第11話
出前
出前は実に便利である。
電話一本で目の前に食事が用意されるからだ。
中でも蕎麦屋に、ピザ、寿司屋、これを3大出前と呼んでもいいだろう。
以前は、出前といえば蕎麦屋がほとんどであったが今では出来るものは何でも出前する。事務用品から色っぽい女性までと、幅が広い。
しかし、ここでは蕎麦屋の出前の話である。一度ぐらいはその世話になった人は多いと思う。
便利さ故に客は至って気楽に注文するが「この気楽さ」が出前の真骨頂でありメシの種でもある。客が来なければ店はつぶれるし、忙しすぎれば当然、調理場が修羅場のようになり終には処理しきれなくなる。ちょうどいい具合に客が入ってくれればいいのだがそういうわけにもいかないのが個人店の宿命である。
さて、この話は、駅前で夫婦二人でやっている店の話しである。
店は評判も良く名も通っている。特に奥さんは元気で威勢が良く、バイクに乗って配達もこなす。
まず、この話は一本の出前の電話から始まる。
オヤジの威勢の良い声で
『ヘイ! 中華軒ッス!、ラーメン二つですね!』とオヤジの電話の受け答え。
「何時ごろになりますか」と電話口の客に
『40分くらいっす』とオヤジ。
早速オヤジは作り始めたがそばに乗せる蒲鉾が無いことに気が付いた。
奥さんは大慌てでそれを近くのスーパーに買いに出たが、こんなときに限って、店に客が入ってくる。
しかし、オヤジはどっしりしたものであわてずに客の注文をこなしてゆく。
そこへ又、出前の電話が鳴った。
それはいつもの常連客からの注文である。
主人が一人の時に限ってそれを見計らったように店内に客が来るのは毎度のことだが、注文と出前が重なり連なって一挙にあわただしくなった。パートナーの奥さんはまだ帰ってこない。
その日はお構い無しに客が入ってくる。これほど客が頻繁なことはあまりないことだとあわて始めた。オヤジは頭の中では奥さんを怒鳴り飛ばし、来店客には「何で来るんだ!」と心で客を攻め始めている。常々、お客に感謝している温厚そうなオヤジの言葉とは思えない。
そこへ催促の電話が鳴った。
「まだ来ないんですが?」と少々怒りを含ませて客の催促。
『もう出ました、すみません』と蕎麦屋のオヤジ。
出たどころか奥さんは蒲鉾を買いに出て店にはいない。肝心の蒲鉾がなければ蕎麦は完成品に成らない。
オヤジの『もう出ました』の一言は定番の答え方であるが出前を待つ客は実際は出ていないなと怪しんでいる。
そういうときに限って、またまた客が2,3組店内入ってくるので蕎麦屋のオヤジは大慌てである。歳のせいか足もつれ極度の忙しさに手元も定かではない。厨房と店内へとあわただしい。
普段は「客が少ない」と嘆くのに、入りすぎると「忙しい」とぼやきそして終には怒る。
独り言のように「もう来るな!」と心の中で叫んでいる。それほどにオヤジは混乱しているのである。あの温厚そうで明るい人格からは誰も想像できない一言。
この時点でこのオヤジはどっしり構えた姿からあわてた姿に変化し体裁をかなぐり捨てる。
こうなるとその姿はヘロヘロにちかい。
また催促の電話である。
注文した方は怒っているだろうが、オヤジも相当いらいらしている。
店内からは客から「まだか」の催促の声、声。
親父の頭の中にはラーメン、天丼、蒲鉾、親子丼・・・が飛び交い、蒲鉾を握りしめる奥さんの顔が浮かんでいる。
一方、奥さんも蒲鉾を握り締めて、イライラしながらスーパーのレジの列にいる。しかし、こんなときに限ってスーパーのレジに列ができるのである。奥さんは気が気ではないがまさか亭主が悲惨な状況にあるとは露も知らない。
蕎麦屋は開店以来の賑わいに、オヤジは喜ぶどころか死にそうな様子で、当然ながらいつもの愛想笑いは無い。
もう「無愛想」の一文字であり、入ってくる客をにらみつけている。
その無愛想を、客の中には「これこそ本当の職人だ」と思う者もいる。
実に良い客である。
調理場の中でオヤジは電話に向かって頭を下げている。
出前の催促の電話だ。注文を受けてからすでに一時間は経っているから客の怒りは当然である。
『出かけたんだけどね、ころんじゃって! すぐ作り直して持っていきますから!』とオヤジは嘘八百を並べた。
それを察したように、
「嘘言ってるんじゃないんでしょうね!」と客。
『いや、本当なんです!急いで作り直して!・・』と頭を下げながら一方的に電話を切った。
電話に時間をとられていては注文の品を作れないのである。
蕎麦を作り、ラーメン作り、天丼を作り、親子丼を作り・・・・注文をこなさなければいけない。
客商売は実に大変である。
おまけに、奥さんはいないし出前の催促もある。
足はふらつくし、店内からは遠慮がちではあるがイライラを含んだ催促の声がうねっている。包丁を握り締めるオヤジの形相は殺気立ち、もしこれを客が見たら何も言わずに逃げ出すだろう。
しかし、オヤジはがんばっているのである。
彼も結構な歳になってしまい若いときのようなてきぱきとした仕事は出来ない。
ましてや、この忙しさで手元もおぼつかない。
終には、せっかく出来た天丼もひっくり返す有様で、まさに惨劇である。
厨房からは物音が激しく聞こえるので何人かの店員がいると店の客は思っているに違いない。
しかし、この騒がしさはあわてて物を落としたりぶつけたりしている音に過ぎないのである。
実は一人で作っていると、客は全く知らない。
そこへ又、催促の電話。
オヤジは受話器を握り締め、
「今出ましたが場所が良く分からないようで、でもすぐそちらに着くと思います」と大嘘を言って即電話を切った。嘘に少しずつストーリー性が加わってきた。
きっと出前を待つ客は怒っているに違いない。
しかし、オヤジも必死に頑張っているのである。店内の注文も大体こなし、後は奥さんを待って蒲鉾を乗せて配達をすればOK!と親父の頭の中ではひと段落である。
そこへ又、催促の電話である。
オヤジはイライラを抑えて落ち着いて言った、
「お宅の家の前まで言ったんですが、急ぎのあまり信号無視をして警察に捕まってしまって・・・でもすぐに付くと思います。」
もうこうなると、嘘を通り越して作り話である。
否、「うそ」と「作り話」は一緒か?
電話を切るや否や、親父はすぐに次の料理に取り掛かっている。
頭の中は料理のことと、次に来る催促の言い訳である。
そこへ又、催促の電話である。
オヤジは即座に言った。
「途中で家内の親が危篤の連絡が入りまして、急遽そちらに向かいましたので、私が急いで直ぐに配達します」と言って電話を切ろうとしたら、
客が怒りの声で言った。
「うそばかりついて!今私がとりに行くから準備をしておいて!」と。
驚いたオヤジはあわてて言った。
「今、蒲鉾が届いたので、それをのせたらすぐにお届けします」と。
次に、客は言いった
「蒲鉾なんかいらないよ!ソバだよ!ソバ!」
オヤジは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「それを先に言ってくれ!」
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