さくら散らす

阿賀沢 周子

第1話

 札幌市中央区の植物園の近くに、北三条通り公園遊歩道と呼ばれる、七丁に渡る歩行者専用道路がある。その十三丁目には小さな池があり、池の真ん中を、赤い欄干の橋が渡っている。

 5月になってから初めての暖かな日差しの日曜日だった。田畑修造は池のそばの四阿で新聞を読んでいた。紙面にはらはらと散りはじめた八重桜が風に乗って届く。

 花びらはアーチを描いた橋の上に降り積もっている。小さな女の子が駆け抜けると花びらが舞いあがる。幼子は歓声を上げて何度もそれを繰り返していた。欄干のわきで母親と思しき女性がにこにことみていた。

 修造の横で、母親のキヌが編み物をしていた。痩せ細った腕をむきだしにして太い編み針で修造のマフラーを編んでいた。キヌが着ているのは薄手のセーターだが、近頃急に痩せてサイズが合わなくなり、袖を下げてもせっせと動かす腕がすぐにめくれ出てしまう。

「修ちゃん、会社は」

「今日は休みだよ。それにしても久し振りにいい天気だな」

 何度も繰り返される質問は、マフラーを一列編み終わるたびに修造に発せられる。修造もそのたびに『来年もこうして二人暮らしでいられるだろうか』とぼんやりと思いながら返事をする。

「腹空かないか」

 3時間前に二人で近くの蕎麦屋で昼食をとったが、キヌは好物のたぬきそばを半分も食べずに、もう食べられないと修造に丼を押してよこした。

「空かないよ。さっき食べたばっかり」

 最近の母は、食べるということをよく忘れる。修造が出勤前に作り置きする昼の分が、夕方帰っても手つかずのままだったり、二人で夕食をとっていても途中で『もうおなか一杯』と箸を置く。かかりつけの医者の話だと認知症が進むと食べることをしなくなることがあるという。食べたくないのか、食べるということを忘れるのか。

 週5回の訪問介護で乗り切っているが、日中家を出て戻れなくなり、近所の知人、交番の世話になることも昨年に比べたら増えた。修造は、仕事と母の介護を天秤にかけて、母の方を取り、明日は退職願を出そうと思っていると、その日は母の様子がしっかりしていて、まだ大丈夫かと先延ばしにするということを何度か繰り返して、今日まで来た。

「修ちゃん、会社にはいかないのかい。こんなにしていていいのかい」

「今日は日曜日だよ」

 ああそうかいとつぶやき、また編み物に戻る。

 身内の者は、施設に入れたらいいと言って来る。近頃は施設の設備も待遇も格段に良いし、知り合いの誰それは入って満足しているという。もう限界だろう、かえって、転んだり車にはねられたり火を出したりしたら大変じゃないか、とまで言って来る。確かに、周りの者に掛けている迷惑は計り知れず、善意に頼っている自分はずるいとも思う。施設については体験済みであり、偏見はない。

 突然吹きはじめた風に、ザーッとそばのニセアカシヤが梢を鳴らした。橋の上の花びらが大きく舞い上がり、驚いた幼子は母親のもとへ走り寄って腕に包まれた。八重桜の樹からも渦を描くように花びらが降り、桜色の空気とともに四阿を通り過ぎた。母はと振り返ると、しっかり目を開けて、風の行方を見詰めていた。

「修ちゃん。きれいだねぇ。咲いてきれい。散り際も、散ってからもきれい。うちのサクラもこんなだった。満開の時は、それはそれはきれいだった」

「そうだったな。あれはすごかった」

 父母が滝野川市に家を建てた時、父が植えたサクラの樹は、修造が社会人になったころ見事な花をみせるようになっていた。

 一人暮らしになった母を引き取り、滝野川の実家と土地を処分して2年が経つ。その後は一度もかの地を訪れてはいない。あの樹は今も残っているのか、どんな枝振りになっているのか、見に行きたいと初めて思う。心の中を見たようにキヌがいう。

