第5話

隣の話


実にぎっしりと客が押し込まれている、というよりも望んでその中に入って詰め込まれているといったほうが良いかもしれない。

そこでは、ブランドに包まれた洒落た若い人も、そうでない人も、年配の人も、養鶏場の鶏のように並んで肩を寄せ合いコーヒーを飲んでいる。

つばを飲み込んでも聞こえる距離にすわり、鼻毛の数もはっきりと数えられる程の近さでコーヒーを飲む。

鮮明に隣の人の顔が見える。

当然、話し声は聞き分ける事が出来て内容も十分に伝わる。

たとえそれが悲しい話であっても楽しい話であってもそれに反応することは許されることではない。

聞いても聞かない振りをしなければならないし見ても見ていない振りをしなければいけない。お手洗いに行くときにはどの様にしたらそこにたどり着けるかを、計算しなければいけない。

テーブルの間隔が狭すぎて出られない事があるからだ。無理に出ようとすると、隣のコーヒーを引っ掛けてこぼしそうになるかもしれない。

そんなに狭いのにこれらのコーヒーショップは人気がある。

見ようによっては現代人の孤独感がこのような環境を作り出しているのかも知れない。

店内の客がいっせいに「コケコッコー」といったらまったく養鶏場そのものと言えるのに。

しかし、ここに集まる人々はおしゃれを競い、会話を楽しみ時間を満喫している。

これはこれで実に良いことだ。

世の中には様々な人がいるものでこの様なせまっくるしい店の中にも確かに変な人もいる。

どの様に変なのか?

養鶏場の鶏は横を見ないで真正面を見ているがここもそうである。

横を見るとじろっと見るようになるので正面を見るしかない。

ある時、ある年配の女性の隣に若いカップルが座った。

二人は楽しそうではなく沈みがちで話を交わしている。

それを隣の年配の女性は聞くとも無く聞いている。

いや、聞こえて来るといった方が良いかもしれない。「聞くとも無しに」がやがては、耳をそばだてて聞くようになる。それは別れ話であったので隣の年配の女性は気になり最初は心の中でうなずくように聞いていたのである。

カップルの話の深刻さはどんどん増して行くと、隣の女性はもうすっかり話の中にのめりこみ体をカップルの側に寄せるようになり時々、うなずいたりしている。

それをカップルは気が付かない。

それほどに真剣なのだ。

隣の年配の女性はうなずく回数が増えて話に加わっている母親のように相槌を打ち始めた。

やがて、だれが見てもわかるほどに首が、いや耳が二人の間に分け入っている。

ここまで来ると、さすがにカップルも気が付いた。さっと立ち上がると、隣の女性を非難するでもなく風のように立ち去った。

その、年配の女性はとり残された格好になりすぐに席を後にした。

話はここて一段落である。

こんな光景は極端にしても、似たような事が毎日のように繰り返されているかもしれない。

もしかしたら、お客は無意識のうちに話題を共有しあっているのかもしれない。

こんど、この様なコーヒーショップに行ったら隣の話を聞こう!

共に笑い、共に泣こう!

ただ、決して、声をかけてはいけない!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る