラは、冷静な表情で彼らを見ていた。


ローズマリーは男爵令嬢で、どうやら日本からの転生者らしくヒーローがどうの、ルートがどうのとブツブツ言ってた。

そして、公爵令嬢であるカサンドラも転生者だった。


原作の乙女ゲームでは、ヤンデレぎみな悪役令嬢としてカサンドラが登場していた。その流れを変えるため、ビジネスパートナーのような立ち位置を確立し、距離を取ってハルトヴィヒとうまくつきあってきたつもりだった。


「理由を、お聞かせ願えますか?」

乙女ゲーム通りなら、ヤンデレ悪役令嬢がプッツンした結果いじめるが、当然カサンドラは何もしていない。

カサンドラの質問を聞き、ハルトヴィヒは顔を歪めた。

周りで見守るギャラリーは、とうとうこんな日が来たのかと息を呑んで見守った。



2年制の学園に入学してきた、第二王子とその婚約者は、どうにもビジネスライクというか、上司と部下のような事務的なやりとりしかしていなかった。その様子は学園生全員が見ていたので、王族とはそういった不便があるのか、高位貴族にはそういう義務もあるのか、とある意味でお手本のようになっていた。

そして2人が2年に上がった年、庶子であることが判明して男爵家に引き取られたというローズマリーが入学してきた。貴族としてのマナーやルールを知らず、見目の良いハルトヴィヒに惹かれたらしいローズマリーは、どうしたものなのかハルトヴィヒの近くに侍るようになった。

ハルトヴィヒもまんざらでもないのか、邪険にすることもなくそばに置いていた。

だから、皆が「そう」なのだろうと気づいていた。



「だって、お前は俺を好きじゃないだろう?俺は本気で好きなのに!!!!プレゼントしても笑顔もない、ダンスでも会話が続かない、質問しても一言で終わらせる。俺へのプレゼントは通り一変のよくあるものばかり!それでも嬉しいから全部飾ってあるけどな!俺に対する質問はないし、誘わないと城に来ないし、誘っても2回に1回は断るし、出かけても義務感しか感じられないし!!俺ばっかり、俺ばっかり好きなんだ!」



その言葉に、周りを取り囲んでいたギャラリーは目をむいた。

当然、カサンドラは驚きすぎてポカンとしていたし、ローズマリーも腕を掴んだ相手の顔を真顔で凝視していた。


「嘘っぽい男爵令嬢が来たから嫉妬してくれるかとそばに置いてみれば、なんかお膳立てまでされるし!!おれはお前が好きなのに!苦言すらない!!お前は俺のことなんてどうでもいいんだ!お前のことが好きな俺のことなんてなんとも思ってないんだ!!それなら、最初っから金と身分目当てで嘘の好意とわかってる男爵令嬢のほうがマシだ!」


ローズマリーは、思わずハルトヴィヒの腕を離して一歩下がり、可哀想なものを見る目で王子を眺めた。

言い切ったハルトヴィヒは、うべぇえええん!と子どものように泣きだした。

混乱したカサンドラは、え?という形に口を開いたまま動けない。

ギャラリーも、何も言えず、息を殺して彼らを見守った。


一番最初に再起動したのは、ローズマリーであった。


「ちょっと!王子泣いちゃったじゃん!!あんたは王子が好きなの?好きじゃないの?はっきりさせて!政略的なところは大人がどうとでもするからどうでもいいわよ!!振るならちゃんと振りなさい!けじめがちゃんとないと次にすすめないでしょ!?それとも、好きでもないのにずっと自分に縛り付けておきたい性悪なの?!」

ローズマリーは、なぜか王子のためにキレた。


「え?貴女はそれでいいの?」

混乱しすぎて、淑女の仮面をかぶることもできず、素直に質問するカサンドラ。

ローズマリーは、半ギレのまま答えた。

「別にいいわよ!私はお金があればいいの。ここであんたたちがうまく言ったらすれ違ってた2人を取り持ったってことで報奨をもらうわ!くれるわよね?!2人が別れるなら、王子と結婚するわ!ちゃんと慰めるわよ!どっちにしてもお金は手に入るじゃないの。どう転んでも勝ち組よー!!」