「もう一度見たいねぇ」

 風に舞うサクラを見たいのか実家のサクラを見たいのか、訊ねようと眼をやると、キヌは腕をむき出しにして一心に編み物に戻っていた。


「この家で死んだら駄目かい」

 3年前の10月の夜、実家で、80歳のキヌは、ストーブのそばで新聞を読む修造に問いかけた。寝入っていると思っていたので、いきなり話しかけられて驚いてしどろもどろになった。                「お父ちゃんをこの家で見送った。私もここで死にたいよ」

 静かな声だった。風が電線を唸らせるのが聞こえる。槇ストーブの上の鉄瓶から蒸気が勢いよく吹き出ている。修造はキヌの顔が見られず、新聞を畳んで立ち上がり、台所の窓から外を見る振りをした。雲間から漏れる月明りで、遠く離れたカムイ岳まで見渡せた。


 この日キヌを、入院している滝野川の老人病院から外泊させるために、札幌を出発し実家に着いたのは朝8時だった。住み人のいない家屋は冷え切っていた。裏に積んであった木切れを運んで槇ストーブを焚いた。掃除をし、布団をソファに掛けてストーブのそばに並べた。住み人のいない家は昔と同じに見えるが、調度は扱い慣れぬ物のように、ガタピシ音を立てた。

 迎える準備を終え、北電公園のそばにある病院へ着いたのは昼を過ぎてしまった。昼食はいらないと伝えてあったので、玄関先でコートを羽織って、車椅子に座って待っていた。介護員に手伝ってもらって、キヌを車に乗せ、借りた車椅子をトランクに積んだ。

 家に着いて家周りを見せるために、庭へ廻ろうとしたが、キヌは先に仏壇に参りたいと言う。車椅子を玄関先に着けて、背負おうと屈むと「歩けるのに」と笑う。それでも「修ちゃんに負ぶさるの初めてだね」と両腕を回してきた。和室に入り仏壇の前に降ろすと慣れた手つきでろうそくに火を点す。

「お花を供えくれたんだね。ありがとうね」

 迎えに行く前、庭で群をなして咲いていた白や黄色、薄紫の菊を大きな花瓶に入れて仏壇に供え、亡き父に挨拶をした。キヌが膝の手術で初春に入院するまで、丹精していた庭だった。

 手術をした右膝を投げだし、母は長い間拝んでいた。

 遅い昼食には、コンビニのおにぎりを食べた。キヌは「しょっぱいね」と言いながらも2個食べた。途中から喉が渇くのかペットボトルの冷たい茶を何度か口にし「美味しくて熱いお茶が飲みたい」という。台所をあさると鉄瓶とブリキの湯たんぽを見つけた。ストーブに鉄瓶を置き湯が沸くのを待つ。

「茶葉はどこだ」

「そこの開き戸を開けて、封を切っていないのがあるはず」

 古いサイドボードの開き戸を引くと、母の言う通り茶の袋や、急須、見覚えのある湯飲み茶わんがあった。インスタントコーヒーの瓶もある。

「病院はもういいよ。何ぼ入院していても足はこれ以上良くならないよ」

 膝をさすりながら、修司が茶を入れるのを見ている。返事の仕様がなく顔を反らす。

「これでいいか」

 急須の茶葉を見せる。

「もう少し入れて。濃いのが飲みたいよ。病院の食べ物はなんでも薄くて出涸らし見たいなの。味噌汁まで出涸らし」

 そういってくつくつと笑う。修司は淹れた茶をキヌの前に置く。

「この茶碗、覚えているかい。あんたが高校の修学旅行で買って来てくれたものだよ」

 見覚えがあったのは自分が買ったからだったか。

「濃くて美味しい。こんな時間に茶を飲むと眠れなくなったものだけど。一晩や二晩眠れなくてもね。病院にいるんだから」

 そう言いながら、お代わりまでして飲んだ。

 キヌが外の景色を見たいというので、ベランダに向けてソファを置き、母を立ち上がらせる。壁を伝いソファの背もたれをつかみ、足を引きずりながらも自分で移動し始めた。転ぶと困ると修造はそばについていた。ガラス戸越しに薄暮の中、枝が伸び放題で色褪せた花をつけたアジサイや、大きな群生となった色とりどりの菊が風に大きく揺れているのが見える。

