第2話
知らない
とんでもなく立派な店に、その冴えない中年のジャンバーの男は入ってしまった。
気がついたら出るべきだったのだが、ちょっとした見栄があったのだろう。
足は戻ろうとしているのだが、からだが店内の方を向いてしまっているのでそのまま入り込んでしまったのだ。
そこには、男の意地が見える。
こんな意地を見透かしたように重厚感のある「いらっしゃいませが」地を伝わってやって来た。
背筋をピンピンに伸ばしている男が、軽く会釈した。
もうこれだけで男は負けている。
しかし、ここで帰ったら「俺のプライドが許さない」とジャンバーの男は思った。
何のプライドか、わからないが、おそらく金が無いと思われるのが、嫌なのだろう。
上の空で、商品を見ている。
店員は声をかけてこない。
逆に、警戒心を漂わせている。
男は何をうろたえたか、ショウケースの中の商品を指差し、見せてくれといってしまった。錯乱状態がそうさせたと言ってもよいかもしれない。
店員は意外そうな目付きと、慇懃無礼な口調で、横文字を並べた説明を鼻にかかった声でさらりと言った。
ちょうどそこへ、いかにも金のありそうな客が入ってきた。
常連だろう。
店のあちこちから、「いらっしゃいませ」の連呼である。
ジャンパーの男の時とはぜんぜん違う歓迎を見せた。お世辞の見本となるような言葉がポンポンと出ている。
祭囃子でも聞こえそうな雰囲気で、店は一瞬に明るくなったが、このタイミングで店を出るのが良かったのである。
どさくさに紛れて脱出すべきだったのだ!
タイミングを逸するとは、この事を言うのだろう
金持ちは品物を買い、店員と談笑している。
一方、ジャンバーの男は、ただ、店内をうろうろするだけである
店員の注目を集めようにも、金の無さが随所に現れているので店員も寄っては来ない。
男はますます自分の立場を失い一層うろうろし始めた。
その様子を店員は怪しみ店員の目つきも変わってきた。男はそれを肌で感じ「マズイ」と思い始めた。
別の常連客が来ればそのタイミングで店を出ようと考えた、が、来ない。
いよいよあせる。
あせる様子が店員にも伝わる。
店員の動きに変化が出てひそひそ話が聞こえるようだ。
「もうオレは不審者になっている」とジャンバーの男は自分を決め付けた。
顔は高潮し、脂汗を流し、心臓を高鳴らせ、強迫観念に襲われ始めた。
「オレはすぐにでもこの店を出なければいけない!」
「店を出なければいけない!」
心の中で何度も叫んだ
端から見るとただならぬ様子である
と、次の瞬間、ジャンバーの男は走ってその店を飛び出した。
このタイミングが良いのかどうかはわからない。
突然のこの男の行動に、店員は何か盗まれたと思い、この男を追いかけた。
ジャンパーの男は、何も悪い事はしていないので追いかけてくる者はいないと思っている。
ところが追いかけてくる者がいるのである。
何故追いかけてくるのか理解できないが、係わり合いになりたくないので走り続けた。
追いかける方も「物を取られた」とは確認はしていない。
確認はしていないが、「盗られたのでは」と疑い、とりあえず追いかけている。
走って店を出た男は、ただ走って店を出ただけなのだ。
故に、逃げたのではない、ましてや、盗んでもいない。
しかし、追いかけられている。
二人は、
走っている理由を知らない
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