「うべぇぇええええ!」

「勝ち組ぃー!!」

高らかに叫ぶローズマリーの近くでは、しゃがみこんで泣き叫ぶハルトヴィヒ。

もはやこの場をどうにかできる状況ではなくなった。


次に口を開いたのは、意外にもハルトヴィヒであった。


「えぐ、えぐ。俺はお前が好きだ。手をつなぎたい。デートしたい。キスがしたい。ハグもしたい。むにゃむにゃもしたい!なのに、なのに、手すらつないでくれないんだ!エスコートもギリギリ触れない位置で終わるし。なのに、なのに俺はお前が好きなままなんだ!うぐぅ」


(((なんか、可哀想)))


ギャラリーの心は一つになった。


そしてカサンドラは、そのピンクな脳内に若干引いていた。


「わかりました。まずはどこかで2人で話しましょう。……皆様!お騒がせして申し訳ありません。私達は失礼しますので、どうぞ皆様でご歓談ください。この後、アーベントロート公爵家からアイスクリームの振る舞いを出します!」

無理やり冷静さを引きずり出したカサンドラが、会場に向けてそう言った。

アーベントロート公爵領の特産品は、ミルクの加工品である。特に、カサンドラが前世の知識をもとにして作り上げたアイスクリームはここ数年話題をさらい、しかし魔法を駆使する製造法のため生産数が限られ、口にした人数が非常に少ない逸品であった。

そのアイスクリームを、卒業パーティのデザート用に用意していたのだ。

カサンドラが公爵家のメイドに目配せすると、彼女は軽く一礼して会場を出た。

予定ではある程度パーティが進んでから出すはずだったが、すぐに用意してくれるだろう。





そうしてアイスクリームを囮にして、カサンドラはハルトヴィヒを連れて休憩室へ引っ込んだ。

ちなみに、ローズマリーはアイスクリームと聞いて目の色を変え、会場に残った。



向かい合ってソファに座り、涙の落ち着いてきたハルトヴィヒを前にして、カサンドラは口を開いた。

「ごめんなさい。私は、貴方とちゃんと向き合っていなかったわ」

原作の乙女ゲームでは、王子は婚約者にまとわりつかれて辟易していた。好意を見せればきっとそうなるだろう、とカサンドラは常に冷静に一歩引いた対応をしていたのだ。

目の前にいるハルトヴィヒが、どう感じていてどうしてほしいかも知ろうとしないままに。

ただし、ハルトヴィヒもカサンドラに合わせてビジネスライクな態度を取っていたことも、「これでいいだろう」とカサンドラが考える原因ではあったのだが。


「うぐ、ひぐ、酷い、好きなのに。真面目に学ぶところも、優秀なところも、周りが見えてて冷静なところも好きなのに。趣味だって、絵を描くのは同じなのに話を聞けないし聞いてくれないし。なんか、俺のことを見てるようで見てない感じがしたし。カシーに合わせた態度を取ったら見てくれるかと思ったのに、むしろさらに離れるし!!でも、好きなんだ。可愛い顔も、揺れる胸も、細い腰も、たまに見える足首も舐め回したいくらい好きなのにぃ、うべぇぇえええ!」