 修造はキヌを置いて、近くのコンビニまで夕食と、朝のパンと牛乳を買いに走った。近いといっても往復30分は掛かる。気になって落ち着かなかったが、戻ってみるとキヌは暗い部屋で同じ格好のまま、暗くなった庭を見ていたので返って心配になった。

 茶の道具を片付け、夕食にアルミ鍋入りの鍋焼きうどんを作って二人で食べた後、布団をストーブのそばに敷いて湯たんぽを入れた。キヌはトイレで用を足し洗面をして、布団に入った。自分の家で勝手を知っているからか、くつろげるからか、そばについて居なくても良い位、ゆっくり慎重に伝い歩きをしていた。


 修造は缶ビールを飲みながら、母の横で新聞を読んでいて、そろそろ自分も寝ようかと思っていた矢先の、母の言葉だった。『この家で死んだら駄目かい』

「今夜は冷えるぞ」

 外を向いて言っているが、修造は窓ガラスに映るキヌを観ていた。

「しばらく留守にしていたから、家が冷えているかと心配したけどそうでもないね」

 キヌが、先刻の話を続けないのは修造の困惑を察したからだろうか。忘れてしまったのだろうか。済まないと思いながらも母が満足するような答えを持っていないのははっきりしていた。そばに胡坐をかいて座る。

「ストーブが消えたら寒いかもしれない。足元にもう一枚布団を敷くか」

「大丈夫だよ。寒がりではないから。」

 キヌは先刻と同じことを言うことはもうなかった。もう忘れたのかもしれない。

「母ちゃん、トイレはいいか。もう寝るぞ」

「はいはい。大丈夫。今日はありがとうね」


 キヌの認知症は、前年秋に膝を痛めて、年が明けても痛みが引かずに整形外科病院に入院して以来、少しずつ進んでいた。

 膝は、入院した当時は右の痛みがひどかったが、左で庇うように歩くからか徐々に左も痛むようになっていた。変形性膝関節症と言って右はかなり進行しているが、人工関節を入れると痛みは取れるというので、右だけ人工関節の手術をしてもらった。ところが、右膝は痛み無く歩けるはずなのに、キヌは痛いと言って歩こうとしない。リハビリだからと無理に歩かせると右膝を伸ばしたまま引きずるように歩き、左ひざを痛がる。担当医は本人がその気にならないと、人工関節にした意味がないとリハビリを止めてしまった。認知症のことを考えると、一人暮らしに戻るのは無理だとも言われ、3月立たないうちに退院を迫られた。ソーシャルワーカーの勧めで3月末、今の介護療養型の病院へ移った。引き取ることも頭をよぎったが、本人は滝野川から離れたくないと希望し、転院が決まった。キヌは膝が治れば家へ帰れると信じているのだ。それから半年経った。 