言い募るハルトヴィヒは、いい感じのセリフを後半で台無しにした。

「舐めっ……!?」

カサンドラはうっかりその様子を想像してしまい、腰からぞわっとした。


「ぐす、ん。ちゃんと、俺を見て。知らないのに拒否しないで」

向かいに座っていたが、ハルトヴィヒはカサンドラの隣に座った。距離が近い。

「そう、そうよね。私、今まで知識に振り回されてた。私が生きてるんだから、貴方も生きてるんだわ。当たり前のことなのに。ごめんなさい」

そう、ゲームの王子はこんな風に泣きわめいたり、残念な思考を垂れ流したりしなかった。

きちんと相手を知ってから判断するべきだったのだ。

「これからはちゃんと見て」

「えぇ」

カサンドラの答えを聞いて、目元と鼻を赤く染めたハルトヴィヒは情けなく眉を下げながらも柔らかく微笑んだ。


そして、ぎゅ、とカサンドラの手を握った。

「これは嫌じゃない?」

「嫌じゃないわ」

感じたまま、カサンドラは素直に答えた。


少しあった隙間を詰めて座り、握った手を離したハルトヴィヒはカサンドラに手を伸ばした。

そしてそっと赤い髪を一房取り、柔らかく口づける。

「これは?」

「いいえ、嫌じゃない」


そのままゆっくりを手をあげて、カサンドラの頬に触れるハルトヴィヒ。

目線で問われて。

「……嫌では、ないわ」


自分でも驚くことに、触れられることに忌避感を抱かなかった。

もしかすると、ちょっと鼻水を垂らしたままのハルトヴィヒに油断してしまっているのかもしれないが、それでも嫌悪感はまったくない。

ハルトヴィヒは、安心したのかハンカチで鼻を拭いてからそっと息を吐いた。


そっと指先が触れていただけだったが、手のひらで頬を包み込むようにされ、くすぐったいような感じがしてカサンドラは思わず目をつぶった。

「カシー。お前を好きだという男の前で、そんな風に目を閉じてはいけないよ?」

「ぇ、っん!」

言われたことを理解した途端、唇を奪われた。


そのまま両腕の中に閉じ込められて、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。

「これは?嫌じゃない?」

「っ、あの、私」

思ったよりも鍛えていることのわかる身体にどぎまぎして、思わずハルトヴィヒのジャケットを握ってしまった。そのしぐさに、ごくりと生唾を飲み込むハルトヴィヒ。


「……嫌だとは、思わ、なっ?!」

いい切る前に、もう一度乱暴に唇が塞がれ、抱きしめられたままソファに押し倒された。

倒れた拍子に離れた唇は、今度はぬるついたものでこじ開けられた。

それすらも、カサンドラは受け入れてしまった。



ハルトヴィヒの手が怪しい動きをしだしたので、カサンドラは流石にその手を止めた。

「あの、もう、わかりましたから!私、私は殿下を嫌ってはいません!」

「本当に?この先も、できる?」

「だ、大丈夫ですっ!」

「まだしてないのに、どうして大丈夫だってわかるの?ちゃんと確かめるべきだよ」

「確かに、まだしたことはありませんけどっ」



嫌ではない、むしろ――。

しかし、今までビジネスライクに接してきた相手に対してそれを口に出すのは恥ずかしすぎる。それはつまり。


―― ずっと?無自覚で?しかも抑え込んでたっぽい?……自分のことなのに鈍すぎる!


耳まで真っ赤にしたカサンドラを目にして、ハルトヴィヒはゆっくりと口角を上げた。

「想像した?」

「ち、ちがっ……んっ!んぅ」

ふっと腕の力が抜け、カサンドラはハルトヴィヒの唇を受け入れた。


好きだと自覚したとたんのキスは、さっきよりもずっと甘くしびれるような気がする。

拒否していたはずのカサンドラの手は、ハルトヴィヒの背中に回されていた。

そうして流され、確かめるという名目であれこれされてしまい、自分の気持ちも吐露した上で結局最後まで受け入れることになった。




その後、ローズマリーはちゃんと「次期公爵夫妻のこじれた関係を正した礼」としてそこそこの報奨を受け取った。

そして、卒業パーティーで見せた心意気を面白がった子爵家の次男を婿に迎え、それなりに優雅な男爵夫人ライフを送ることに成功した。


カサンドラは女公爵となり、伴侶のハルトヴィヒにまとわりつかれたり甘やかされたり甘やかしたりしながら仲良く過ごした。

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