 外泊は初めてで、母のたっての希望だ。「雪が降る前に一遍、家へ帰りたい。家が心配だ」

 電話のそばへ介護員に連れて来てもらい、修造に電話を掛けてきた。家のことは自分が見ているから大丈夫、と何度言っても納得しなかった。

「今回だけでいいから。もう我儘は言わないから。修ちゃん、頼みます」

 そう言われては断れなかった。


 翌朝、風は止んでいた。東向きの台所の窓からの陽射しで、室内は暖かい。台所で朝食の準備をしていると、母の声がする。   「誰か、誰かいませんか」

 修造は布巾で手を拭きながら居間へ顔を出した。

「どうした、母ちゃん」

「ああ修ちゃん。母ちゃん何か、どこにいるかちょっと解らなくなって。ここは家だね」

 辺りを見回し、そう言って安心したように溜息を一つ吐いた。

「起きたら家にいた。ああよかった。帰って来たのだね。修ちゃんが連れて帰ってくれたんだ」  

 間もなく落ち着いたので、洗面とトイレに連れて行った。痛がりもせずに歩く姿は、昨日より安定しているかもしれない。台所に戻って、パンと温めた牛乳と、自分のインスタントコーヒーを盆にのせた。キヌはソファに座って庭を眺めている。

 ソファテーブルに盆を載せてキヌと並んで腰掛ける。

 朝日に照らされて、黄色い菊がひときわ輝いていた。庭から少し下がったところにサクラが枝を広げており、その左側に小さな家庭                                 菜園がある。今年は何も植えていなかったのに、黄色や白色の、菜の花のような小花があちこちに咲いて、緩やかに風に揺れていた。

 キヌの手にパンを持たせ、二人で朝食を食べた。キヌはアンパン1つと牛乳をカップ1杯。バナナを1本全部食べた。

「美味しかったよ、修ちゃん。病院の食べ物より百倍美味しい」

 修造のコーヒーを見て自分も飲みたいと、立ち上がって、サイドボードへインスタントコーヒーの瓶を取りに行ったのには驚いた。右足をほとんど引いていない。病院では介護員に連れられトイレへ行く時と食事に出る時以外動かず、座っている母親の姿しか見たことがなかった。

 キヌにコーヒーを入れてやる。カップを持って、嬉しそうに香りを嗅いでいる。

「母ちゃん、足痛くないのか」

「あれ、そうだね。何にも痛くないよ。治ったんだ。家に帰って良くなった。もう退院だね」

『ここで死にたい』と言われるより『退院する』と言われる方が困った。今まで『膝が治らないと家で一人暮らしは出来ない。痛いうちは入院していないとダメなんだ』とさんざん言って聞かせていたからだ。

 食後、キヌは飽きもせずに外を見ている。ベランダからは、時折紅葉を散らすサクラの木、小花が風に揺れる菜園、隣家の草枯れた畑、用水路沿いの田んぼ、川向うの村落のいつもの秋の景色が見渡せる。雲一つなく晴れ渡った空に雀の群が飛ぶ。

「修ちゃん、雪虫、雪虫。いよいよ雪だね」

 キヌは子どものように、日向の庭にちらちら光る雪虫を見ていた。ガラス戸の枠のこちらで、慣れ親しんだ景色を飽きなく眺めている姿は一服の秋の絵のようだ。

 病院へ連れ帰る時間が近づく。修造は、母が退院のことを忘れてくれるように、祈るような気持ちで後ろに立っていた。


 キヌを送って病院へ戻ったのは、夕食の時間になった。

『治ったから退院する』と言い張って家から出たがらない。昼前に病院へ戻るはずだったが、時間をかけて納得してもらうしかないと、病院へ遅れる旨を連絡した。

 キヌの足の動きがよいので、昼にうまい寿司でも食べさせようと思い、寿司屋に行くというと、キヌは喜んで、すぐ家を出る支度を始めた。

 修造の魂胆はこのまま家へ戻らないで、何とか病院へ連れ帰ろうということだ。修造の気持ちなど知らずに、コートを自分で羽織る。外へ出ると庭の木々を見て、冬囲いはどうしようと修造に言う。やっておくから心配するなと返し車椅子を出す。雪虫が飛んでいる割に表は暖かい。

 車まで車椅子に載せようとすると、キヌは車椅子の後ろの握りを持って押して歩き始めた。

「家の中とは違うから、危ないぞ」と言い、そばに付いていたが、ふらつきもしない。昨年はこうして、買い物カートを押して歩いていたな、と感慨に浸っていると、修造を煩わせずに助手席に乗り込んでシートベルトまで自分でした。

 寿司の『大勝』は国道一二号線沿いの、三ノ坂にある。昼下がりで駐車場には車がなかった。主人や若者の威勢のいい挨拶を受けて、二人で小上りに落ち着き向かい合って座った。キヌは癖になっているからか、右足を伸ばしている。随分動いているが、疲れた様子は見せない。   

「何か、特別食べたいネタでもあるか。ウニとかトロとか。折角来たんだ。好きなもの食べていいんだよ」

 修造の心の中には、あと何回こういうところへ連れてこられるのか、と言う懸念があって、キヌを急き立てる格好になってしまう。

「並がいいよ。いつも並みだったしょ。ごちそうになります」

 キヌが言うとおりに、並を頼んで落ち着いた。キヌはテーブルの小物や、メニューを物珍しそうにいじっている。修造は父親が亡くなったばかりの夏のことを思い出していた。


 4年前に父が亡くなった後、一人暮らしになったキヌの様子を見に行った時のことだ。9月の最後の日曜日、滝野川の実家に着いたのは、昼を少し過ぎていた。チャイムを鳴らすと、母は作業着で家の裏手からやって来た。

「修ちゃんお帰り。ご飯まだでしょ。直に着くと思って、裏の草取りをしていたの」

「先に食べていてよかったのに」

「二人で食べた方が美味しい」

 家の中は目が慣れるまで薄暗かったが、居間の卓袱台に二人分の食器が並べてあるのが見えた。洗面所で顔を洗っていると、キヌが青い花柄のワンピースに着替えて和室から出てきた。

「喪中なのに、随分な格好だな」

「父ちゃんが買って来たんじゃないか」

 修造は返事の仕方を迷った。キヌは時々、自分と父を取り違えることがある。父の生前からそういうところがあったから、物忘れともいえない。ワンピースはかなり前の物だった。

 妻の陽子が見繕った菓子折りを仏前に供え、手を合わせた。瑞々しいユリやダリアが活けてあり、まったく辻褄が合わない様子ではない。

「さ、ご飯にしよう。父ちゃんの好きな黒サンゴの漬物を作っておいたよ」

「母ちゃん、黒サンゴを今年も植えたのか」

 修造は息子であることを思い出してもらおうと母を呼ぶ。父は母をキヌと呼び捨てにしていた。

「ああ、五本もね。ベランダから見えるよ。夏大根がもう少し太ったら、陽子さんに送るから」

 夜、また母は黒サンゴの漬物を出した。

「父ちゃんの好きな」

「母ちゃんビールあるか」

「あるある。あんたから今日来るって電話があったから、配達してもらった」

 冷蔵庫にビールが6缶冷やしてあった。修造はビールを取りながら中を確認した。期限が切れているものは見当たらない。変なことを言うこともすることもあるが、生活は出来ている。父を亡くして一時的に混乱しているだけなのかも知れない。

 陽子は独り暮らしになった母を、引き取るのに賛成してはいない。一度も一緒に暮らしたことがないから自信がない。自分の仕事は転勤があるから責任を持てない、と言って譲らない。一人息子の凌の大学受験を控え、陽子には精神的なゆとりがなかったこともある。

「いつ来ても何にも愛想がないね」

「母ちゃんの漬物とビールがあれば何にもいらないって」

「明日は何時に戻るの」

 キヌは、家を建てたときから時を刻む古い柱時計を見上げた。

「少しぐらい遅くてもいいよ。やってほしい事があるならやるよ。力仕事でもなんでも。そのつもりで来ているんだから」

 キヌはいつも遠慮して何も言わないが、よっぽど困っているのか修造に言う。

「物置小屋が雨漏りしてね。父ちゃんの工具やら、中の物が傷むと困るから」

「わかった。なんとかするよ」


 物置小屋の屋根の修復と、壊れかけた裏口の鍵の交換を済ませて、午後11時過ぎに札幌の自宅に戻った。滝野川の実家で車に乗り込んだ時に比べて、暑さは半減している。陽子は寝たのだろう。居間の明りは点いていない。物音を立てないように、風呂場へ行き荷物を置いた。シャワーを浴びるため、ズボンを脱ごうとして後ろのポケットの膨らみに気付いた。

「家に帰ってから開けて」

 帰るために車に乗ろうとした時、いたずらっ子のような顔つきで、キヌは白い封筒を手渡したのだ。

「陽子さんによろしく。道中気を付けてね」

 立て続けに言ったかと思うと、キヌは家の中へ小走りで入ってしまった。キヌが玄関の鍵を掛ける音を聞いて車に乗った。必ず鍵をかけるように言って聞かせたことを忘れていないので安心した。

 封筒には、便箋に包まれた3枚の一万円札が入っていた。広げると、丹念に描かれた大きな母の文字が並んでいた。                

『前略 いつも来てくれてありがとう。屋根の修理ご苦労様でした。三人で美味しいものでも食べてください。仕事がんばってね。母ちゃんも頑張ります。早々』

 便箋は周りが黄ばんだ古いものだった。年金で暮らしているキヌが、働き盛りの自分に小遣いを、と思うと哀しかったが、文章がまともでありがたかった。

 その日一日、実家で普段使わない筋肉を使ったからか、身体がこわばっていた。湯を熱くして、シャワーを浴びる。閉じた瞼に母親が見える

 父が亡くなって1年も経つと母の様子は落ち着いて、物忘れも気にならないほどになった。大きな失敗もなく独り暮らしが出来ていた。

 一人暮らしに影が差し始めたのは、右ひざを痛めたからだ。認知症が進んだというより、膝が思うように動かなくなり、日常生活に支障がでてきたことが大きい。


 運ばれてきた寿司を、キヌは大事そうにゆっくりと一つ頬張った。

「美味しいよ、修ちゃん。あんたも食べて御覧」

 上がりにふうふう息を吹きかけながらゆっくりと飲む。満足そうなキヌの笑顔が素直に嬉しくて、修造はじっと母を見つめていた。

 夫を亡くしたあと、物置の屋根の修理の時のように、よっぽどのことがなければ修造に頼みごとはしない。膝がどんなに痛くても辛いとこぼしたこともない。

『この家で死んだら駄目かい』

 自分の思う通りにならなくて、黙って独りで、病院で我慢するのだなと思うと、目の前で無邪気に寿司を食べている母に土下座して謝りたかった。

 寿司を食べた後の帰り際、キヌにどう切り出すか考えあぐねて、会計を間違った。店主に多いですよと言われて、千円札を返された。

 表へ出ると、キヌは修造の腕をつかんだ。車まで腕につかまって歩いていたが、ドアを開ける時、転びそうになり、修造は慌てて抱きとめた。座席に座るにも、足が上がらず、疲れてしまったかと心配した。修造が何も言いださないうちにキヌは言った。

「病院へ帰るよ」

 そういって、にっこり笑って見せた。笑い皴に囲まれた顔で小さく何度も頷いている。

「修ちゃん。ごちそう様。忙しいところ来てくれて、今回はいろいろありがとうね。帰り道、気を付けて運転してね」

 返事が出来ずに、病院に着いてしまった。なんと言えばよいのか。トランクから車椅子をおろすと、キヌは助手席で待っていた。尻でずって降りてくる。車椅子のアームにつかまって座面側にまわる。右足を引きずっていた。

 玄関に入ると介護員が走ってきた。

「お帰りなさい。田畑さん。お家は楽しかったですか」

「はい。楽しかったですよ。お寿司までご馳走になったのよ」

「よかったですね。息子さんもお疲れでしょう。もし、何もなければ、後は任せてください。もうお帰りになって結構ですよ」

 修造は部屋までついて言ったが、やはりキヌは右足を引きずっている。動きもおぼつかない。着替えを手伝う介護員の邪魔になりそうだったので『帰るから』とキヌに声をかけた。寝巻のひもを縛るのに夢中で、返事はなかった。口を引き結んで、ひもと格闘している。

 病室を出て、肌色の壁に薄緑色のドアが並んでいる廊下をエレベーターに向かって歩くと、ドアの小窓越しに、寝たきりの男とも女ともわからない姿の老人が横たわっているのが眼に入った。唯一、寝間着の色で区別ができる。いくつかの部屋がそうだった。見るつもりはないが、思わず覗いてしまう。


 八重桜は、散りつつ舞っていても樹上の艶やかさは変らない。四阿に西日が入って、キヌの手元を照らす。一心に編み物をしていたが、手元の明りを見てふと目を上げる。

「修ちゃん、見て御覧。後光が射してるみたいだね」

 北三条通り公園の西側のマンションの屋上にある小さな建屋の上に、丁度陽がかかっていた。確かに後光のように光が広がって見える。四阿はもうすぐマンションの陰になる。

「寒くないか」

「今日は暖かいよ。修ちゃん寒いのかい」


 昨年春、陽子が転勤した。凌の受験のために数年延ばしてもらっていたベトナム工場へ転勤が決まって、責任者として赴任した。4月から、修造は思いがけず一人暮らしになった。

 キヌを引き取るのは、一人暮らしになる前に決まってはいた。初めての外泊の時の母の様子が気になり、帰宅の翌日、陽子に相談した。実家での一人暮らしは無理だから、札幌へ呼び寄せたいと。凌のことが一段落した陽子は、キヌとの同居については、出来るならどうぞという返事をした。

「私は転勤があるし、しばらくの間は協力できないと思う。それでもいいのなら」気が抜けるほど簡単に話は決まった。

 環境が変わったら認知症が進むのではないかと言うことが最も心配だったが、足を引きずることで自分の居場所を保たせておくのは不憫だった。知ってしまっては、放っては置けない。

 一番の問題は、キヌだった。元気だったころマンションには何回も遊びに来たことがあり、北三条通り公園は大好きだった。植物園や、駅前のデパートも一人で行ったことがあり、地理には慣れている。

「知らないところへ行くのではないし、陽子と自分しかいないから遠慮することはない」

 が、キヌは同居を拒否した。迷惑はかけられない、仏壇はどうする、墓はどうする、キヌが嫌だという理由には事欠かないが、修造は折れるわけにはいかない。

「陽子は仕事が忙しくて家にいないから、母ちゃんに主婦をしてもらいたい」

 修造がそう言うと、キヌは初めて興味を示した。


 環境を整え、キヌを退院させられたのは、半年後の5月だった。二人暮らしが始まった。留守番ができるか、認知症は進行するのか、数えれば不安に切りはない。

 茶碗を洗ったり、米を研いだり、洗濯物を畳んだり、主婦として頼んだことはできていた。綱渡りとまでは言わないが、仕事を終えて家の扉を開けるまで、自分の肩に力が入っているのを自覚していた。キヌのいつもの笑顔をみてはじめて緊張がほぐれ、疲れが一気に吹き飛んだ。

 陽子が一時帰国した時、何か起こるかと気を揉んだが、キヌは陽子に遠慮するでもなく、陽子は陽子で、久し振りの帰国で、外出が多く、修造がキヌと二人で食事の用意をして陽子が食べるというパターンが続くと、自然と良い関係になって行った。

「お母さんの料理が食べられて幸せ」とまでいうのだった。

「お仕事がんばってね」と陽子をベトナムへ送り出してしばらくすると、キヌは台所に立たなくなった。張りつめていた緊張が解けたのか、認知症が進んだのか、食べることに興味がなくなったようにも思えた。

 編み物が一日の仕事になった。ここでの2回目の春の夕暮が、八重桜の散る中やって来る。刺した後光があっという間に消えて、動き続けるキヌの手元はうす暗くなった。

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